虚ろ
私は緑耶さん(とりあえず人として認めてあげます)と緑香ちゃんの兄弟と連れ立って、小屋のところまで戻ってきた。霧で良く分からないが、もう夕暮れにそれほど遠くはないように思える。籠は二人に背負ってもらって、私は桶に水を汲んだものを持って歩いていた。
慌てて上着やら皮細履きやらを履いたので、まだ少し冷たい気もするが、本来の皮の香りを取り戻した上着を着ていると、なんとも晴れやかな気分になってくる。
本当なら鼻歌の一つも歌いたいところだが、男前の緑耶さんに、もしかしたら肌着姿を見られたかもしれない身としては、あまりはしたない姿は見せられない気がしてやめた。
「戻りました」
入り口のところで声をかけると、戸口から百夜ちゃんが頭を出す。他の人達は出かけているのかな? まあいい、目標は君だよ、ふふふ。
「百夜ちゃん!林檎を頂きましたよ」
「林檎!? なんだそれ」
かかったな。百夜ちゃんはするするとあっという間に梯子を下りると、私のところに突進してくる。ふふふ、私は突進してくる百夜ちゃんに桶の水を思いっきりぶちまけた。
「何をする赤娘!」
水びたしになった百夜ちゃんが、左目を見開いて私に抗議する。うんうん、このまま何もしなかったらきっと殺されるな。
「緑香さん、よろしくお願いします」
緑香ちゃんが私にやったみたいに、百夜ちゃんに向かって指を立てると、百夜ちゃんの周りにいくつもの水滴が浮かびあがった。ちょっと待って百夜ちゃん。水、真っ黒なんだけど。どんだけ汚れているの!
緑香ちゃんが指を振ると、その真っ黒な謎水は離れた空地に音を立てて落ちて行った。
「どうですか? 百夜ちゃん。髪が軽く、さらさらに……」
あれ?
この子の髪のもつれ方は筋金入りだ。天才の力をもってしても何ともならないらしい。
「確かに軽くなったぞ。変なにおいもなくなった」
百夜ちゃんが自分の大外套をくんくんと嗅ぐ。
「女、おもかろいな……だがお前の力、これは核か? おかしいな?」
百夜ちゃんがちょっと怪訝そうな顔をした。何のことやら、私には相変わらず意味不明だ。
「そうだ、『林檎』ってなんだ赤娘」
相変わらず食いしん坊ですね。
「これですよ、これ」
私は大外套の外衣嚢から、緑香ちゃんから頂いた林檎を差し出した。
「お~~、『林檎』!」
百夜ちゃんは、私のてから林檎をひったくるとくんくんと匂いを嗅いで、赤い唇を大きく開けて半分ぐらいを一度にかじった。何という食べっぷり、私もいつか本当に食べられそうな気がする。
「では、私達はこれで失礼いたします。後で兄がお迎えに上がると思います」
緑香ちゃんはそう言って、丁寧にお辞儀すると緑耶さんと一緒に霧の中へと去っていった。
「あれ、他の皆さんはどうしたんですかね?」
林檎をおいしそうに(ですよね?)咀嚼している百夜ちゃんが上を指さした。みんな部屋にいるんだ。でもいつもと違って何か違和感がある。
「ふーちゃん!」
柱の陰から弩弓を持った白蓮が現れた。そうそう、こういう謎の疑り深さとかが感じられなかったのが、さっきの違和感の正体だ。
「ごめん白蓮。林檎は一個しか……」
「大変なんだ。アルさん達がおかしい」
* * *
私は洗濯物が入っていた籠を白蓮に押しつけると、慌てて梯子を上った。薄暗い小屋の中に旋風卿、歌月さん、世恋さんの3人が、荷物の上やら床の上やらに座っている。その姿にはいつもの冒険者らしい、触れたら切るぞ的なものが全く感じられない。
「旋風卿?」
私は窓の近くに座って、ぼっと外を見ている旋風卿に声をかけた。
「どうしました?」
一応、意識はあるみたいだけど。何これ? いつもの危険人物感が全くない。普通な人に見えるのだけど、それ自体が違和感の塊みたいに思える。
「世恋さん?」
私は世恋さんの肩を揺さぶった。
「風華さん?」
私の事は分かるみたい。だけど明らかにおかしい。その目は虚ろで、心ここにあらずだ。歌月さんにも語り掛けてみたが、三人の反応はほぼ同じだった。
「百夜ちゃん!いつからこうなったの?」
「分からん」
「分からん!?」
「なんで?」
「寝てた」
「寝てた!」
普段偉そうに人の事、ああせいこうせいと言う割にどういうことですか!?
「なんで寝てたの?」
「こいつら餌を食べないから、我が食べた。そしたら腹一杯で眠くなった」
さっきの林檎は良く入りましたね。ちっ、白蓮に使うべきだった。
「赤娘、お前われの事を馬鹿にしているな?」
よく分かりましたね。ほめてあげます。
「我を何だと思っている。寝てても力をもったやつがくれば分かるぞ!白蓮とかお前とかは分からんけどな」
自分の事になると饒舌ですね。
「これって、直るの?」
「分からん」
「分からない?」
「よくは思い出せないが、これはわれらの苦手なやつだ。森から出てきた奴と同じだ」
「死人喰らい?」
「そうだ。あの何でも食べるやつ。やつらの核にはつなげない。さっきの娘も分からん。あの力は核の力だ。だがあの娘には核がない」
「核って?」
「お前たちがマ者と呼ぶものだ」
「緑香ちゃんがマ者ということ?」
違和感はあるけど、彼女自体がマ者にはとても見えない。もともとよく分かっていないけど、さらに混乱してきた。
「とても彼女がマ者とは思えない。もしかしてマ者に操られているとか?」
もしかして私って、すごく頭よくないですか?
「我にはそのつなぎが見えないのだ」
「これって、すごくまずい?」
私の問いに百夜ちゃんがこくりと頷く。
「おもかろいやつらもとられている」
私は旋風卿の前に立つと、とりあえず思いつく変顔を全部やってみた。旋風卿の反応は全くない。というか私がそこにいること自体に、気が付いていないみたいだ。
しょうがない。とりあえずその頬っぺたをひっぱたいてみる。なんだこの岩みたいな顔は、私の手が持ちません。旋風卿じゃなくて岩鉄卿とかに名前を変えた方がいいんじゃないですか?
「むだだ赤娘。だめだ」
分かってますけど、何もしないわけにはいかないじゃない。
「白男、お前だ。お前が頼りだ」
百夜ちゃんが、私達の話に割り込まないで傍観していた白蓮の方を振り向いた。百夜ちゃんが『頼りだ』なんて言葉を使うなんて初めて聞いた。
「僕が?」
言われた白蓮がびっくりした顔で答える。
「操っているやつ。我には見えん。お前が探せ」
「僕一人だと時間がかかりすぎると思うけど」
「ここの奴、お前が見えてないはずだ」
「見えていない?」
相変わらず、百夜ちゃんのいう事はよく分からない。
「そうだ赤娘、お前も見ただろ?」
なんのことやら? それよりも時間がない。今晩、宴がどうのこうのと言っていた。もう辺りは薄暗くなり始めている。
「どのみち逃げても無駄なら、こちらから飛び込むしかないという事でしょう?」
私の言葉に百夜ちゃんが頷いた。女は度胸ってことね。あれ、違ったかな?
「白蓮、時間がない。マ者らしきものを探して、何とかするしかないと思う。百夜ちゃんの言う通り、白蓮が見えていないなら、私達が宴とやらに行っている間にそれを見つけて。こっちはともかく時間を稼いでみる」
旋風卿や、世恋さん、歌月さんには一杯助けてもらった。何が出来るかは分からないけど、今度は私達の番だ。
「白男、火を持っていけ。赤娘お前もだ。われらが苦手なやつはだいたい火に弱い」
「火ってどうやって?」
百夜ちゃんが白蓮の腰にある角灯を指差した。
「確かに、ここは火気厳禁だって緑香ちゃんが言っていた」
「ここの『神』の弱点という事か?」
白蓮が呟いた。
「時がない。やつらが迎えに来た」
白蓮が素早く、私に角灯と予備の油を渡すと、装備を持って梯子を下りていく。がんばれ白蓮、本当に君が頼りだ。
「もう、寝てないでおきてたら、もっと時間があったのに!」
「お前だって、洗いにいってただろう!そもそもお前が昨日の夜に……」
黙れ黒娘。
リーン、リーン!
下で鳴らされた鐘が私達の口論をとめた。
「お迎えに上がりました」
緑耶と名乗る何かの声。確かに百夜の言うとおりだ、もう時がない。




