人形
旋風卿ことアルマインは馬をはしらせながら肩透かしを食らった気分を味わっていた。
当然かかると思っていた追っ手の姿はなく、各関所は先頭を行く白蓮が手にした通行証を目にした衛士達によって次々と開けられていく。
追手が来たら他の者全てを矢盾にしてでも、妹をつれてそこを突破するつもりだった身にしては拍子抜けとしか言いようがない。銀狼将軍として恐れられた男でも老いれば少しは丸くなるのだろうか? いやいやとても信じる気にはならない。
夜明け前、すでに月が沈んだ暗闇の中を街の辻や関所の明かりを頼りに、世恋が乗るべき馬の手綱も持った白蓮と風華の二人を先頭として、後ろに百夜を乗せた歌月を殿に一の街の城塞の通用門へと向かっている。
もちろんまだ油断はできない。油断させた上で一網打尽を狙っているのかもしれない。
彼は疲れ果てて、自分の腕に抱かれて静かに寝息を立てている世恋の顔をみやった。最後にこうして世恋を抱いて馬上にあったのはいつの事だっただろうか?
私が必ず守ると決めた生涯ただ一つの約束。もっとも若かりしときにその約束を立てた時、それがこれほど自分の人生を左右するとは思ってはいなかったが……、。
旋風卿は慎重に辺りをうかがいながら前を行く白蓮と風華の後姿をみた。田舎町の若者と町娘にも関わらず二人の手綱さばきは悪くない。あの男(良仙)が言うように確かに不思議な男かもしれない。
戦場にたどり着く前に野垂れ死にかと思っていたが、あの戦を生き抜き、こうして自分と一緒にこの街を脱出しようとしている。もしかしたらあの男、良仙は本当にこの男を救ってやるつもりになったのだろうか? いやいや、まさかな。心の中でかぶりを振る。
人の世というのは不思議なものだ。こんなところであの男と話を交わすことになるとは思わなかった。息子の死に間接的にマイン家がかかわっていると知ったら、仇を取る機会を逃したと、私達を開放したことを心から後悔するだろうか?
いや、後悔も何も知っていたらすぐに剣をふるってこの首を落としただけだろう。
『マイン家の人形』
権勢を振りかざす男たちの間で密やかに語られる言葉。大商人達が身代を揺るがしかねない金や、政治の中枢にいる者が国運を決めかねない政治取引の果てで得ようとする美しい娘。
だがその美しさを失う前にはかなくその命を散らす者。この国の王子の一人がその『人形』を得たことであの男の息子は死に追いやられた。
人形を得た王子は自分の婚約者だった令嬢を冷たくあしらうようになり、その婚約者の令嬢は王子に復讐するために、「恐弟」と恐れられていた紫王弟を誘惑して王子に仕返ししようと、全くもっておろかな考えを持った。
噂で聞いた話ではその時、王弟が令嬢に放った言葉は相当に痛烈なものだったらしい。
「あなたが香油をたくさんつけられるのは、その腹黒さの悪臭を隠すためですな」
それを聞いた令嬢は、おろかにも王弟に復讐しようと考えた。蝶よ花よと育てられた世間知らずほど怖いものは無い。
彼女は父と違って純真な宮廷衛士だったあの男の息子をたぶらかし、紫王弟に剣をむけさせようとした。腕はたったらしいが息子はあっさりと奴の返り討ちに会い、令嬢の一族はあわてて娘に毒を仰がせて事の収拾を図ったが、結局は失脚した。
まったく、おとぎ話に出てくる登場人物達より愚かで救いがたい人達だ。もっとも『人形』なんてもので生き残りを図っている『マイン家』なんてものは救いがたいを通り越した……。
「止まれ!」
衛士達の声。しばし思案にふけっている間に一の街の西の通用口までたどり着いたらしい。あの男の事は言えない。多少の疲れがあるとは言え、こちらもだいぶ焼きが回っているようだ。ここでもまだ追手の気配はない。
白蓮が示した通行証に木や金属がこすれる音が響き、通用口の金属製の扉が上げられた。この子達には誰かがかけた幸運の守りが相当強力に効いているらしい。
「皆さん、申し訳ないが私には仕事が一つ残ってましてね」
旋風卿は門を潜り抜けると、東の空がゆっくりと白みかけているのを見ながら、先を行く白蓮と風華に声をかけた。




