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邂逅

 その螺旋階段は本城砦の中心にあり、熱で溶かされた影響をほとんど受けていないように見えた。ただそこから覗く本城砦の部屋の先は溶かされた岩で形が歪んでおり、どこからか風が吹き込んでいるのか、地下の部屋で見たのと同じ暗灰色の灰のようなものが舞っている。


 私はその一番最後の段を登ると、その先にある部屋へと進んだ。そこは円錐形のとても高い天井に囲まれた丸い部屋で、西に向かって大きな丸い窓だったらしき跡があり、その窓から赤銅色の月が西の森の方に下りていくのが見えた。


 その窓の縁に身を乗せて、足を抱えて座る人影が見える。その手足はとても長く、月明りを浴びて青白く輝いて見えた。そしてまっすぐに背中まで伸びている黒髪が、窓から吹き込んで来る風にかすかに舞っている。


 そして彼女は見たことがある夜会服を身にまとっていた。私と一緒に買い求めた黒い夜会服だ。かつては地面を引きずるかのようだった裾は彼女の膝の位までしかなく、手が隠れそうだった袖は彼女の肘の先までしかない。


 だがその胸元には絹でできた黒い薔薇の飾りがそのままついている。そして少し調子が外れた鼻歌らしきものを歌っているのが聞こえてきた。


「百夜」


 私の言葉にその人物は抱えていた膝から上体を起こすと、私の方に顔を向けた。だがその姿には以前の面影はほとんどない。背の高さは私と同じぐらいだろうか? いや今は彼女の方が私よりも背が高いかもしれない。


 ほっそりとした顔立ちに真っ白な肌をしている。そして首筋から胸元にかけて、私が黒娘と呼んだわずかな名残が、黒くくすんだ肌が微かに残っていた。


 切れ長の目には彼女が持つマ石のような真っ黒な瞳を持つ左目と、そして同じように真っ黒な、ただ瞳がない右目があり、私をじっと見つめている。その姿は感動というより何かの恐れを感じさせる、まさにこの世のものとは思えない神々しさを湛えた少女に見えた。


 呆気に取られている私の視線の先で、妙にそこだけが赤く血の色に見える唇が動いた。


「思ったより早かったな。あそこからここまでどうやって来た?」


 聞き慣れた百夜の甲高い声とは違う、低く落ち着いた声が部屋に響く。いや、この声は前にも聞いたことがある。一の街で領主の館にとらえられていた時の声だ。百夜は頭をあげて虚空を見上げると、少しばかり頭を振って見せた。


「なんだ、あれは偽物か。もう少し遊んでやるつもりだったのに」


 遊ぶ? どういう意味だろう?


「まあよい。もう遊ぶのもいい加減に飽きた。お前だってそうだろう、赤?」


「百夜、私の事を『赤』と呼ぶのはやめて。私は風華よ」


「それは人がつけた仮初の名だろう。お前が私につけた名と同じだ。そもそも名とは何だ? そんなものに意味はあるのか?」


「もちろんあるよ。あなたの名は私にとっては単なる音や台詞じゃない。それはあなたを思う気持ちと同じものなの」


「つまらんな。そんなことより思い出したのだろう? 自分が何者かについて?」


「違うよ百夜。私はかつて自分が何者だったのかを思い出したに過ぎないわ」


「違うのはお前だ赤。思い出したのではない、取り戻したのだ。小賢しくも、お前がその胸元に持っている石に隠されていたものを取り戻したのだ」


 百夜は苛立たしげな表情をすると、吐き捨てるように私に告げる。


「これ? こんなものに何の意味もないわ」


 私は自分の胸元を指差すと百夜に告げた。


「お前がどう思うかはお前の自由だ。だがもう十分に分かっただろう。この地にはびこる人とか言う者がどれだけずる賢く、己が欲望にまみれた忌むべき存在であるかという事を。ここを穢し貶める存在であるかという事を、十分に分かっただろう」


 そう言うと彼女は私の方を指さした。


「赤、我を手伝え。今度こそこの穢れた存在をこの地からすべて消し去ってやるのだ。お前と私でやればあっという間だ」


「嫌よ」


「赤、お前は分かっていない振りをしているだけだ。奴らの欲深さを、救いの無さを、お前にも十分理解出来ただろう。あれらはお前を己が都合の為だけに殺そうとしたのだぞ。そして我は、我は、あれらの欲と傲慢のために、我が子を、白と我の子供をこの手に掛けたのだ!」


 百夜の切り裂くような叫び声が部屋に響いた。その悲しみの叫びは私の心にも重く、そして痛みを伴って響く。


「そうね。本当に悲しい事ね。でもあなたも白蓮もそれを知らなかった。それはあなた達のせいじゃない。私の為、私のせいよ。あなたも白蓮も私を救おうとした。その結果よ」


「違う!違うぞ、赤!それはあの者達のせいだ。すべてあの者達、『人』の欲と驕りのせいだ!」


「その通りよ。欲や驕りも、それも『魂』を持って生きるという事の一部なのよ」


「何が一部だ!我の、我の悲しみが、この苦しみがお前には分かるのか!白は、あの者はまったく分かっていない。感じる事すら出来ないのだ。我らと違って竜としての全てを捨てたあの裏切り者だ。我だけが、我だけが、その辛さを、悲しみを背負っているのだぞ!」


 百夜の左目から涙が溢れて流れ落ちる。


「奴らを、奴らを一匹として残しておくものか!全て、全て我が餌にしてやる!」


 あなたの気持ちはよく分かる。だけどあなたがしようとしている事は間違っているの。


「白は、白蓮は裏切ってなんかいない。彼が望んだものを手に入れただけの話よ。彼が望んだのは『個』、そして個が個たる魂よ。私達はそれが何かが分かってはいなかった。だからきっと私達は中途半端な存在になったのね」


「中途半端だと!?」

 

「そうよ。白蓮はそれを理解し手に入れた。私達は静かにそれを祝福してやればいい。滅ぼすんじゃない。それを、その世界を無我から守ってやるのが私達の為すべき事なのよ!」


「赤、お前はいつも自分勝手な偽善者だ。昔から気に入らなかった。お前は生まれた時に我に情けをかけて、自分の餌場でまるで遊具のように飼っていた。それが我にとってどれだけの屈辱だったか分かるか?」


「そうね。その時の私は何も考えていなかった。ただの気まぐれ。本当は私達が生まれた時に、将来餌場を奪い合うことになるあなたを殺すのが本当よね。だけど百夜、今は違う。あなたは私の大切な妹よ。私の半身なの」


「赤、お前は、お前はいつもそうやって我を、我の心を踏みにじる。分かっているのか? 我はお前が嫌いなのだ。大っ嫌いなのだ。だから我は白をお前から奪ってやった。お前に仕返ししてやるためだけに我は白と(つがい)になったのだ」


 私は百夜に向って首を振った。


「違うよ。その時のあなたはそんなことは考えていない。単に貴方の方が早く番になれただけ。それだけの事よ」


「どうしてお前にそれが分かる!」


「分かるよ。あなたは黒じゃない。あなたは竜じゃない。あなたは『人』よ、『魂』を持った人。だからこそ心の内に怒りや悲しみを感じている。私達は黒でもない、赤でもない。百夜と風華よ。私達は無我の気まぐれが生んだ泡のようなものじゃないのよ!」


「魂!? そんなものは、こんなつらいものは我はいらぬ!」


「違うよ、悲しみや苦しみだけじゃない。うれしさや、愛しさもそこにはある。その全てが人の個の持つ魂なんだよ。その全てがあなたなのよ!」


「嘘だ!我に人としての何かなどない!我がもし人なら、我だけどうしてこの姿をしている。お前たちと同じ人の姿をしていないのだ? 我は、我は、竜なのだ。この世を満たす無我の一部にして、そのもっとも力強き者なのだ!」


「もしあなたに魂が無ければ、あなたが子をその手に掛けたことを悲しんだりはしない。竜にとっての子とは何? もしそれがあなたの餌場を奪おうとしたなら、あなたは何も感じることなくそれを殺す。私だってそうだ!」


 私の言葉に百夜は少しだけはっとしたような表情を浮かべた。あなただって本当は分かっているんでしょう? だから城砦に対してとどめの一撃を、本当の一撃を加えようとはしなかった。


「今の私は貴方が傷付けば、自分のこと以上に悲しい。あなたが背負っている悲しみの一部でも私が背負えればいいと思う。そして私はあなたや白蓮のことが大好きだ。白蓮やあなたがうれしい時、私は自分のこと以上にうれしい。それはすべて私達が魂を持っているから!人だからよ!私達は竜なんかじゃない!人なんだ!」


 だが百夜は私の問いかけに何も答える事なく、窓の縁からひらりと飛び降りると、思いつめた表情で私の方をじっと見つめた。


「赤、お前はどうしても我とともには行かぬつもりか?」


「百夜、あなたは自分の怒りと悲しみのやり場に困っているだけなんだよ。私と一緒にいっぱい泣こう。そして白蓮のところに、みんなのところに戻ろう。そこが私達の居場所なのよ」


 この大馬鹿者!どうしてそれが分からないの?


「残念だな。お前も一緒に滅ぼさねばならぬとは。お前だけは、お前だけは我を分かってくれると思っていたのに……」


 そう告げると、百夜はその手にあの黒い石を掲げた。


「百夜。私もね、あんたには色々残念に思っていたんだよ。覚悟しな。勝手に家出する妹には、説教を山ほどくれてやろうと決めていたんだ」


 緑香さん、私はあなたに会えて本当に良かった。貴方が最後に私に告げてくれた言葉、「大事な人を守るときは、その人が傷つくことすら恐れてはいけません」。今ならその意味が、それがどれだけ大事な事なのか良く分かります。


 百夜、あなたは私にとって一番大切な人だ。だから私は貴方を傷つけようとも、私はあなたを止めて見せる。たとえそれがどんな手段でも、たとえ私の身がどうなろうともだ!


「ならばやるしかないな。それが竜というものだ」


 西の方に沈みつつある、血の色のような月の明かりを受けながら百夜が私に告げた。手にしたあの黒い石から霞の様な塵の様な黒い何かが吹き出す。


「違うよ百夜。これは姉から妹への説教という奴よ。それだけの事よ」


 私も胸元からあの赤い石を取り出した。そこから脈打つ何かが、私の中へ止めどなく流れ込んでくる。それは私の鳩尾の下から体中へと駆け回っていった。


『熱い!熱い!』


 体が燃えるような熱さに身をよじる。だがそれは止まることはない。自分の体が何か別のものへと変わっていくのが分かった。私の腕が、足が、体が引きのばされて鱗がそこに生えてくる。


「ふーちゃん!風華、風華!行くな!僕をおいて行くな!」


 背後から懐かしく、そして愛しい声が聞こえた。どうしてお前は寝ていないんだ。なんでこんな時にのこのこと起きてくるんだ。こっちはこれからとっても恥ずかしい姿になるんだぞ。


 白蓮、あなたが止めてくれるのはとってもうれしい。だけどこれを止める訳にはいかないの。あの言う事を聞かない妹のお尻を100回、いや1000回は叩いてやるの。手で叩けないなら尻尾で叩いてやる!


「ごめんね白蓮。今度も私はあなたと(つがい)になれなかった。でも大好きだよ。私はずっとあなたの事を愛していた」


 たとえ姿が変わっても、私に人の魂がある限り、あなたを見つけることが、あなたを感じることができる。


 なぜなら、私達には魂があるのだから!

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