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花輪

 花輪(かりん)と名乗った少女は、夕飯の片づけをすると言って、野営地からすこし離れた小川の傍の立ち木の陰に居た。危ないから一緒に行こうと言った、白蓮という男の申し出を断るのは手間取ったが、ついでに用も足したいのだと言って、なんとか一人でここに来ることができた。


 冒険者用の薄手の金属で出来た食器や、折りたためるようになっている調理器具を、小さな小川の流れで洗いながら、文書を足に隠した使い、先触れをそっと離す。訓練されたその鳥は、彼女が呼べば現れ、そして先触れの文書を目的地へと運んでいく。


 鳥はしばし草の間を跳ねていくと、少女から少し距離を開けてから、東の空に向けて羽ばたいて行った。


 夕刻をすぎてから飛ばしたから、着くのは明日の昼過ぎになってしまうだろうか? 一仕事を終えた安心からか、思わず肩の力が抜ける。後はともかくあの人のいい赤毛の子に取り入って、誰がこの中で結社を操る元、あるいはそこにつながる者が誰かなのを探るだけだ。塊の街で領主の奥方にやったのと同じ様にすればいい。


 うまくかき回せれば、森に入る前にもう少しここに彼らをくぎ付けにできるかもしれない。そうすれば、人数を揃えて他の監視役とも協調できるようになる。


 ただ、村に入り込んだ後で、マ者の襲撃まで起きるとは思っていなかった。あそこで生き残れたのと、こいつらにうまく取り入れたという事を考えれば、今回は運も味方している。


 花輪は思わず浮かびそうになる笑みをこらえた。後はあの方の懸念を払拭し、邪魔するものが居れば排除するのみだ。


「花輪様、少し私とお話しして頂いてもよろしいでしょうか?」


 背後から不意に声が聞こえた。いつの間に背後を取られていた? 花輪は、袖の中に隠し持った投擲用の小刀を手の中に滑らせた。


「そんな、お話をするだけです。どうかその小刀はお納めください。それに丁度、先触れのお仕事が終わったみたいですし、都合もいいように思いますが?」


 こちらの動きは完全にばれている。少しでも隙を伺うべきか? そう判断した花輪は、ゆっくりと後ろを振り返った。一応、顔にはおびえた表情を浮かべてみる。


 振り返った先では、金髪で青い目の冒険者が、その整った顔に作り笑いを浮かべてこちらを見ていた。まるでどこかの貴族の家においてある人形みたいだ。見れば特に獲物を抜いているわけではない。殺して逃げるか?


「花輪様とは、ずっとお話ししたいと思っていたんです。花輪様は私にすごく似た境遇だと思っていましたから」


 殺すことはすぐにでも出来る。辺りに他の人間の気配は感じられない。だいぶ辺りも暗くなってきた。背後の川沿いに逃げれば、姿をくらますことも容易だろう。


 だがそれでは、今回の任務を果たしたことにはならない。もう手遅れではあるが、殺して逃げる前に、この女から少しでも情報を得るべきだろうか?


「世恋様、何のことでしょうか?」


 女冒険者は、私の問い掛けを無視して言葉を続けた。 


「でも私の方が少しだけ、あなたよりひどいような気がします。生まれた時から家に縛られて、さらに呪いまで受けていますから」


「私にはさっぱり……」


 女冒険者が、その整った顔に再び笑みを浮かべて私を見た。


「花輪様はよく分かっていらっしゃるはずです。分からないとすれば、事実から目をそむけていらっしゃいませんか?」


「事実……ですか?」


「そうです。私は事実が大好きなんです。一緒に何が事実かを考えましょう」


 この女冒険者は何を言っているんだ?


『家』、『呪い』もしかすると今回の件と何かつながりがあるのかもしれない。ともかくこいつに喋らせて、何を知っているのか確かめないといけない。


「では、僭越ながら私からご説明させていただきます。失礼ながら花輪さんは、人を殺すのはそこそこお上手みたいですが、今回みたいなお仕事はまだ不慣れなのではないですか?」


 不慣れ?


「農家であんな殺し方をしたら、ここに曲者がいるって教えているようなものです。諸刃の小刀、それも投擲なんかで殺したらだめですよ。そうですね。せめて薪とか鍬とか使わないと。外に出て行った血の跡や足跡ぐらい残さないといけません。殺したものは中にいますよと言っているようなものです。杜撰すぎます」


 こいつは何者なんだ。人形みたいな顔をしているのに……。


「白蓮様でもお気づきかもしれませんね。多分、気が付いていないのって、風華さんぐらいではないでしょうか?」


 今すぐ、殺して逃げるべきだと思うのだけど何故だろう。自分はこの先を聞かなくてはならないと心のどこかが言っている。


「どうしてこんなに未熟なあなたを、私達のところに送り込んできたのでしょう? 答えは簡単ですね。あなたが不要になったからです」


 私が不要!?


「どうして花輪さんは不要になったんでしょうかね? 何か失敗しました? それとも何か知ってはいけないことでも知ってしまいました? それともあなた以外の誰か、代わりが見つかったんでしょうか?」


『失敗?』『代わり?』


「花輪さん、あなたも壊れた道具は捨てるじゃないですか? 同じですよ。あなたも誰かにとっては壊れた道具なんですね」


 道具、私が?


「それで私達に処分させようとしているんですね。そんな理由で私達に殺されるなんて悔しくはないですか?」


 壊れた? 何を言っている、私はあの方の役に立っている!


「人は自分で自分の事実に向き合うべきだと私は思っています。あなたが他の人に役に立っていると信じている真実は、事実なのでしょうか? 単に道具として使われているだけではないのですか? それも今は壊れた道具です」


 殿下は私に、ここで死んで欲しいと言われているのですか? もう必要ないと。何であろうと、殿下の望みが私の望みです。私の心臓の鼓動の一つも、血の一滴も殿下、全てあなたの為にあります。


 初めて私が殿下にお会いした時の事を覚えていらっしゃいますか?


 私が孤児院から父様につれられて、王宮に突然連れていかれた日の事です。私を見るすべての人が、まるで何かの汚れが落ちているかのように私を蔑む中で、部屋で私を待っていた殿下は、私にこう仰ってくださいました。


「お前は腹がたたないのか?」


 殿下のお言葉です。


「何もすることもなく、なんで生きているのかも自覚もないやつらが、こんなところでのさばっていることにだ!」


 思わず顔を上げた私の目をじっと見ながら、あなたは私に語りかけてくれました。


「俺は腹が立つ。心底腹が立つ。人間としてお前とやつらになんら違いはないのだぞ!俺とだってなんら変わりはない。こんなくだらない世界を変えたかったら、お前の手を、足を動かせ、頭を使え。お前が本当にこのくだらない世界を変えてくれるのなら、俺は喜んでお前に俺の心臓をくれてやる」


 殿下……殿下……。貴方は私に生きる意味を、生きる目的を与えてくれました。私は少しでも殿下のお役に立てましたか?


 何で、私はあなたにとっていらなくなってしまったんでしょうか?


* * *


「おもかろい妹、終わったか?」


 花連の元をさった世恋に百夜が声をかけた。その指の間には何が面白いのか、蜻蛉を山ほど捕まえている。


「百夜様、世恋です。百夜様のご助力のおかげで何とかなりました。私一人では無理でした」


 世恋が、百夜にペコリと頭を下げた。


「ちょっとつまらなかったな。あの娘もちょっとおもかろい子だったぞ。残念、残念」


 百夜がさも残念そうに口をとがらせた。


「ご希望に添えなくてすいませんでした」


 背後の木の陰で何かが倒れる音がする。


「だが赤娘はまたあばれるぞ。そういう奴だ。強く弱い」


「そうですね。明日は可能な限り風華さんのご希望に添えるよう努力いたします」


 世恋は背後を少し振り返りながら言葉を続けた。


「百夜様、風華さんが私の事を……」


 世恋はそこで言葉を飲み込むと、百夜に向けてにっこりとほほ笑んだ。


「もう何日も水浴びすらできてないですね。今度またみんなで一緒にお風呂にはいりましょう!」


「風呂か、あれはよい」


 あたりはもうすっかり闇が落ちている。百夜が手にした蜻蛉を全部離すと、二人連れ立って、立木の先へと消えていった。


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