確固たる意志
その言葉を聞いた瞬間、脳天に雷がドーン! と落ちたような衝撃を受ける。
まるで道ばたに捨てられた猫を捕まえて、連れて帰るような気紛れな物言いだった。
彼にとって私は、雨に濡れて泥だらけな、帰る家のない気の毒な猫のように見えてしまったのかもしれない。
自分自身がどうしようもなく惨めで、哀れに思う。
同時に、初対面でそこまで言葉を交わしていない女性に、このような提案をするマントイフェル卿に対して強い怒りを覚えた。
おそらく彼は立派な家に住んで、財産もあり、苦労をさせないように囲ってくれるのだろう。
けれども私は侯爵夫人の傍付きをするために、ビネンメーアにやってきたのだ。
侯爵夫人は呆れた表情を見せつつも、私に声をかける。
「あなたさえよければ、彼のもとに行ってもいいのよ。きっとそのほうが、あなたも気楽でしょうから」
その言葉にも、傷ついてしまう。
何者でもない私を、無条件で住まわせようと許してくれただけでも、侯爵夫人は寛大な人物だったというのに。
ここで気付く。
私は自分自身に大きな価値があると思い込んでいたのだろう。
何も成し遂げていないのに、そのように考えるのは傲慢の一言だ。
「……侯爵夫人にとって、わたくしは厄介な存在でしょうか?」
「そこまでは思っていないけれど」
「でしたら!!」
私は一度立ち上がったあと、侯爵夫人の前で片膝を突く。
「わたくしに、機会をくださいませ。きっと、役に立ってみせますから」
「ちょっとあなた、そこまでしなくてもいいわ」
「どうか、どうかお願いします!」
ここが私にとって最後の砦なのだ。何があっても、しがみついていないといけない。
「あなたはどうして私に執着するの? リオンのもとにいたら、苦労なんてしないはずよ。いい暮らしだってできるはずだわ」
「それでも、わたくしは侯爵夫人のもとで働くために、ビネンメーアまでやってきました。一ヶ月――いいえ、一週間でもいいので、お傍に置いていただけないでしょうか?」
侯爵夫人は困惑の瞳で私を見つめていた。
ここで引くわけにはいかない。そう思ってじっと視線を返す。
シーンと静まり返る中で、ぷっと噴き出すような笑い声が聞こえた。
「これは、侯爵夫人の負けだよ」
「なんですって?」
「彼女はきっと、誰が何を言っても、自分の意志を曲げないだろう」
そうだよね? とマントイフェル卿から聞かれ、深々と頷く。
「面白いな。侯爵夫人よりも頑固な女性なんて、初めて見たよ」
「信じられないわ」
侯爵夫人は私を見ながら、この世の深淵まで届くのではないか、と思うくらいのため息を吐いていた。
「わかりました。役に立つ、という自信がそこまであるのならば、その身で示してもらいましょうか」
「――っ! ありがとうございます」
感謝の言葉を口にしたのと同時に、マントイフェル卿が私の腕を引いて椅子に座らせる。
彼がにこにこしながら私を見ていたが、気付かない振りをした。
「それはそうと、あなたの息子は今、何をしているの?」
「え、息子!?」
子持ちという点を言っていなかったようで、マントイフェル卿は驚いた顔で私を見る。
「君、子ども連れで国を跨いで逃げてきたの?」
「ええ、まあ」
「それはそれは、大変だっただろう?」
初めて耳にする労りの言葉に、どう反応していいものかわからなくなってしまった。
「子どもはいくつなの?」
「えっと、六歳です」
「ああ、かわいい盛りだ!」
それから続けざまに質問を受ける。
子どもの名前はレンで、とても素直ないい子で、控え目だけれど自分の意見ははっきり言えるしっかり者のところがある――なんて話を、マントイフェル卿は楽しげな様子で聞いてくれた。
「君が頑なな態度を見せていたのは、子どものためだったんだね」
レンを言い訳にしたくないので、その言葉は聞かなかったことにする。
失礼な態度だとあとになって後悔したのだが、マントイフェル卿が気分を害した様子はない。
「それでレン、と言ったかな。息子さんは今、メイドか誰かが面倒を見ているのかな?」
「いいえ」
「まさか、独りでいるの!?」
どう答えようかと迷っていたら、マントイフェル卿は弾かれたように立つ。
私の手を引いて立ち上がらせると、必死の形相で訴えた。
「この国では十歳未満の子どもを独りにしてはいけないんだ!」
「法律で決まっているのですか?」
「いいや、違う。悪い魔法使いに連れ去られてしまうという、言い伝えがあるのを知らないのかい?」
その昔、ビネンメーアでは人の血肉から魔力を得るために暗躍する魔法使いがいたらしい。抵抗できない幼い子どもを攫い、多くの命を奪ってきたようだ。
「連れてこなきゃ――」
「レンは、その、大丈夫なんです」
「独りでいて、何が大丈夫なんだ!」
少し怒りが滲んでいるような声と表情に、圧倒されそうになった。
けれどもなんとか言葉を返す。
「わたくしと契約している妖精が傍におりますので」
「妖精?」
「はい」
マントイフェル卿は強ばった表情から一変して、気の抜けたような顔で私を見つめていた。




