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はしゃぎすぎ

 扉の向こうで見知った顔がにやりと笑った。お化け(緑耶)だ。恐怖よりも、あきらかにこちらを侮ったうすら笑いに猛烈に腹が立つ。八百屋をなめるな!!私は、肩紐に刺さっていた小刀を引き抜くと、お化け(緑耶)に向かって投げた。当たらなくても時間稼ぎ……。


「うおーーーーー!」


 お化け(緑耶)の叫び声が響いた。偶然とは恐ろしい。私の投げた投擲用の小刀は、その右目に深々と刺さっていた。心のどこかで、とうとう自分も、誰かから血を流させることをしてしまったという声も聞こえて来た。だがその右目を抑える手の間から流れて来たのは赤い血ではなかった。


 なんだろう。樹液のような熟れ過ぎた果実のような、よく分からないものが、頬を伝って床に落ちていく。


「やはり、人の器ではないか」


 いつの間にか隣にきた百夜ちゃんが、私の肩帯革から小刀を引き抜くと、お化け(緑耶)に向かってひょいと投げた。小刀は、今度はお化け(緑耶)の左目に深々と刺さる。暴れた緑耶が、背後にいた里人たちを巻き込んで倒れた。


「赤娘、今だ!」


 またもや破れかぶれだ。鳩尾の中の靄に向かって、あのお化けが火だるまになってくれる心像を描く。


「着いた!」


 百夜ちゃんの声が響いた。足元の油にともった種火が、あっという間に油全体へと走っていき、扉の背後の床に膝をついていた緑耶の足元へも広がっていく。お化け(緑耶)は私の描いた心像通りに、いやもっとひどく、全身が松明のように炎に包まれた。


 彼の背後にいた里人たちが、我先に彼から逃げようとする。だが暴れまわる彼から飛んだ火の粉が、他の里人たちへも燃え移っていく。そのわずかな火の粉は里人たちの体を緑耶と同じように燃え上がらせた。私の肌にもその炎の熱気が伝わってくる。


 まずい、このままだとこちらも一緒に焼け死んじゃう!


 私は未だ床に大の字に横たわる旋風卿を一瞥した。いい加減にして欲しい。もう疲れた。私は再び旋風卿の胸の上にまたがると手を握りしめた。


「さっさと起きろ、この役立たずの唐変木の嫌味男!!」


 その鼻にむけて打ち下ろそうとした拳が何かに捕まれた。


「役立たずとは私の事かね? お嬢さん」


 この嫌味っぽい言い方。いつもの旋風卿だ。


「起きたか、ここから逃げるぞ。急げ!」


 百夜ちゃんの声に、旋風卿が私を跳ね除けて起き上がった。前でおきている炎と、周りに横たわっている二人を一瞥すると、素早く立ち上がって、世恋さんと歌月さんを両肩に担ぎ上げた。


「先に行きます」


 そう一言告げると、二人を肩に担いだまま梯子の先に消える。す……素早い。あっ、それにやっぱり妹さん優先なんですね。


「急げ赤娘。焼き鳥になるぞ」


 扉の炎はこちらにも向かって手を伸ばしていて、燃え上がった里人の何体かが、辺りをのそのそと動いている。


 そして床板からは白い煙が盛大に上がり始めていた。確かに床が持たない。煙の向こうでは覚悟を決めたのだろうか、長がその長く白い髭を揺らしながら舞らしきものを舞っていた。


 私は、百夜ちゃんを小脇に抱えると、戸口のところへと走った。


「旋風卿、お願い!」


「おい、赤娘何を……」


 この子の体重なら大丈夫だ。火事場のなんとやらはこのことだろうか、私は二人を肩から下した旋風卿に向かって百夜ちゃんを放り投げた。


「覚えて……」


 黒娘が何やら言っていたが、そんなものを聞いている暇はない。私は梯子にとびついた。今や屋敷全体が天まで届きそうな炎を上げて燃えている。


 私の視線の先には、もう誰だか分からない炎の塊が、床を這いながらこちらに向かって手を伸ばそうとしていた。


 つかまったら私も火だるまだ。急がないと。だが目の前で炎の塊が、床を踏み抜いて下に落ちていったかと思ったら、広間の床板が次々と焼け落ちていく。支えを失った梯子が前へと倒れていくのが見えた。上は炎で包まれた屋敷の天井だ。


 これって死んじゃうよね? 水の次は火ですか?


「ふーちゃん、手を離せ!飛ぶんだ!!」


 聞き覚えのある叫び声が耳に届く。私は梯子から手を放すと、それを足で思いっきり蹴った。私の体が宙に浮き、炎で赤くそまった霧の空が見える。落ちて死ぬ方が、火で焼かれて死ぬよりはましか……。


 私の背中が何かに触れて、そしてそれが倒れこんだ。


「うえー。。吐きそう」


 私の下に居た何かが呟いた。下にいた何かは、私を担ぎ上げると、背後の闇に向って走りだした。私は必死でその首に抱き着く。後ろで柱か何かが倒れる音が次々と響いた。


 背後の炎の陰になってその顔はよくは見えなかったが、私はもちろん彼が誰かは良く分かっている。


「アルさん、ふーちゃんも頼みますよ」


 白蓮が先で待っていた旋風卿に声を掛けた。


「彼女は動けたからね」


「分かりますけどね。なんかあったら山さん、本当に化けて出てきますって」


 私は二人のやり取りを耳にしながら、白蓮の肩越しに燃え盛る炎を見つめた。その炎は屋敷だけじゃなく、その背後の巨木さえも巻き込んで黒い煙を上げている。それは周りをつつむ霧を照らし、太陽が地上に落ちて来たかのようにさえ見えた。


「赤娘、()()()()すぎだ」


 その炎に照らし出された百夜ちゃんが、ぼそりとつぶやいた。


『はしゃぎすぎ?』


 何のことやら?


『あっ』


 もしかして私、白蓮に『お姫様だっこ』してもらっていませんか!?


 しかも、旋風卿や百夜ちゃんの目の前で!?


 耳の後ろがやけどしたかのように熱くなる。でも私の妄想の中だと、こんなちくちくした無精ひげはないし、土臭くもなかったはずだけど……。それにちょっと焦げ臭いにおいもする。


 でもこれって私の妄想じゃないよね? まだ生きているよね、現実だよね!?


「お客さんたちが来ます。どうします?」


 背後から小麦を入れた袋を地面に放り投げたような振動が次々と響いて来た。音のした方を見ると、左右にある小屋から何かが地面に次々と落ちて来る。そしてそれはゆっくりと立ち上がると、こちらに向かって動き出した。


「我では無理だ。逃げるぞ」


「ふーちゃん、走れる?」


 白蓮の言葉にうなずく。私は首に回した手を離して地面におりた。ちょっともったいない気もするけど、まだ助かったわけじゃない。それによく見たら白蓮は血だらけだった。お前、大丈夫か?


 背後の炎の明かりで夜道は問題ない。私達は船着き場に向かって走りだした。私の背後に百夜ちゃんを背負った白蓮と、世恋さんと歌月さんを両肩に抱えた旋風卿が続く。


 背後から大勢の足音が響いてくる。しかもその音はどんどん近づいて来ていた。背後を振り返る余裕もない。息が上がり、足がもつれそうになる。私が居なかったらみんなもっと先に行けるんじゃないだろうか? ともかく今は息が続く限り走るしかない。


「ふーちゃん、待って!誰かいる」


 白蓮が私の肩を掴んだ。見上げると、角灯を手にした小柄な人影が前方にあった。周囲の霧がその足元に集まっていく。


「緑香さん!」


 霧が数多の水の粒となり、炎の光を映して空の星々のように煌めいている。だめだ、この子には勝てない。


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