会遇
「ふーちゃん、夜明けだよ」
藁にもたれかかっているうちに寝てしまった私を、白蓮が起こした。眠ったり、うなされて起きたりを繰り返していたが、いつの間にか時がたっていたらしい。
目を開けると、蝋燭の明かりが、どこかから入る風にかすかに揺れている。白蓮の言葉に関わらず、辺りはシーンと静まりかえっていた。
朝ならあちらこちらの家が飼っている、鶏の鳴き声がするはずだけど……。
「ねえ、夜明けなら、鶏の鳴き声がするはずじゃない?」
「みんなまだ絞められていなければね」
私の言葉に白蓮が答えた。色白の軟弱のくせに、この男は変なところで冷静だ。私達だけでなく、みんな逃げ出す準備をしているという事なのだろうか?
「若い女の子だとばれると、ややこしいことになるから、僕の予備の外套と長靴を使ったほうがいい」
そう言うと、白蓮は土間に置かれた彼の装備を指さした。百歩譲って外套はいい。でもなんであんたの長靴を、私が履かないといけないのだ?
「足の先に詰め物を少しだけすれば、きっと大丈夫だと思う。足の大きさは、そんなに変わらないと思うからね」
白蓮は私がとっても気にしている事を、さらりと口にしてくれた。
「外套についている頭巾に髪を全部入れて、深めに被ってくれないかな。君の赤毛は目立つ上に、とっても跳ねるからね」
さらに二つ目に私がとても気にしている事を、ぬけぬけと言い放ってくれる。でもあんたの灰色の髪よりはましです!
「でも、なんで朝だと分かったの?」
私はちょっと不貞腐れぎみに白蓮に問い掛けた。鶏も鳴かないのなら、何で白蓮は朝だと分かったのだろう。
「僕の腹時計が言うにはね……」
君は私の事を、思いっきり馬鹿にしていますね。
「いってぇええ!」
渡された長靴のかかとが、見事に灰色の髪へと命中した。私がとても気にしていることを、二つも指摘したあんたが悪いんです。
「風だよ、風! 蝋燭の揺れる方向が変わったんだ。この季節は夜になると森の方から吹いて、朝になると反対の領主館の丘の方から風が吹く。それに僕の腹時計も――」
もう一度長靴を振り上げた私を見て、白蓮が慌てて口をつぐんだ。でも風の動きで朝の気配を察知するとは……、こいつ意外とやるな。見直したぞ白蓮!
「もっとも山さん(父)の受け売りだけどね。それにふーちゃんも山さんの娘だね。こんな時でもいびきをかけるとは、いい度胸を……。いえ、なんでもないです」
先ほどこいつを少しでも見直したのは、私の重大な間違いでした。
「ともかく持っていけるものは、全部持っていかないとね」
そう告げると、白蓮はそれ以上軽口を叩くこともなく、黙々と出かける準備をし始めた。長靴や革の上下に大外套、短刀といった、冒険者がいつも使っている装備を、引き出しから取り出しては並べていく。
そして大外套の隠し衣嚢や長靴の底に、父の遺品で、少しでもお金に換えられそうなものを次々と入れた。準備を終えると、私に出発の合図をする。
どうやら白蓮は通りに出る表口は避けて、勝手口の裏通りに出る側を使うつもりらしい。少しでも音を出さないためか、落とし戸を開ける重しの下に藁や布などを置いている。
引き戸につながる紐に、重しの量を少しずつ増やしながら、極力音を出さないようにして、落とし戸を上げていく。白蓮の読みは正しかったらしく、僅かに見える東の空は白くなりかかっていた。
勝手口から裏通りを覗くと、通りの先に見える城壁には、松明の明かりが煌煌とついており、その間を動く明かりも見える。逃げ出すものがいないか、衛士達が城壁を見回っているのだろう。
私は白蓮の合図に従って、二人でまだ明けきらない早朝の闇に紛れて裏通りへ出た。指で私が先導すると白蓮に伝えて、建物の隙間、子供の頃の遊び場を抜ける。
だが困ったことに、以前の様に華麗に駆け抜けるとはいかない。体のあちらこちらが、建物や塀から出ているちょっとした杭に引っかかるし、がれきやら塵やらに、足元がとられそうになる。
子供のころの私は「赤い流星」と呼ばれ、旗取では相手側をこの隙間で撒いては、勝利していたというのに……。今では体が大きくなっただけでなく、少しばかり出っ張った部分があったりする。これは一体なんの役にたっているのだろうか?
それでもなるべく音を立てずに、「結社」のある中央広場の反対側、問屋街の端を目指す。この街は中央広場を中心に北側に向かってなだらかな丘になっていて、北の端に領主館があり、その手前に役所街がある。なので役人達などお偉いさんの住宅街があるのも北側だ。
道は中央広場を中心に南北に大通りがあり、その先に大手門、東と西に通用門(普通はこちらが使われる)がある。東側には三日月通りのような、間口の狭い商店や住宅が並んでいる庶民街だ。東側はもともと池があったところで一番低い。
なので大雨が降ると、城外への排水が間に合わずに足首ぐらいまでは水がたまることがよくあった。その度に流行り病がでたりする場所でもある。三日月通りはその中でもまだ高いほうに位置して、そこまでひどくはない。
一方西側は領主の蔵や問屋街、大手の商店や馬車駅、それに結社等がある商業地区だった。こちらは馬車などが通行しやすいように区画整理されており、北側よりは低いが東寄りは一段高い。なので東から西側に向かうにつれてずっと上る感じになる。
そのためか、走り続けるうちに段々と息が上がってくる。子供のころは西地区まで走るなんてのは余裕だったのに! 子供はみんな天使で、背中に羽根が生えているというのは本当だ。
荒い息を必死に抑えながら、どうにか東側と西側の境界線になる大通りの手前まで来ると、空も東の方はだいぶ白んで来ている。後ろから追いついてきた白蓮が、私の顔を覗き込んだ。彼からマナ除けの残り香がかすかに漂ってくる。
「ちょ、ちょっと……」
至近距離でこちらを覗き込む白蓮に、思わず口ごもってしまう。
彼はしばし私の顔(近いです!)をじっと見ると、大外套の内側から止血布を出して私の額に当てた。彼が当てた布の内側に少し赤黒いものがついている。知らない間に頭をどこかにぶつけて、その拍子に切ってしまったらしい。
白蓮は指を口元に指を当てると、私の横を抜けて大通りを慎重に伺った。私も少しだけ顔を通りへ出そうとしたが、白蓮に頭を上から押しつけられる。「あんた何様!」と私が声を上げそうになった時だった。
「ギャ!」
通りから短い悲鳴と共に、何かが倒れる音が聞こえて来た。そして金属のガチャガチャという音も響いてくる。複数の、しかも鎧を着た人間が歩く音だ。そして彼らの持つ松明の火が、私たちの反対側の建物の煉瓦を黄色く映し出した。
「夜中にうろちょろしやがって。おい、矢の色は?」
「黄色。俺の勝ちだな」
「待て、一本じゃない。よく見ろ。もう一本ある。赤だ」
「引き分けか? つまらないな。もう少し軽やかに逃げてくれないと勝負がつかない」
鎧姿の男たちの声が響いてくる。内地言葉だ。先月に新しく内地から来た領主の衛士だろう。一体、人の命を何だと思っているのだろうか? その態度に恐怖よりも怒りを感じるが、今の私にはどうすることも出来ない。
それにこの通りを抜けないと、結社がある西地区には入れないが、こんな奴らがいたのでは抜けられそうもない。奴らがどこかに行くまで待つ? しかし東の空は大分明るくなってきている。日が昇ってしまえば、建物の陰にいても奴らから見つかってしまう。
「ふーちゃん、ここを渡った後ですぐに身を隠せるところを知っているかい?」
戻るしかない。私はそれを告げるために白蓮の袖を引くと、白蓮が私に問い掛けてきた。この向こう、問屋街は時が止まってしまったみたいな場所だ。私は小さい時の記憶を必死に手繰り寄せた。
「問屋街の端の倉庫は空き倉庫で塀の下の方に穴があったはずよ。そこから倉庫の中庭に出れば、崩れたがれきを登って隣の倉庫との間の道に出られると思う」
「穴の位置は?」
「渡ってすぐの左のわき道から三十杖(30m)ぐらい」
「ふーちゃん、もうすぐ役所の塔が日の出の鐘を打つ。彼らは塔の方を見るはずだ。そのすきに向こうまで走る。それにさっきの犠牲者と違って、僕らは彼らより低い位置にいる。
高いところから低いところの標的を打つのは難しいし、勾配も微妙に変わっているからさらに難しいはずだ。それにさっき弩を打った直後だから、まだ再装填していないかもしれない」
相手は衛士だ。正直最後のやつは期待できないと思う。だけど戻っても身の安全が確保できるわけではない。
「前だけ見て走れ!」
私の体を通りのぎりぎりまで引き寄せると、白蓮がそう一言だけ告げた。私は白蓮に向かって頷く。
役所の塔に登ってきた朝日が当たり、それを待っていたかのように夜明けの鐘が響く。その鐘の音が私達の足音を少しはかき消してくれるはず。私は意を決すると、ただ通りの向こう側の小道に向かって走り出した。
私の数杖(数メートル)後ろを白蓮が走っている。向こうの通りが少しづつ近づくが、自分の焦る気持ち程には体は前に進まない。普段なら数呼吸で渡ってしまう名ばかりの大通りが、あまりに遠く果てしないものに感じられた。
「おっ!次の獲物だ」
不意に私達の横手から大声が上がった。どうやら見つかってしまったらしい。
「横をみるな!」
背後から白蓮の声が聞こえた。なぜかその声が父さんが自分を呼んだ声のように聞こえる。弩弓をつがえたらしい機械音も耳に響く。思わずそちらの方をふり返りたくなったが、我に返って前を見た。
辺りの建物に城壁を超えた朝日がゆっくりと当たっていく中で、私の前にある倉庫街の裏道はまるで真っ黒な口をあけているかのように見える。
あの暗がりの先が行き止まりだったらどうしよう。自分の記憶が間違いだったら? 自分が西地区に最後に行ったのは、倉庫街に足を向けたのはいつだっただろうか? そんな考えが頭に浮かんでは消えていく。
「飛び込め!」
私のすぐ後ろから白蓮の有無を言わさぬ声が響いた。その声に、体を前に倒して転がるように倉庫街の入り口へと飛び込んだ。そのすぐ背後をひゅんという空気を切り裂く音が走る。次にドスンという低い音に、ガチャガチャと響く鎧の金属音と軍靴の靴音も聞こえてきた。
ドン!
白蓮が私の背後から倉庫街の横道に飛び込んできた。だが彼の大外套には赤い羽根がついた金属の矢が突き刺さっている。
「白蓮!」
「大丈夫。山さんの遺品の何かにあたった。それより穴だ!」
白蓮の言葉に、我に返った私は慌ててわき道を曲がって穴を探す。まだ暗くて見づらいが上の瓦が落ちているところのはずだ。穴は草に隠れていたたが、子供の時と同様にまだそこにあった。
「あったよ白蓮!」
「奴らが来る。急いで」
白蓮が妙に冷静な声で私に告げた。頭巾を脱いで穴に頭を入れる。服が泥だらけになるがその泥をかき分けるように体を穴の中に入れた。
『あれ?』
抜けない、何で! 後ろを振り返ると、お尻の帯革が引っかかっている。子供の時は屈むだけで抜けられたのに!
「白蓮! お尻、お尻が!」
何かが私のお尻をどんと蹴った。頭から地面に突っ込みそうになり、手が擦り傷だらけになる。だけど顔から突っ込むよりはましか?
私が抜けたすぐ後に、私のお尻を蹴り飛ばした張本人が、あっという間に穴を抜けてきた。そして泥だらけの私の手を引っ張くと、裏手に向かって走り出す。
「おい!いないぞ! どこかに入り口でもあるのか?」
追手の声が塀の向こうから響いてきた。その足音は塀の向こうをそのまま先へと進んでいく。どうやら私達はうまくやつらを撒けたらしい。
「絶対にお尻が痣になっている!」
私は白蓮に向かって抗議の声を上げた。
「命の恩人にいう言葉かね?」
白蓮が私に向かって肩をすくめて見せる。そうだ、そんな事よりさっきの矢は本当に大丈夫だったのだろうか?
「白蓮、本当に矢は大丈夫だったの?」
「ああ、何とかね。でもついていないな。一番高く売れそうだったマ石がやられちゃったよ」
命が助かったのだ。マ石なんてどうでもいい話だ。それが無かったら、白蓮はもうこの世の人では無い。そしたら私は本当に独りぼっちになってしまう。
「そもそもただ走るだけなんて、あまりに無計画!」
「一応は夜明けの鐘に合わせてという段取りが……」
私は白蓮に八つ当たりすることで自分を必死に奮い立たせようとしていた。そうでもしないと自分の手が肩が震えているのが止まりそうにない。それにとりあえず追っ手をまいたという安心感からか、体が重くてしょうがない。でもまだ先がある。
「もう結社の裏手まで来ているから、ここさえ超えれば何とかなるでしょう」
そう呟くと、白蓮は右手の建物の屋根の上から覗いた。そして結社の決して高くはない塔を見ながらやれやれという顔をする。確かにここまで来たら結社まではあと少しだ。だけど本当に大丈夫だろうか?
「さっきのやつらがまた来たら?」
「流石に結社の前で結社の人間を撃ち殺すのはやらないと思うけどね。結社はここだけにあるわけではないし、厄介ごとを起こした相手には色々と執念深いって話だよ」
確かに結社の前までくれば、いきなり撃ち殺されるという事は無さそうだ。結社の人間を襲った盗賊なんかは、結社から高額の懸賞金が出て賞金稼ぎの標的になるらしいから、白蓮が最後に言った執念深いというのは本当だ。父からこの標的狩りを専門にする結社の人間がいるとかいないとかいう話を聞いた覚えがある。
「それに山さん譲りの皮の上下に大外套だ。いかにも結社のものらしく見えるはずだよ。正面から堂々と行こう。もっともこっち側は結社から見たら裏手だけどね」
最後の一言をつけなければすごくかっこいいのに、なんでこうも残念な人なんだろう。白蓮はまるで子供の頭をなでるみたいに私の頭を一つ、二つたたくと、外套の内側から父の装備の一部の拡大鏡やら仕込み槍やらを並べ始めた。そのあまりの数の多さに思わず目が点になる。
かさばるのはどうのこうのと言いながら、父の残しためぼしいものは全部持ってきている。もしかしたらこいつは居候ではなく、単なる居座り強盗なのでは?
そんな気分になもなってきたが、父の遺品でかっこだけは冒険者になると、崩れたがれきを伝って結社の裏手へ出た。空は完全に明るくなっているがまだ朝のひんやりとした空気は残っている。
父の装備を背負って前を歩く白蓮を見ると、この軟弱な男も確かに「追憶の森」での狩りの戻りの冒険者のように見える(元々本物のはずですけどね!)。
「お前達、森から来たのか?」
横手から突然に声が響いた。その声に心臓が止まりそうになるほどびっくりする。思わず白蓮に抱き着くと、通りの暗がりの中から頭巾付きの黒い外套を着た小さな人影が私達の前に現れた。
背丈は頭巾でよく分からないけれど、決して高くはない私と比べても少し低い、いやはるかに低いかも。もしかして子供だろうか? 頭巾に隠れて顔はまったく分からない。
それにさっきの声は女性の声だ。少しかすれたような、ちょっと聞きづらい声だった。だけどこの抑揚のない独特のなまり。どこかで聞いたことがあるような気がする。そうだ、二年前の彼のなまりだ。白蓮に会った頃の彼のなまりと同じだ!
「私の△×(多分言葉)が分からないか?」
私は白蓮の方を振り返った。同じなまりを使うもの同士、白蓮なら何をしゃべっているのか白蓮なら分かるはず。
「言っていることがよく分からないな。それに聞きづらい。もっとはっきり言ってくれ」
白蓮が黒頭巾に向かって思いっ気入り肩をすくめて見せる。なんなのこの男、自分が最初にしゃべっていた言葉も忘れた!?
「森から来た。あった男が森でとったものを□〇(多分結社)で餌に換えるといっていた」
「結社の事かな? この先の塔が見えるかい。そこだ。これから僕たちも一緒に――」
建物を指さした白蓮と私が彼女の方を振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。ええっ!一体どこに?
「白蓮、確かに見たよね。話したよね?」
もしかしてお化けとかじゃないですよね?
「うん話した。彼女は足がすごく早いんだな。達速使いかな?」
「足音なんてしなかったよ」
「違うか? きっと隠密のマナ使いなんだと思う」
「……」
この能天気男につける薬などない!




