生きる力について
すでに、私達の荷物はコテージに運び込まれているらしい。
ヴルカーノからビネンメーアへ手持ちで運んで来た鞄も、いつの間にか玄関に置かれていた。
「では、コテージの鍵を渡しておくわね」
レイシェルの手から、ずっしり重たい鍵の束が差し出された。
「コテージ以外の、屋敷の鍵も渡しておくわ」
「そ、そんな大切なお品を、わたくしが持っていてもよいのですか?」
「安心して。これは執事や家令が持ち歩く予備だから」
予備と言っても、用途に違いはない。
戸惑う私の手に、鍵の束が託されてしまった。
「あとこれも、渡しておくわ」
それは鳥翰魔法がかかった便箋と封筒である。
「何か困ったことがあったら、これで知らせてちょうだい」
「ありがとうございます」
レイシェルは少し潤んだ瞳で私を見つめたかと思えば、鍵の束を握った手に触れてきた。
「ララさん、お祖母様のこと、お願いね」
「はい、承知しました」
レイシェルは後ろ髪を引かれるような様子で、去って行った。
彼女の姿が見えなくなるまで見送り、踵を返す。
フロレンシはいてもたってもいられない、という様子でコテージを眺めていた。
「さて、中に入ってみましょうか」
「はい、お母さん!」
鍵を開いて中へと足を踏み入れる。
コテージの内部は花柄の壁紙が美しく、胡桃の木で作られた重厚感のある家具が趣味よく並べられていた。
革張りのソファは座り心地がよく、長時間座っていても疲れそうにない。
天井から吊り下げられたクリスタル・シャンデリアは豪奢で、部屋を明るく照らしてくれるのだろう。
寝室には大きな寝台に、遮光性ばつぐんなカーテンが取り付けられている。
布団はふかふかで、太陽の匂いがした。
台所には磁器の皿やカップ、銀のカトラリーが揃えられている上に、食材も種類豊富に揃っているようだった。
浴室には猫脚の浴槽に、種類豊富な石鹸や洗髪材が揃えられていた。タオルもふわふわで、洗いたての清潔な香りがする。
フロレンシは元気よく部屋を見て周り、感嘆の声をあげていた。
「お母さん、とってもすてきなお家ですね!」
「ええ、わたくし達にはもったいないくらいですわ」
このようにすばらしい環境を用意してもらったのだから、その期待に応えなければならないだろう。
ひとまず今日は、ゆっくりさせてもらおう。
台所にサブレが入った保存瓶があったので、お茶受けのお菓子としていただく。
茶葉もたくさん用意されていて、どれを飲もうか迷うくらいだった。
フロレンシにはミルクをたっぷり入れてあげよう。
台所には、魔法仕掛けの保冷庫があった。
果物を出荷する木箱を二段重ねたくらいの大きさで、魔力が込められた魔石を動力源としているらしい。
蓋を開くと、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
ヴルカーノでは氷室といって、氷で冷やす地下収納が主流だったので驚いてしまった。
ビネンメーアは生活に使う魔法が発展しているようで、暖炉や窯に薪を使わないと言う。
船に乗っているときに使い方を習ったのだが、魔法陣に触れて呪文を摩るだけで、簡単に使うことができるのだ。
湯を沸かすのも魔法で一瞬である。
魔石ポットに水を注ぎ、魔法陣を指先でなぞって魔法を発現させる。
魔石ポットの中からぐつぐつと沸騰する音が聞こえた。
本当に便利な魔法である。
侯爵邸の屋敷の管理が数名でこなせてしまうのは、こういった生活を助ける魔法があるからなのだろう。
紅茶にミルクと蜂蜜をたっぷり入れた、とっておきのミルクティーをフロレンシのもとへ運ぶ。
フロレンシは実家から持ってきた本を読んでいたようだ。
「レン、少し休みましょう」
「はい」
ガッちゃんにも、台所にあった氷砂糖を渡す。すると、喜んで囓り始めた。
私が淹れた紅茶をフロレンシが嬉しそうに飲む様子を眺めながら、ビネンメーアまでやってきてよかった、と思ってしまう。
彼を守るためならば、なんだってしなければならない。
誰かの愛人になってでも、立派に育て上げたい。
改めて、強い覚悟を胸に抱いた。
「レン、夜は何を食べたいですか?」
「僕は、お母さんと一緒に作った料理を食べてみたいです」
「あなたが料理を? なぜ?」
次代のメンドーサ公爵であるフロレンシは、料理なんて覚える必要はない。
そう口にしようとした瞬間、料理をしたいと思った理由について述べた。
「お母さんの力になりたくて。でも、それだけではなくて、僕は生きる力を身に付けたい、と思いました」
「生きる力?」
「はい。目の前に料理される前のじゃがいもがあっても、僕は食べ方がわかりません。もしも、周囲に誰もいない状態が続けば、お腹が空いて倒れてしまうでしょう」
けれどもフロレンシの傍には私がいる。
そう言うと、フロレンシは首を横に振った。
「お母さん、人はいつか死んでしまいます。助けてくれる人やお金だって、ずっとあるとは限らないのです」
フロレンシは父の死を通して、自分が置かれた環境は絶対的なものではなく、脅かされる可能性があると察したらしい。
「ひとりでも生きていける方法を知っていたら、お腹が空いて倒れてしまうこともないでしょう?」
「え、ええ、そう、ですわね」
フロレンシはにっこり微笑みながら頷く。
「それに、僕自身が、困っている人を、助けられるようにもなれると、気付いたんです」
「レン……!」
幼いフロレンシが、ここまで考えていたなんて。
思わず、ぎゅっと抱きしめてしまう。
「あなたの言うとおり、生きる力を習得するのは、とても大事なことです」
一緒に料理を作ろうと提案すると、フロレンシは元気よく返事をしたのだった。




