伝承
麦畑の上で雲雀の高鳴きが聞こえてくる。世恋はその姿を探そうと空を見上げた。それはとてもはっきりと、そして声高に聞こえるのだが、その姿は見えない。
その向こうに見える城砦は、かつての賑わいをまだ取り戻せてはいないが、冒険者達は黒青川の先、嘆きの森に今日も潜り続けている。
一時は存続すら危ぶまれたが、結社長の多門を始めとした今の大人達の努力により、復興領をはじめとする多くの若者達が、冒険者にあこがれてこの地を目指してやって来る。
その中の決して少なくない者達が森で命を落とす事になるのだろうが、それでも人はまだ森に挑むことを止めてはいない。
兄の怪我はやはりひどく、右の肩から先は未だに動かす事すらできない。だが、歌月さんに世話を焼いてもらいながらこの家で過ごす兄の姿は幸せそうに見える。
時折、レイ兄さんが茶と共に送ってくる手紙で国に戻らないかと言ってくるが、私も兄も戻るつもりは全くない。話をしたいのなら、レイ兄さんこそ家など放り出してこちらに来ればいいだけの話だ。
こんなふうに考えてしまう私は、やっぱりあの子から何か変な物でもうつされているのだろうか?
美亜さんもたまにこの家を訪ねてくれる。その度に多門さんに対する愚痴を少しばかり漏らしていく。どうやら家では毎日のように「結社長なんて今すぐやめてやる!」と言い続けているらしい。私としてはそのすべてがのろけ話のように思われるので、十分にごちそう様という感じだ。
実季さんとお誕生日会の時にここを訪ねてきてくれた男の子達は、無事に城砦の冒険者となって探索組で森に潜り続けている。彼らが命を落とすことなくさらに成長してくれることを心から祈っている。
実季さんも預かりの身としてたまに一緒に参加しているらしい。彼女は腕がいいので色々な組から引く手数多なのだけど、彼女としては永遠に自分は赤毛組の一員であり、他の組の一員では決してないらしい。歌月さんがせっかくの隠密持ちなのだから、ぜひ査察方に来て欲しいといつも言っている。
鹿斗工房長は事務方の受付の一番左側に、勝手に赤毛組専用の小さな看板を掲げて、そこには誰も決して並ばせようとしない。柚安事務官長も黙認というか、新任の事務官に対する訓示で、最重要事項として伝達しているらしいから、同じ穴の貉なのだろう。
たまに駆け出しの子が間違ってそこに並ぼうとすると、受付の先にどかりと座っている鹿斗工房長に睨まれた挙句、訳知りの冒険者達から襟の後ろを掴まれて他の受付の列へと放りだされることになるそうだ。きっと本人がいたら、その当事者たちのところに絶対にやめてくれと殴り込みに行ったこに違いない。
そういえば彼の奥さんのお腹はだいぶ大きくなっていて、もうすぐ生み月だと歌月さんが言っていた。今度の子はどっちなんだろう。どっちにしても、とてもかわいらしい赤ちゃんが生まれて来ることだろう。
学心さんはこの一連の騒動について、叙事詩にまとめる作業を城砦の司書総出で行っている。下書きを見せてもらったが、正直な所、そこに出ている登場人物は私を含めて全く知らない他の誰かの事のようにしか思えない。
確かに記述に嘘はないのだけど、それを為した当人たちがその全てを、「当たり前です」の一言でやっていたのでとても違和感がある。
有珠さんは城砦を去った。そして手にしていた短剣を竪琴に代え、旅をしながらあの人達の物語を語っているそうだ。帆洲さんも姉さんだけだと生きていけないからと言って、彼女の世話役兼護衛役として旅に同行している。
この地に冒険者を目指す普通の若者たちが増えているのは有珠さんのせいもあるのかもしれない。お陰で美亜さんのところは大忙しだ。たまに実季さんに教官役を手伝ってもらってもいるらしい。
そのせいだろうか、彼の噂もたまに私の耳に入ってくる。そのほとんどは森で位置を見失った時に暗灰色の髪の謎の人物に助けてもらったとか、森の奥で一人で野菜を育てている人物に会ったとかいう話だ。
それらについて兄は一言、「死にかけの幻ですな」で片づけているが、本当にそうだろうか?
あの人ならありそうだ。それにあの二人の事だ。相当にややこしいところに迷い込んでいて、すぐには見つからないのだろう。拠点を作って長期戦で探すというのがあってもおかしくはない。
兄が何と言おうが、彼はあの二人を連れて絶対に戻ってくる。そしてあの雲雀の高鳴きのような二人の会話を聞きながら、私は皆と一緒にこの故郷のお茶の香りを楽しむのだ。
雲雀の高鳴きに再び耳を傾けながら、世恋は自分を求めて伸ばされた小さな手を握った。彼の名は「白蓮」。
この子の父親だ。
《完》




