怒り
狂弟と人々から呼ばれる男は、軍礼服の前をはだけて白地の下着をさらしたまま、長食卓の上に軍靴を放り上げて手にした葡萄をもてあそんでいた。
髪と髭を短く切りそろえた姿は一端の将軍に見えなくもない。彼は視界の隅に暗紫の鎧の衛士を認めると、
「終わったか?」
と簡潔に聞いた。部屋の隅に立つ騎士が軽く頭を下げる。
「馬鹿な奴だ。いつもと同じ寝所を使い続けるとは……。自分がやったことが他人もできるとは思っていない。典型的な想像力の欠如だな」
暗紫色の鎧の騎士からの返答はない。もちろんこの男も求めてはいない。
「やつらの使者が来ても、食い物と人質をつれてくるまではすべて追い返せ。こういうのはもったいぶった方が効果があるだろう」
王弟は葡萄を床に放り投げると、両手で顔をごしごしとこすった。何かを考える時のこの男の癖だ。
「兵士長が解放した結社の者だが、『城砦』だか何かから来ていたと言ったな。何かあるかもしれん。裏を探って必要なら始末しろ。奴への貸しだ。あの男は奴の馬鹿息子と違って少しは役に立ちそうだしな。それと各地区の人質解放を決める際に中心になった人物を特定して監視をつけろ。特にそいつらに外部から接触する者がいたら見逃すな。泳がせてどこの手の者か探れ」
そう告げると食卓の盆の上から新しい葡萄を一房とり、口に放り込んだ。暗紫色の鎧の騎士は王弟にゆっくりと頭を下げるとその視界から姿を消した。
王弟は長椅子から起き上がると、居間の窓を開けて遠くにかすかに見える森の稜線を見つめた。体の奥底から堪える事などできない怒りがまるで煮えたぎる湯のように湧き上がってくる。
黒の帝国が滅んでから300年近くになろうとしている。この地に本格的に入植してからも200年近くが過ぎた。なのに何だこれは? 200年もかけてたったこれだけのことしか出来ていないとは!?
彼は、居間に飾ってあった代々の子爵や小領主たちが復興領の領主に送ってきた飾り盾を手に取ると、次々と窓から投げ捨てた。
盾は領主館の壁に乾いた音をたてながら転がっていく。下では音の正体を確かめるべく、警備の衛士達が声を上げながら集まって来た。
こんなものを作ったり送ったりする暇があるのなら、もっと他にやるべきことは山ほどあっただろうに。分かっているのか? 黒の帝国時代はこここそが内地であり、こここそが世界の中心だったんだぞ!
「度し難い、まったくもって度し難い奴らだ」
『狂弟』と呼ばれる男は、この辺境領の住民すべてに、いや世界の全てに対して殺意を込めて呟いた。




