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隠れ里

 船が進むにつれて立ち枯れた木も見えなくなった。どうもこの湖はそれなりの大きさがあるらしい。


 櫓のきしむ音と、それが水を弾くわずかな水音だけが響く。相変わらずの濃霧の中で、だんだんあたりが薄暗くなっていき、このままだと何も見えなくなるのではないかと思った時に、行く手に小さな黄金色の明かりが灯った。


 船がその明かりに向けてゆっくりと進んでいく。やがて霧の中に、非常に簡素な桟橋と、そこで角灯らしき物を持つ人影が見えてきた。その人影は私より少し小柄だった。


「お兄様、ご無事でなによりです」


 船を進める男と似たような、袖なしの外套と頭巾をかぶった人影が口を開いた。その声は若い女性の声だった。


「妹の『緑香(よりか)』です。ご紹介が遅れました。私は、『緑耶(ろくや)』と申します。桟橋の丸太は滑りやすいので、皆さん足元に気をつけて降りてください」


『緑香』と紹介された女の子が、頭巾をとって私たちに丁寧にお辞儀をした。角灯の明かりに照らされた顔は深緑色の髪と、もっと黒に近い深緑色の目をもつ少女だった。肌の色は兄と同じで青白く、その長い髪を緑の蝶の髪留めで後ろに結んでいる。世恋さんを見慣れた私の目でも、兄同様整った顔立ちを持つ美しい少女だった。


 手に持つ角灯も、ちょっと見たことがない、末広がりに大きくなる三角錐のような形で、くもり硝子の向こうで、光が揺らめくことなく輝いている。下の縁にはなにやら複雑で入り組んだ文様が描かれており、私のような庶民がお目にすることがなさそうなものだ。


 私達は葬儀の列のように、先頭を歩く二人の後に続いて、桟橋から続く坂道を登っていった。


 辺りはすでに真っ暗で、角灯が照らす範囲しか見えない。両側には何やら丸太の柱のようなものが何本も見える。見上げると、その柱のかなり上の方に小屋のようなものがあった。話にのみ聞く、遠く東の湿地帯にあるという、水の上に家をたてるような作りなのだろうか?


 その作りはとても簡素で、窓も下ろし戸の家というよりは倉庫や作業小屋のような感じだった。僅かに空いた窓の隙間から、何かがこちらをじっと見ているような気配を感じる。


「ふーちゃん、大丈夫?」


 白蓮があたりをきょろきょろ見回して、皆から遅れ気味だった私の手をとって歩き始める。なんか不思議な気分。少しだけ耳の後ろが熱くなる。


 しばらく進むと、他の柱よりは一回りは太い柱の列の前で、先を進む二人の歩みが止まった。少女が手元の角灯を上に向けて大きくぐるぐると回すと、木のきしむ音に続き、上から長いはしごが彼女の前へと降りて来た。


「どうぞ足元にお気をつけて、兄に続いて登ってください。登るのに邪魔になりますものは、こちらに置いていってください」


 緑香と紹介された少女が、私達に向かって再び丁寧にお辞儀する。歌月さんが肩をすくめると、腰の細身の剣の鞘を帯革から外して、それを柱に立てかけて置いた。


「これだけでいいか? それとも刃物類は全部おいてくかい?」


 歌月さんが緑香ちゃんに問うた。


「腰のものだけで結構でございます。入り口も大変狭いのでお気をつけください」


「とても()()()に、ありがとうね」


 歌月さんの嫌味にも、緑香ちゃんは全く動じる様子はない。歌月さんはもう一度肩をすくめると、緑耶さんに続いて梯子を上っていった。


「皆さんが登った後で、私は最後に登った方がよさそうですな。お嬢さんはどうします?」


 旋風卿が肩の上の百夜ちゃんに問いかけた。


「このままでよいぞ」


「では私の背中に捕まってください。それと、後ろから首を絞めないでくださいね、百夜嬢」


「私は白蓮の後から登ります」


 下から白蓮にお尻を見上げられるのだけはぜったいやだ!断固拒否!


「では白蓮様の後で、風華さん、私の順番で行きましょう。どうやら歌月さんは、無事に上まで行かれたみたいですし」


 白蓮に続いて梯子を登り始めた。白蓮は私があせらないように、ゆっくり登っているらしい。その動きに合わせて私も足と手を動かしていく。暗くてよくわからなかったがかなりの高さだ。それに手元、足元が良く見えないので探るように動かす感じになる。


 明かりは下で緑香さんが持つ角灯と、先に上ったお化け(緑耶)が持っているらしい角灯の光だけだ。でも良く見えたら、それはそれで怖くて登れなかったかもしれない。


 階段の一番上、入り口の軒になっているところに上がった時に、二つの手が私に差し出された。一つは白蓮の見慣れた手。もう一つは、お化け(緑耶)のもうちょっと大きい男らしい手だった。私は迷うことなく白蓮の手を掴んだ。白蓮がその手を引いて私の体を引き上げてくれた。


「みなさん、助けがいらない方々ばかりですね」


 お化け(緑耶)の声。この風華、見知らぬお化けの手を簡単に握るほど、安っぽい女ではありません。あしからず。


 前には三辺を太い木材でくみ上げられた、入り口らしきものが口を開けている。その高さは子供の背の高さ程度しかない。


 白蓮に続いてその中に入ると、そこはちょっとした広間のような場所だった。天井も高い。ただ床も天井も板をはっただけの非常に簡素な作りだ。四隅に大きめの燭台らしきものがあり、油紙のようなものの向こうで黄金色の光を放っている。その光は緑香ちゃんが持っていたような、ちょっと不思議な感じのする灯だった。


「この村は、すごいお金持ちぞろいかい? マ石をこんなに惜しげもなく使うとはね」


 四隅の灯を見た歌月さんが、呆れた様な声で告げた。


「マ石ですか?」


「そうだよ風華。あの燭台も下の娘がもっていたのも全てマ石を使った明かりさ。普段使う明かりにマ石を使うなんて贅沢は、相当な金持ちか、王侯貴族様ってところだね」


 えっ!ちょっと違うとは思っていたけど、そんなにお高いものなんですか? 確かに全く明かりに揺らぎが感じられない。


「ただ、目の前にいるやつを見る限り、王侯貴族とはとても思えないけどね」


 歌月さんが顎をしゃくった先には、小さな人影があった。その丸まった背中からは老いを感じさせる。


 着ている服は私が見たこともないもので、洗いざらしの木綿だろうか? 何も着色しているように見えない、すこし厚手の生地の服を前止めで羽織っている。その袖がとても長く、足を包むものはまるで女性の腰巻で細履きを作りそれを足元で止めているように見えた。何か舞などの為の特別な衣裳なのだろうか?


 その丸めた背の真ん中には、長く伸びた眉毛とあごひげを持った老人の顔があった。その目はまるで眠っているかのように閉じられている。

 

 背後から響く大きな足音。一番最後に上って来たらしい旋風卿のものだ。彼が歩くたびに、床がその振動で跳ね上がる。正直この床板は大丈夫なんだろうか? 抜けたりして下に落ちたら、私は確実に死ぬと思う。


「おー、跳ねるのおもかろいな」


「客を呼ぶには殺風景なとこですな」


 相変わらずのこの二人。ほんのちょっと前まではこんな人たちと知り合いになるなんて思いもしなかった。今ではこの人達がやる事、言う事が予想できるようになってしまった自分が怖い。


「なかなか賑やかな方々ですな」


 老人が声を発した。


「これは大変失礼しました。望んできたわけではないので、自分達がどうあるべきか、よく分かっていないのです」


 旋風卿のいつもの嫌味。


「ほほほほほ、愉快な方だ。我らの『神』がお招きしたのですからな、お客人であると同時にもうこの里の仲間と呼んでもいいと思いますよ」


 目の前の老人が手を叩きながら笑い声をあげた。私が見る限りでは、どうやらこちらに悪意はないように見える。危険人物(旋風卿)も本当にいい加減にして欲しい。怒らせたらどうするつもりだったんですか?


「私は、この里の長をしている『基頼(もとより)』と申すものです。ああ、みなさんの紹介は後ほど里のものが集まった時にしてもらえれば結構です。ここではあまり外で何をしていたかなどは誰も気にしませんのでのう」


「『基頼(もとより)』殿ですかな? どこかで聞いたことがあるような名のような気もしますが?」


「何かの勘違いでしょう? この里に住んで何年になることか、外とは全くつながっておりませんからな」


 旋風卿らしいさぐりにも全く動じることがない。


「いくつか質問をすることは許されますかな?」


「何なりと。私で答えられるものであるならば」


「この村、いや『里』ですか? ここはどのような場所なのでしょう? 私はここのことを聞いたことがありませんでした」


「『隠れ里』ですな。黒の帝国が滅んでこの地が森で覆われた時に、『神』のお力にすがってこの地に隠れ住んだのがはじまりですな。この地は『神』のお力によって、マ者からもそれ以外からも守られております。あなた方は『神』の試練を超えてここにたどり着いた。つまり『神』によって選ばれた方々です」


「その『神』ですが、私もお会いすることはできますかな?」


「もちろんですとも。明日、日が昇れば皆さんもお会いできます」


 そういうと、老人は手を叩いて、明かりの下でよく見ると、やはりかなり顔立ちのいいお化け(緑耶)を呼んだ。


「夜も更けた。お疲れだろうから、どこか空いている部屋に案内して差し上げなさい」


 どうやら長との会見は終わりらしい。私達は、お化け(緑耶)に即されてまた梯子へと向かった。

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