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渡り

 男達の背中を通り越すように、私達はその集団の中をあっという間に駆け抜けていった。だが坂を上り切ったところで、前を行く旋風卿の馬の足が止まった。


 前に続く下り坂の先には砦柵が設けられており、探索路の道は、その砦柵のわずかに空いている門から中へと続いている。砦柵の右手側には集落らしいものがあり、焼け落ちた家から上がった黒い煙がこの風雨の中で右へ右へと押し流されていた。


 先ほどの争いはここを襲撃したものと、ここから逃げ出したものの争いだったのだろうか?


 背後から私達に追いついたらしい男が歌月さんの方へと近寄り、その手綱を奪おうとした。歌月さんは抜く手を見せずに細身の剣で、男の手を切り落とすと、その胸を一突きして足で蹴り飛ばした。地面に倒れた男の口から絶叫が漏れる。


 他にも幾人か、こちらに向かってこようとした男達にも、世恋さんが放った弓が突き刺さった。信じられないという表情で、自分に突き刺さった矢を見ながら男達の体が崩れ落ちていく。


 私は歌月さんと白蓮の後ろで必死に馬をなだめながら、二人が一顧だにせず男達を倒した姿を呆然と眺めていた。本当にこれは歌月さんと世恋さんなんだろうか? まるで知らない誰かを見ているようだ。


「砦柵沿いに右手に行くしかなさそうだね。中から狙撃されたらおしまいだけどこの風と雨だ、よほど運が悪くない限りは……」

 

 歌月さんの話の終わりを待たずに、鳴り響く雷鳴の中で旋風卿がうめいた。


「愚かな!」


「どこに逃げてるんだい!」


 歌月さんも旋風卿の視線の先を見て叫んだ。彼女の視線の先には、坂の上から落ちてくる「死人喰らい」から逃げようと、何人かの男達が森へ入っていく姿があった。


 よく見るとその男達だけでなく、さらに何人もの人間が坂を避けて森の中へ逃げ込もうとしている。その背後では坂を下りて来た黒い塊が、地面に倒れている人々の上へとのしかかっている姿も見えた。


 まだ息があるものもいたのだろうか。下半身を黒い塊に飲み込まれた男が、必死に手を前にだして逃れようとしている。私の知っていた世界は、日常はどこに行ってしまったんだろう。私はこの辺りの住人達と日々、村や広場で仕入れの為に顔を合わせていたのに……。


「まずい、後ろのやつだけじゃない。他のやつらも来る。ともかく右へ」


 歌月さんの言葉がそこで途切れた。


「何てことだい!『(わた)り』までいるとは……」


 森から人の背丈の1.5倍はあろうかという茶色い何かが飛び出してきた。全身が茶色の羽毛で覆われているが、ところどころ白い羽毛があってまだら模様になっている。その翼は短い風切り羽がまばらに生えているだけだ。尾羽も短くそれもまばらだった。


 その足は鳥のものというよりは地面を素早くかけるための強靭な足のように見えた。その先には鋭い鉤爪の様な物も見える。そして太く長い首の先にのった頭には、大きく丸い黒い目と、茶色く光る大きな鉤嘴がついていた。


 それは森の縁から軽く跳躍すると、逃げ遅れた男をその鉤爪で捕らえ、その嘴を男の腹へと突き刺して持ち上げた。男の腹から出た何かの臓物が、振り上げたその嘴まで長く伸びる。赤く染まった嘴が降りしきる雨に、あっという間に元の茶色を取り戻していった。

 

 そしてそれは、その茶色く光る嘴を大きく広げると、


 クックェーーーー!


とけたたましい鳴き声を上げた。森の中からも同じ鳴き声が響き渡たり、森から歌月さんが「渡り」と呼んだマ者がさらに数羽姿を現した。その一匹は嘴にかっては人だったものの何かとらえている。さっき森に逃げ込んだ男の上半身だ。

 

 今では数少ない生き残った者達が、叫びながらあたりへと散っていく。「渡り」達はその背中に鶏が餌の豆をついばむように、次々とその鋭い嘴を打ち下ろしていき、その度に赤い何かがあたりに飛び散り、雨水に流されていった。


「全員あの柵の入り口から中へ!」


 それを見た旋風卿が叫んだ。


「ふーちゃん!しっかりしろ!僕の後に続くんだ」


 白蓮が呆然と打ち倒されていく男達を見ていた私の腕をつかんで叫んだ。私は馬の首を返すと白蓮に続いて馬を駆った。私と白蓮が柵の内側に入ったのを見た旋風卿が、手で押さえていた下し門から手を放すと柵は鈍い音をたてて地面へと落ちた。


「まさか『渡り』がいるとは。運がないですな。やつらにはこの程度の壁や柵は何の役にも立たない。こんな柵など簡単に飛び越えて入ってこれます。それに馬よりもはるかに早く走れる。馬で走って逃げるのは自殺行為ですな」


 旋風卿は私達を見渡すとそう宣言した。


「だがやつらは目と耳はいいが、匂いはそれほど敏感ではない。それに夜目が効かない。この豪雨でやつらの耳は役に立たないでしょう。ともかくこの中、どこかに隠れて夜まで、やつらの目が効かなくなるのを待って脱出するしかないですな」


「死人喰らいはだいじょうぶでしょうか?」


 普段でも色白な顔を、さらに蒼白にした白蓮が旋風卿に尋ねた。


「あれだけの餌があるのでしばらく時間は稼げる。基本的にやつらは屍骸専門だ。この柵の中が死体だらけでもなければなんとかなるでしょう。それに奴らには砦柵が少しは役に立つかもしれない。議論している時間はない。ともかく隠れられるところを探すのが先です」


「馬はどうする、逃げだすときに必要だよ」


 歌月さんが、馬をなだめながら旋風卿に聞いた。


「どこかにつないでおくしかないですな。やつらは馬は襲わない。馬で脱出できるかどうかは時の運という奴です」


 クークック……クークック


 柵の向こう側から、鶏のような、鳩のような鳴き声が滝のように落ちる豪雨の音を通して聞こえてきた。私達は手前にあった数件の家を回り込んで、奥に見える二階建ての一番大きな屋敷に向かって馬を走らせた。


 屋敷の裏庭のようなところに出ると、そこにあった馬繋場に馬を繋ぐ。ごめんなさい。本当は自由に行かせてやりたいのだけど、貴方にまた助けてもらわないといけない。


「ドスン、ドスン」と背後の家の向こう側に、何か重たいものが着地する音が響く。再び鶏のような、鳩のような鳴き声が上がる。今度の鳴き声は、雨音を通してもはっきりと近くに聞こえた。


 私は白蓮と一緒に百夜ちゃんの手を引いて、馬繋場の先にあった切りわらを積んだ納屋に入った。旋風卿がそこから母屋に通じていた扉を蹴飛ばすと、軽く何かが外れて向こう側に落ちる音がして扉が開いた。


 みんなで母屋の中に飛び込むと、旋風卿は外れた扉を再びはめて、落ちていた閂をはめ直した。表では、「ドス、ドス」という何か重たいものが歩き回る音がして、表に止めた馬たちがその音に驚いたのか、嘶きと前足をける音が途切れることなく聞こえる。


 本当にごめんなさい。あなた達だって怖いよね。


 私は心の中で馬達に再度謝ると、家の中を見渡した。母屋の中は薄暗く、その暗さに慣れていない目には辺りの様子は全く分からない。その暗闇の中で短刀が鞘から引き抜かれる音が静かに響いた。


 やっと慣れてきた目には、私と百夜ちゃんを中心に、白蓮、歌月さん、旋風卿、世恋さんがみな短刀を引き抜いて辺りを油断なく見守っているのが見えた。そしてそこが台所兼、農具などを収納する土間であることも分かった。


 白蓮が私と百夜ちゃんの外套の頭巾を取ると、竹筒の中に入っていたマナ除けを振りかける。もう一本取り出すと、それを今度は自分のおさまりの悪い頭にふりかけ、横にいる歌月さんにも振りかけた。


 彼はさらにもう一本取り出すと、後ろから旋風卿、世恋さんの頭巾を外してマナ除けを振りまいた。辺り一面に湿った土間の匂いに加えて、さらに土臭いマナ除けの匂いが充満する。


 あまりの臭さに顔をしかめた私の先、土間の土の床に何かが横たわっているのが見えた。白髪に茶色い毛の肩掛けが見える。年老いた老婆だった。


 その目は見開かれたまま動く気配はない。土間の床には彼女のものと思われる、薄黒い血だまりができている。台所から先には半開きの引き戸と、そのすきまから差し出された動かぬ手が見えた。


 納屋の方では馬の嘶きがまだ続いており、地面からは岩でも上から落としたような振動が、私の足へと伝わってきた。その度に、あたりの板からも「ビリビリ」と振動音が響いてくる。


 旋風卿が手信号で合図すると、左右にいた白蓮と、世恋さんが土間の方からその半開きの戸の左右へ移動した。世恋さんが開けた扉の先に白蓮が飛び込む。一瞬の静寂。扉の向こうから白蓮の右手が差し出され、握拳を上から前へと差し出した。


 世恋さんが扉の先へ身をすべらして中に入り、歌月さんが、私と百夜ちゃんに先に進むように手で合図する。私は百夜ちゃんの手を引いて、男の遺体を飛び越えて扉の中に入った。


 続いて歌月さん、旋風卿が続く。最後に入った旋風卿が遺体を中に引き込むと後ろ手で扉をしめた。


 暗闇の中に小さな明かりがともる。白蓮が腰につるしてた小さな冒険者用の角灯に火を着けたらしい。一瞬辺りが黄色い光に照らされるが、すぐに覆いを落としたらしく、それは白蓮の足元に小さな黄色い円だけを描きだした。黄色い円のすぐ外側では、世恋さんが板床に耳をつけて音を探っている。


 屋敷の周りに響く甲高い鳴き声や、何かが動く振動は依然と足元の床板を通じて体に響いてくる。私は濡れた体で百夜ちゃんを抱きしめながら、なんとか体の震えを抑えようと努力していたが、それはまったく無駄な努力だった。


 私がつけている革帯の金具がカタカタと小さな音を立て続け、4杖(4m)四方の板部屋の中に小さな金属音を響かせ続けている。


 だがそんな小さな音など気にする必要など全く無かった。上からは雷がなり響く轟音に、屋根にあたり流れ落ちていく滝のような雨音が全てを圧して鳴り響いている。


 世恋さんは左手をちょっと上げると、人差し指を素早く二回前方へ折り曲げた。歌月さんが奥へと続く扉の位置に素早く移動して扉の外を伺う。そしてゆっくりと扉に手をかけた。だが何かが打ち付けられる音がしたかと思ったら、続けて木が裂けて上から何かが落ちる音が響いた。


 頭の上にホコリとも砂とも分からないものが落ちてきて、うなじから上着の背中の方まで落ちていく。外の雨音が一段と大きくなり、「クークック」というあの鳴き声が扉の向こうから響いてきた。


 何かが踏みにじられて再び木が裂ける音が、扉の左側の方から風が吹き込む音と一緒に聞こえてくる。歌月さんがその風にがたがたと揺れる扉を素早く手で抑えた。


 壁に何かがこすれる音、そしてひっかくような音が続く。誰もが足元に横たわる死体と同じように身動き一つせずにじっとしている。何かを探るような音。


 いったいどれほどの時間が過ぎたのだろうか、その音はだんだんと遠ざかり、雨音の中へと消えていった。そして床を通じて感じられる、何かが辺りを徘徊する振動も、それに合わせて次第に小さくなっていった。


 止めていた息を思わず吐きだす。あまりに力をいれて抱きしめていたのか、百夜ちゃんが、小声で「痛い」と言って私の腕からすり抜けていった。


 百夜ちゃんを失った私の体の震えはよりひどくなり、自分の腕を自分で押さえても止まりそうにない。白蓮が私の腕の上からそっと倒れこみそうな私の体を支えてくれた。

 

「百夜様?」


 世恋さんが小声で百夜ちゃんに問いかけた。


「別の餌、見つけたな。今はこの近くにはいない」


「あんたは探知もちかい?」


 歌月さんが怪訝そうな顔をして白夜に訪ねた。


 世恋さんが言うには、どうやら彼女は近くにマナを持つ何かがいると分かるらしく、彼女の「おもかろい」という言葉は、それを表しているらしかった。だから私や白蓮は彼女から言わせれば「つまらない」奴らという事になる。


「『たんち』? でもまた来るだろうな。あきらめてない。あれはなんだ?」


 百夜ちゃんは私の背後を指さすと、首を傾けて私に聞いた。


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