おとぎ話
「お手洗いとか先に行かなくていいですかね?」
私は先頭を行く緑耶と名乗る何かの邪魔を必死にする。そいつは私が前に出て何か言う度に、ただひたすら冷たい微笑をむけたまま、私の横をすり抜けていった。しがみついてみようとしたのだけど、彼の手が巧みに私の体を寄せ付けない。彼は私の妨害を一顧だにせず、一心不乱に歩んでいく。
何なんだこいつは?
借金取りだってもうちょっと取り付く島ぐらいはあるぞ。それに後ろからひょこひょこついてくる黒い奴、お前も少しは私を手伝ったらどうだ!
「緑耶さん、緑香さんって年がいくつぐらい違うんですかね? 緑耶さんも緑香ちゃんと同じ『水使い』とかだったりするんですか? お兄さんだからもっとすごかったりして?」
もう船着き場から続く道をだいぶ過ぎてしまっている。長に会った、あの屋敷はもうすぐだ。ちょっと待ってください攻撃が効かないのなら、世間話攻撃だ。少しはこっちを見ろ!これでだめならもう上着とかはだけて、お色気攻撃ぐらいしか思いつかない。でも私ごときでは無理だろうな。世恋さんや歌月さんなら止められるかも……。
「私は妹とは違います」
反応した!いままで能面の様だった顔に、少しだけ寂しげな表情を浮かべている。
「ただの冒険者ですよ」
そう私に告げると、彼はまた前を向いて歩き始めた。彼の顔には、先程私に言葉を告げた時の表情はすでになく、また能面のような顔に戻っている。私はその顔をじっと見つめた。そして自分がずっと感じて来た違和感の正体がやっと分かった。この人は瞬きを全くしていない。
『旧街道に行くときは』
『眉間の星に気をつけろ』
『星にみつかるとお化けにされるぞ』
『お化けになったらもう目は閉じない』
『もう夢をみることもない』
小さいときに父が私に語った話だ。
「だからお化けに見つからないように、目をつむって早く寝なさい」
私がお話をせがんだり、ぐずったりして寝ないときに父はこのおとぎ話をした。今思えば子供を眠らせるのに、怖い話を使うというのは一体どういう了見だったのだろう? どう考えても逆効果ではないだろうか?
私はこの話を聞いた後、おばけが怖くて怖くてむしろ寝れなくなった。だけど子供の私は、必死に目をつぶっている間にいつの間にか寝ていたらしい。味を占めたのだろうか? 父はこの話を私を寝かしつける為によく使った。
彼は『お化け』だ。
私は列の一番最後にいた百夜ちゃんのところへ駆け寄ると、恐怖心を押し殺して、精いっぱいのひそひそ声で百夜ちゃんに訴えた。
「お化け……。ここの人達はみんなお化けだ!」
「そうだ、人の『器』ではない」
『器』?
「だが、マ者でもない。よく分からんのだ」
そう言うと、百夜ちゃんが首をかしげて見せた。そうですよ。人でもマ者でもないです。『お化け』なんですから!
「器はないが人だったものが残っている。よく分からんが、お前の『お化け』というのが正しいのかも」
百夜ちゃんが行く手を指差した。
「つまらん。分かる時間はもうない」
私の必死の努力も空しく、私達はすでに最初の夜の屋敷の前に到着していた。




