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【完結】泥船貴族のご令嬢、幼い弟を息子と偽装し、隣国でしぶとく生き残る!  作者: 江本マシメサ
第二章 とんでもない出会い

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20/92

侯爵夫人の傍付きとして

 フロレンシと一緒の寝台に寝転がり、鳥のさえずりで目覚める平和な朝を迎える。

 まだ太陽は昇りかけなのだろう。カーテンからわずかな明かりが差し込むばかりであった。

 フロレンシは慣れない船旅で疲れているのか。ぐっすり熟睡しているように見える。

 私が起き上がっても目覚める気配はまったくなかった。

 背伸びをし、頬を叩いてやる気を出す。

 ガッちゃんはすでに目覚めていたようで、私の肩へと跳び乗ってくる。

 囁くように朝の挨拶をすると、同じように小さな声で『ニャ』と返してくれた。


 こっそり寝台から抜け出し、洗面所へ移動した。

 蛇口を捻ると、当たり前のように水が出てくる。

 ありがたいと思いつつ顔を洗い、歯を磨いた。

 ヴルカーノから持ち込んだ華美でないドレスをまとい、鏡台に腰かける。

 侯爵夫人に仕える以上、化粧くらいはきちんとしなくてはならない。

 普段よりも丁寧に化粧を施したあと、櫛を手に取る。

 ビネンメーアでは未婚女性は髪を下ろし、既婚女性は髪を結う習慣があるようだ。

 櫛を手に取り、髪を纏める。

 二十年生きて、自分でこうして髪を上げるのは初めてである。

 私の髪は細くてツルツル滑るので、なかなか上手くまとまらない。

 手間取っていたら、ガッちゃんが手伝ってくれると言う。


『ニャア!』

「まあ、ガッちゃん、頼めますか?」


 任せてくれ、とばかりにガッちゃんは胸をポン! と打っていた。


 ガッちゃんは糸を器用に操り、私の髪を三つ編みにして後頭部で纏めてくれる。

 ビネンメーアでよく見かける、既婚女性の髪型であった。この形に結うのは難しいので、簡単なシニヨンにしようと考えていた。

 この髪型のほうが、侯爵夫人の傍付きとしてふさわしいだろう。


 最後にガッちゃんは、レースのリボンを結んでくれた。

 ガッちゃんがリボンの端を摘まんで見せてくれたのだが、美しいスズランがあしらわれた美しい意匠だった。


「ガッちゃん、ありがとうございます。とてもすてきな髪型です。リボンも気に入りましたわ」

『ニャー!』


 頑張れ、というガッちゃんなりの応援に思えて、とても嬉しかった。

 姿見でおかしなところがないか確認する。


 今日から私は、身分と名前、年齢を偽って、侯爵夫人の傍付きとして働く。

 実年齢よりも上に見られていたので、二十五歳の子持ち、という設定に無理などないのだろう。


 フロレンシを立派に育てるために、頑張らなければ。

 自らを奮い立てつつ、台所へと向かった。

 朝食はフロレンシが好きなパンケーキを作ろう。

 生地に擦ったレモンの皮を入れるのが特徴で、なるべく薄く焼いて仕上げるのだ。

 ガッちゃんもお手伝いしてくれるようで、卵の殻をせっせと捨ててくれたり、零れた小麦粉を拭いてくれたりと、おおいに活躍した。

 生地ができあがったら、山のように何十枚とパンケーキを焼く。

 これだけでは味気ないので、ゆで卵と温野菜のサラダを作った。

 食卓に料理を並べ、あつあつの紅茶を用意しておく。

 フロレンシを起こしに行くと、すでに起きていて、着替えをしているようだった。


「あ、お母さん、おはようございます」

「おはようございます。もう起きていたのですね」

「はい、ずいぶん前に」


 ひとりで着替えようと、あれこれ頑張っていたようだ。

 

「お母さんがやってくる前に、着替えておきたかったのですが」

「ひとりで起きたことだけでも、とてつもなく偉いです」


 フロレンシの頭を撫でてあげると、眉間にできていた皺が和らいでいった。


「今日はパンケーキをたっぷり焼いたので、たくさん食べてくださいね」

「パンケーキ! 嬉しいです!」


 フロレンシは十枚もパンケーキを平らげる。つい最近まで三枚食べたらお腹いっぱいだ、なんて言っていたのに。

 子どもの成長は本当に早いものだ、としみじみ思ってしまった。


 朝食が済んだあとは、フロレンシに課題を出しておく。


「今日はこの本を読んで、そのあとこちらの問題集を解いておいてくださいませ。わからないところは飛ばしてくださいな。お昼休みに、一緒にしましょう」

「わかりました」


 私はこれから、侯爵夫人のもとへ行って傍付きのお役目を果たす。フロレンシをここに残すのは心配だが、しっかり働いて教育費を稼がなければ。  


 念のため、ガッちゃんをフロレンシの傍に置き、何かあったら私のもとへ来るようにと言っておいた。


「ガッちゃん、レンのこと、よろしくお願いしますね」

『ニャ!』


 もう少し暮らしが安定したら、家庭教師やメイドを雇いたい。


「ではレン、ガッちゃん、いってきます。お昼になったら一度、戻ってきますので」

「はい、いってらっしゃい!」

『ニャア』


 急いで屋敷のほうへと向かい、まずは厨房を覗きに行く。


「あら、これは――?」


 厨房は明かりすら点いておらず、真っ暗だった。

 料理長から侯爵夫人についての情報を聞きたかったのに、誰もいない。

 メイドがいる気配すら、屋敷から感じなかった。

 使用人達の定休日は三日後だと聞いていたのに。

 仕方がないと思い、侯爵夫人の寝室へと向かった。

 レイシェルから侯爵夫人は早起きだと聞いていたので、すでに目覚めているだろう。

 扉を叩いたものの反応はない。もしかしたら中で倒れているのではないか、と心配になったので、勝手に入らせていただく。


「侯爵夫人、失礼いたします」


 寝室は誰もいなかった。カーテンはすでに開かれており、明るい太陽光がさんさんと降り注いでいる。

 寝台の脇に置かれているかごの中には、脱いだ寝間着がきれいに折りたたまれていた。 

 どうやら侯爵夫人はすでに起床していて、どこかにいるということになる。

 今の季節はたいていコンサバトリーにいるとレイシェルが話していた。

 急ぎ足で向かう。

 すると、侯爵夫人の姿を発見した。昨日と同じように、温室内に置かれた椅子で紅茶を飲んでいたようだ。


 私がやってきても反応を示さないので、申し訳ないと思いつつも声をかける。


「あの、おはようございます」


 無視されるかもしれない、と思っていたが、侯爵夫人は私を振り返った。


「あなた、レイシェルが連れてきた御方ね」

「はい、ララ、と申します」

「知っているわ。昨日、聞いていたもの」


 名前を覚えられていないのではないか、と思って先走って名乗ってしまった。

 きちんと記憶されていたようで、申し訳なく思う。


「あなた、何をしに来たの?」

「その、何か御用がありましたら、申しつけください」

「ないわ」


 それっきり、侯爵夫人は再び私に背を向けた。

 ズーン、と気持ちが滅入ってしまう。


「あの、朝食はお召し上がりになったでしょうか?」

「ええ、ビスケットを一枚いただいたわ」


 なんでも侯爵夫人は小食で、毎朝ビスケットだけで済ませているらしい。そのため、料理人が出勤してくるのはお昼前だと言う。さらに紅茶は魔石ポットで湯を沸かし、侯爵夫人が手ずから淹れたようだ。


「私、ひとりでなんでもできるの。あなたの助けはいらないわ」

「そ、そんな……!」


 必要ないと言われ、どうしたらいいのかわからなくなる。

 傍付きとしてここにいないと、いる意味がないのに。

 どうすればいいのか。内心、頭を抱え込んでいたら背後より突然、声がかかった。


「あれ、珍しい。お客さんがいるな」


 弾かれたように振り返る。

 気配もなく佇んでいたのは、銀色の髪にエメラルドのような瞳を持つ、美貌の青年であった。

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