修行
居残り組、唯一の労働力である私こと風華に休息の時はありません。
お馬さんたちが草を十分に食べられるように移動させて、近くの本当に小さな小川で水を飲ませます。排せつ物の処理もしなければなりません。
旋風卿からその匂いでばれるのでよろしくお願いしますと、真顔で迫られたらとてもいやとは言えないです。
世恋さんには、火の番をしてもらいながら周りの警戒(いりますよね?)をしてもらいつつ、全力で集めて穴に放り込みます。それにこれを世恋さんにやらせるのはなぜかとても罰当たりな気もするので仕方ありません。
農家に嫁に行った気分です。仕入れ先の農家の奥様達が街に嫁に行きたかったとぼやく気分がちょっとは分かりました。
百夜ちゃんはというと辺りを飛ぶ蜻蛉と「お前達、おもかろい」と戯れています。遊ぶのはいいですけど遠くには行かないでくださいね。これ以上仕事を増やしたら本当に許しません。
「風華さん、お茶にしませんか?」
世恋さんがそんな私を哀れに思ったのかお茶に誘ってくれた。世恋さんは熾火に新しい薪を加えて、その上でお茶を沸かしている。
彼女は薪から上がる煙を薄い革で作られた団扇で飛ばしていたが、煙が目に染みるのか少し涙目になっている。良かった。だいぶ元気になったみたい。
「世恋さん、体の具合はどうですか?」
私は世恋さんの横に腰を下ろして尋ねた。世恋さんはどこに隠し持っていたのか、彼女の故郷のお茶だという黄色いお茶を、金属製の薄くて軽い器に注いで私に差し出しながら、
「絶好調ですよ。今なら世界を滅ぼせそうな気がします」
と答えた。
『世の男の全てを言いなりにして、世の女の全てを滅ぼすんですよね?』
と私は心の中で返した。この方の洒落にはいまいちついていけてないです。お兄さんといるとそんな表現になるんですよね。大丈夫です、私ががんばって是正してあげます。私がそんな心配をしていると、
「風華さんは、お父様から剣とか弓とかは習わなかったのですか?」
お茶を飲みながら世恋さんが私に問いただした。
「特に何も。女の子ですし……」
普通はそんなものは習わないと思います。
「狩とか行かれたことは無いですか?」
「八百屋は狩りはしません」
「そうですか、それは困りましたね」
この方は何を聞いているんでしょうね? とても困った顔の世恋さん。私、何か間違った回答でもしました?
「百夜様。大丈夫でしょうか?」
「おもかろい奴はいないぞ」
蜻蛉を両手の指の間に何匹か挟んで持つ百夜ちゃんが答えた。手の中で蜻蛉がわしゃわしゃ動いているのを見せるのはやめてください。お茶の味がしなくなります。
「では、風華さん。修行開始です」
かわいそうな蜻蛉達から目をそらすと、謎の言葉と共に世恋さんがにっこり微笑んでいる。
「やっぱり、小刀あたりが無難ですかね?」
世恋さんはそう言うと、何やら父の皮の防水布をほどいて内側に並べられた短刀やら小刀やらを一本一本手にして釣合いを試している。
中でも少し幅広で金属の柄、その末端が丸く穴が開いている諸刃の小刀を一組取り出した。その刃を指でなでて、刃を光にかざして何かを確認すると、納得したようにうんうんと頷いている。
やっぱり旋風卿の妹さんともなると、乙女な趣味ではなくこのような武器好きになっちゃんですかね?
一度「恋話」をしたかったという台詞もあがなち嘘ではないのかもしれません。私が世恋さんに対する認識を改めていると、世恋さんがその小刀を手に私の傍ににじり寄ってきた。
「流石は風華さんのお父様ですね。黒の帝国時代のそれも大量生産じゃない、職人技のものですよ。見てください。この刀紋の美しさと表裏の微妙な角度の違い」
いや、説明されても八百屋にはさっぱり分かりませんし、使い道もありません。諸刃なんて野菜を切るのには絶対不便でとても危険です。
「お気に召したのなら世恋さんに差し上げます」
えーっ!ていう世恋さんの顔。もしかしてとても高価な一品ですか?
「何をいっているんですか、風華さん。これであなたが自分自身を守れるようにするんです」
修行って、そういう意味ですか?
「では早速始めましょう!」
世恋さんが両方の拳を握って顔の前にもっていくと私に笑いかける。その姿にわたしは最近よく感じる、とてもとても悪い予感がした。




