異変
結局、私達は旋風卿が『城砦』で写してきたという、落書きのような地図を信じて、その少し先から旧街道を左に道を外れた。その先は木が多少まばらになって、林のようになっているところだった。足元には真っ黒な葉の落ち葉が、足首ぐらいまで溜まっている。
当初は軽い下りだったのだが、途中からはそれなりに勾配のある下りになった。私なんかは落ち葉に足をすべらせて、すぐに転びそうになる。その度に白蓮に手を引いてもらって助けてもらった。これ後で登れと言われたら、正直なところ絶対に無理。
百夜ちゃんなんかは、馬ではなく旋風卿の肩にのって坂を下っている。だが、しばらく行くと急な坂も終わり、なだらかな下りが続く、もっと高い木々に囲まれた森の中に入った。森の中にはうっすらと霧がかかっている。旋風卿が言う様に、水場が近くにあるのかもしれない。
私の前を行く歌月さんや世恋さんが、それぞれ弩弓と弓をつがえて周りだけでなく、上も警戒しながら進んでいく。この高いどれも似たような木立に囲まれていると、自分たちがどの方向から来たのかすら、分からなくなりそうだ。
腰までの熊笹や枯れ木が行く先の視界を妨げ、馬を連れての移動はとても難しい。一歩進むのにも大変で、息が上がってきて汗が出てくる。白蓮が私に水筒を押し付けると、馬の手綱と食器などを入れていた背嚢を私から奪うように預かってくれた。
『ありがとう白蓮』
少し恥ずかしいので、心の中でお礼を言った。斜面を降りてからどれだけたっただろうか? 旋風卿が手信号で『待て』の合図を皆に送った。
「おかしい。私がつけた目印が私の前方にある。誰か他に目印をつけたものは?」
歌月さんと白蓮が手を挙げた。白蓮、お前意外とやるな。
「私も同じことを聞こうと思っていたよ。私の印もそこにある」
そう告げると、歌月さんが先にある木の幹に刻まれた印を指さした。
「僕のはまだ前には無いですが、この旋風卿がつけた目印には見覚えがあります」
「世恋?」
「方位石は随時確認しました。西に向かっていたはずです」
「どういう事だい」
歌月さんの問いに旋風卿が両手を広げてみせた。旋風卿にもさっぱりらしい。もしかして私達って道に迷いました?
霧もさっきより濃くなっているような気がする。私達の不安を感じ取ったのか、馬達が神経質そうに嘶いた。この子達のやせてたるんだ腹の皮を見ると、本当に切なくなる。
「世恋、今度は方位石から目を離さないように。それできっちり西に向かって移動する」
旋風卿の指示に世恋さんが頷く。彼女は弓を後ろにしまうと、首からぶら下げて胸元にいれていた、方位石が入った小さな球体を前に掲げた。世恋さんって、何でも胸元なんですね。
「あまり大盤振る舞いはできないが、各自マナ除けはもう一度つけておいてください。何があるか分からない」
「旋風卿、少し休憩してから行きませんか? 大分疲れました」
旋風卿が私の姿をちらりと見て頷いた。
「では、小休止としましょう。だが、日が暮れる前にはこの謎はとかないといけない」
小休止をとった後、私達は方位石を持った世恋さんを先頭に森の中を進んでいく。旋風卿と歌月さんの二人が目印をつけ、後ろを歩く白蓮が、その目印を確認しながら歩いた。百夜ちゃんはそこが気に入ったのか相変わらず旋風卿の肩の上だ。
半刻(一時間)程度歩いただろうか? 再び旋風卿が『待て』の合図を送る。旋風卿が指し示す槍の穂先には先ほどの目印と新しくつけた目印の両方があった。
「世恋?」
「今回は一瞬たりとも方位石から目は話していません」
世恋さんが、方位石をじっと見つめながら答えた。
「その方位石は大丈夫なのかい?」
歌月さんが疑わしそうに、世恋さんが掲げた方位石を覗き込んだ。
「旧街道で見ていた限りでは、壊れた様子はありませんでした。壊れているなら、こんなにぴったりに元の場所に戻って来れるものでしょうか?」
「確かに、あまりに正確に戻って来過ぎだね。それに目で木々を確認した限りでは、まっすぐ進んでいるつもりだった」
歌月さんの言葉に旋風卿が頷く。
「これで決まりですな。何かの力が働いている。世恋、何か感じるかい?」
旋風卿の言葉に世恋さんが、ゆっくりと首を横に振って見せる。
「百夜様。何か分かりますか?」
「さあな」
世恋さんからの問いかけに、百夜ちゃんはそう答えると、意外と高さのある旋風卿の肩からひょいと地面に降りた。相変わらず身が軽い。地面を見ながら何かぶつぶつ言うと、私達の周りをぐるぐると回っている。
「うん、何かあるな。何かこちらに伸ばしているものがいる。お前には分からんか?」
世恋さんが再び首を横に振る。百夜ちゃん、もしかして、世恋さんを勝手に弟子扱いしてません?
「百夜嬢、ここから抜け出る道を見つけることはできますかね?」
旋風卿がその大きな体を折って、百夜ちゃんに問いかけた。その姿は、私達が旋風卿に最初にあった夜を思い起こさせる。
「お前達が見てろと言うから、眠くてしょうがないのに、これを追ったら今度は腹が減る。嫌だ」
百夜ちゃんは右足で地面を「トントン」と叩きながら「ぷい」と横を向いた。皆さん、百夜ちゃんの扱い方が分かっていないですね。この子はおなかが減ると機嫌が悪くなるんですよ。
「百夜ちゃん、これなーんだ」
私は、自分の大外套の内衣嚢から、とっておきの一品を取り出して彼女の前で振って見せた。
「じゃーん。私が隠し持っていた干し肉です」
百夜ちゃんの左目が大きく開かれる。
「おーーー、干し肉!」
私に突進する百夜ちゃんを片手で押さえる。ここで簡単に渡すわけにはいかない。
「百夜ちゃん、ご褒美はちゃんと働いた人だけですよ。働いてくれないと、これは私のおなかにいっちゃいます」
私は上を向いて口を開けると、干し肉をその上へと持って行った。
「赤娘!よこせ。それを食べたら、お前を食べる!」
* * *
「馬はここに置いていけ。いると読めない」
百夜ちゃんがちらりと私を見る。私は手にした干し肉をふりふりして見せる。百夜ちゃんに食べられると困るので、半分を渡して残りはまだ私の手元にあります。
白蓮が馬達の綱を最大に長めにとってつなぐと、残り少ない根菜類と水を与えている。できれば放してやりたいところだけどそうもいかない。
「赤娘、我を干し肉で……この恨みは忘れん」
いつも充血気味の左目を今は真っ赤にして、こちらをにらみますが、ふふふふ、どれだけ一緒に居たと思うのですか? その程度で私がビビると思ったら大間違いです。
「『働かざる者食うべからず』、『緑の三日月』の座右の銘です。だよね白蓮?」
いきなり振られた白蓮が、目をそらして聞こえなかったふりをする。百夜ちゃんに恨まれるのなら、お前も一緒だよ白蓮君。
まだぶつぶついいながらも、百夜ちゃんが地面を見つめている。気が付くと、さっきよりさらに霧が濃くなっている。もう木の上の方が見えないくらいだ。
「これか?」
百夜ちゃんはそうつぶやくと、その先の笹藪の中に入っていった。その動きはまるで木鼠のように素早い。馬から下した荷物も背負ったこちらは、彼女を見失わないように追いかけるだけで必死だ。
百夜ちゃんは不意に止まると、地面を覗き込んであたりをぐるぐると回っては、また走り出すという動きを繰り返した。
その動きは子供の何かの遊びみたいに見える。私はもう息も絶え絶えだ。子供の頃はこんなことなんでもなかったのに、いったいどうしてこうなってしまうんだろう。
「見つけた」
百夜ちゃんが地面から顔をあげると、前にあった熊笹の茂みをゆっくりとかき分けて入っていった。いつの間にか角灯の明かりがないと、周りがみえないのではないかというような濃霧だ。
茂みを抜けた先には、その濃霧を纏った水面が、まるで鏡の様に静かに広がっていた。




