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恋文

 領主館の正門に向かう良仙の鼻に、もはや嗅ぎなれたといってもいい、何やら死臭らしきものが漂ってきた。


 見上げると開け放れた領主館の重い扉の上、城壁の挾間から何体かの死体が吊り下げられている。鳥にでもついばまれたのか、顔のあたりはすでに元が誰かなど分かりようがない姿になっていた。


 だがその身に着けた衣服が安物でないことや、死体として膨れ上がる前から十分余裕があったであろう腹回り、あるいは上級役がつける長いち役人風の服などからこの死体が誰のものであったのかは、十分推測することができた。


 死体の中には館の侍従らしきものもある。そのうちの何体かは間違いなく、良仙が赴任するともみ手でなにやら祝いの品とかを持って来たくだらない奴らだろう。


 良仙はそれらの死体の下をくぐりながら、そのうち自分もこの死体の一つとして、ここに吊り下げられるのだろうかと思案した。


 結社の者達を勝手に解放したのだから、今夜にでも吊るされる可能性は十分にある。そもそも自分はなんであの者達を開放してやったのだろうか? 老いたマナ使いとの約束の為か? そんなものにあまり意味はない。


 彼の頭に灰色の髪の色白の若者の姿が浮かんだ。おもしろい男だ。田舎育ちのマナ使いにしては視野が広い。それにその人懐っこい態度は、軍人を志望しながら妻に似て一途で気立ての良かった息子にどこか似ていなくもない。


 結局自分は、彼らを解放してやることで息子を救えなかった罪の意識を少しでも和らげようとしたのだろうか?


 そんな事を考えているうちに、良仙は紫王弟の居室の前まで来ていた。入り口を照らす油灯の傍らに黒い影を落として立っていた暗紫色の甲冑の衛士が、入り口の扉を開けて良仙に中に入るように即した。


 中に入ると、マ石による黄金色の明かりの下、軍礼服の前をはだけた紫王弟が、長椅子に寝転んで天井に向けた顔を手で扇いでいる。


「兵士長。俺の恋文はちゃんと届いたか?」


 恋文? ああ、あの王弟の護衛が届けて来た指示書の事か?


 指示書の内容はマ者を使って「塊子爵領軍」を敗走させ、その魔物を一の街の住民達を使って討伐しろという内容だった。さらには結社のやつらをそのおとりに使えとまで書いてあった。


 確かにこの館の外に漏れるとやっかいな内容だ。私が読み終わった後に王弟の護衛がすぐに油灯の火で燃やしてしまったのもよく分かる。人質を材料に交渉する前にマナ使いの方からマ者を使う案を持って来たのは行幸だった。


「はい、ご指示の通り事は運びました」


 顔色一つ変えないで答えた良仙に対して、王弟は、


「貴様は、洒落の通じないやつだな。まあ、当面は恋文を届けるようなめんどうな事はしなくていい。この館の中も外もだいぶ掃除が済んだ」


 と答えると長椅子から身を起こして、跪く良仙を見下ろした。


 『掃除』の結果が外の死体という事だな。あの背の低い侍従服の死体は確か侍従長だったか? 袖の下をもらっていたのか、それとも館の中の話を外に売っていたのか、いずれにせよ少しはここも風通しは良くなったという事だろう。


「状況は?」


「敵の損害はおそらく500強程度。今回の兵力の3割強というところでしょうか? こちらは一の街の住人達の損害は五割を超えると思います。結社の者達は8割に近い損害です。衛士隊の損害は一割を超えるか超えない程度で済んでおります。全体で言えば全滅を通り越して壊滅というところです」


 良仙は冷静に今回の討伐軍の現況を報告した。


「五割か……。思ったより残ったな。ともかく頭の悪い奴らに、この地の本当の敵が何かを思い出させてやれたのなら、それで十分に上出来だ」


 王弟がまるで他人事のように良仙に向って呟いた。


「現状、再編成して軍として動かすのは難しいかと思います。「塊子爵領軍」には十分な損害を与えましたので、彼ら単独でこちらに攻めてくる心配はありません。ですが単独で街を防衛するには十分な戦力が残っています。また他の三子爵と合わせてこちらに再戦を仕掛けてくる可能性は高いと思われます。やつらの兵站は回収中ですが、食料問題は依然として残っています。また労働の担い手自体も……」


「つまらん話だな、兵士長」


 王弟は良仙の話を遮ると、彼の癖なのか両手で顔をごしごしとこすりながら答えた。


「店は強制的にあけさせろ。価格はこちらで全て統制する。職人共については、内地の俺の領地のやつらに声をかけておいた。ここは親をなくした娘に未亡人だらけだと言っておいたから、女に飢えているやつらがすぐにすっ飛んでくる。爺さん連中はいらんからこちらとしても都合がいい」


「そういうものでしょうか?」


 良仙は思わず王弟に問いただした。


「そういうものだ」


 王弟はニヤリと薄ら笑いを浮かべると先を続けた。

 

「結社の連中はどうした? 全員始末したか?」


「結社に対する辻褄合わせのために、何人かは残しておいてあります」


「辻褄合わせ? 全員始末した方が後腐れが無いのではないのか?」


「始末しますか?」


 始末しろと言われれば追っ手をかけるまでだ。その場合は彼らには運が無かったと思ってあきらめてもらうしかない。


「まあいい。その件は貴様に任せる。貴様の心配はまずは軍の再編だ。春になる前に村の者達を訓練して軍を再編しろ。合わせてこの地域の治安と統制を回復する」


 確かに治安の回復は必要だ。良仙は彼の言葉にうなずいた。


「子爵たちはどうしますか?」


「田舎領主どもの事は心配するな、軍は不要だ。やつらはすぐに人質と一緒に食料を持ってここに飛んでくることになる」


 領主たちに軍は不要? どういうことだ。こちらにはもう兵はないというのに? 良仙はいまだにこの男、紫王弟の思考を読めずにいた。


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