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救援

「右手、黒犬です。距離は50杖ぐらいです」


 右手少し前を先行する、風華の姿をした実季が叫んだ。


「左手からも来る、こちらは近い。数は5!」


 世恋も弩弓を左に向けつつ、美亜に向かって報告する。


「左手を先に撃ちます!」


 そう告げながらも美亜は自分達の不利を十分に悟っていた。この岩場のような見通しの悪いところで、探知持ちも案山子持ちも無しに、黒犬の群れとやりあうなんて言うのは悪夢以外の何物でもない。


 奴らはこちらを左右から追い立てた上に、岩を使って上からも襲って来れる。足場も悪さがどちらの方にとって不利かと言えば、明らかに二本足の自分達の方だ。


「右手、閃光弾を用意!」


「左手、弓で迎撃。横か、上から来た奴は私が撃ちます」


「3、2、閃光弾。用意!」


 全員が腕を上げて目を守る。


 キャイ――ン!


 閃光弾の直撃を受けた黒犬が遠吠えを上げた。中にはそのまま前方の岩に激突する者もいる。この混乱を使って左手の黒犬を撃って包囲をとかないといけない。だが地下水路への入り口は右手だ。


「背後に気配。距離不明!撃ちます!」


「実季さん、後ろの支援をお願い。左は私がやる!」


 美亜は焦る心を必死に抑えた。だめだ。全然奴らの包囲を突破できていない。むしろやつらの思うつぼだ。遠巻きにこちらが疲れて足を止めるのを待っている。それに正面の大きな岩に向かって追い込まれつつあった。それを乗り越えられない以上、自分達にとってはそこは行き止まりに等しい。


「残り矢、2!」


 世恋の冷静な声が響く。美亜は指揮を取りながらも二人の冷静さにこそ助けられていた。そうでなければ既に諦めていたかもしれない。城砦の二つ名持ちが聞いて呆れる。


「正面の岩を背に迎え撃ちます」


 残りの獲物も尽きつつある。一度群れを引き寄せて、閃光弾と音響弾でかく乱、その後に一気に入り口まで走るしかない。


「入り口までは?」


 世恋が美亜に尋ねた。


「右手200杖に入口。やつらがひるんだら一気に走ります」


「美亜さん、了解です」


 だが右手を見る限り、獣道のようなものも見当たらない。あの大小の岩を乗り越えて進む他はないと言う事だ。たかが200杖だが、自分達にとってはとてつもなく遠い200杖だ。現状は岩を背に出来ているので背後を気にする必要だけはない。少しの間だが息を整えるぐらいの時間は取れる。


 足を止めた美亜達の前に、岩の陰から黒犬がゆっくりと頭をだした。その数は両手両足の指ではとても足りない数だ。黒犬達にはこちらへの襲撃を焦ったりする様子はない。獲物を追い込んだことを分かっているのだ。故に美亜達の獲物に注意を払いつつ、ゆっくりと襲撃の間合いを測っている。


「こんなにいるの?」


 左手にいる実季の口から、彼女の本音らしい言葉が漏れた。そして心なしかその声は震えているようにも感じられる。


「しつこいのは嫌いなんですけどね」


 美亜の右手で短刀を構える世恋が、実季にそう答えると僅かに肩をすくめて見せた。美亜はその姿に舌を巻く。見かけはお人形さんみたいだが、あの旋風卿と一緒に森に潜ってきただけの事はある。自分より余程に場数を踏んでいるのだ。


「私がここで時間を稼ぎます。合図をしたら二人とも右手に向かってください」


「美亜さん!」


 美亜の言葉に実季が不満そうな声を上げた。その赤毛の姿は本物の風華の様に見える。きっとあの子も全く同じ事を言うだろう。でも彼女なら「嫌です」ぐらいは付け加えるだろうか? 美亜の心の中にそんな考えが不意に浮かんだ。だがこれが一番合理的な判断だ。


「貴方達にはもう矢はない。黒犬の群れ相手に短剣でやりあっても無意味よ。3人で逃げれば、3人とも背中から襲われてお終い。ならば打ち手としてまだ撃てる私が盾になって、貴方達二人を逃がす。普通の話よ」


「そうですね。それが普通の話です。組とは狩とはそういうものです」


 美亜の耳に聞きなれた声が響いた。見ると小さな岩の上に、ずっとそこにいたかとでも言うように、少しばかりふくよかな女性が一人でちょんと腰をかけている。


「お、お姉さま!生きていらしたのですか?」


 美亜の声が背後の岩に反響した。肩にかけた白い肩掛けと、街の住人が着るような洗いざらしの綿の服を着たその姿は、関門の裏通りあたりに住んでいる普通の主婦の姿のようにしか見えない。だが美亜は彼女が比類なき偉大なマナ使いであることをよく知っている。


「月令様から貴方達の行く末を見ろと言われていますからね。まだ死ぬわけにいきませんし、貴方達に死んでもらっても困ります。あーちゃん、そもそも貴方は仮にも城砦の二つ名持ちであるなら、これぐらいは自分で何とかして見せなさい」


 はそう告げると美亜の方をふり返った。だが言葉とは裏腹に、その顔はあのいつもの狭い部屋で書類に囲まれていた時と同じく、美亜が慣れ親しんだとても柔和な表情をしている。


「はい、お姉さま」


 黒犬が前にいるというのに、美亜は思わず目頭が熱くなってくるのを感じた。自分が失ったと思っていたものが全て目の前にあったのだ。


「年は取りたくないものですね。天井が落ちてからは貴方達の動きが速すぎて追うのに苦労しました」


 そう告げると、瞑暗卿は腰に手を伸ばしてそこをポンポンと叩いて見せる。


「あーちゃん、あなたの経路の取り方は距離を優先しすぎです。それよりは水路の歩き易さなど、休息時間を含めての単位時間当たりの移動量を元に経路を決定すべきです。数字に惑わされています。まだまだ経験が足りていません」


 瞑暗卿はそう言うと美亜に向かって肩をすくめてみせた。それは瞑暗卿が美亜の書類の間違いなどを指摘する時と同じいつもの仕草だった。


「お姉さま、申し訳ありません」


 素直に謝って見せた美亜に瞑暗卿が苦笑する。


「それと、そこの赤毛さんは偽物ですよね?」


「あっ、はいそうです。実季さんに化けてもらいました」


「納得です。いきなりこんなに優秀になるなんて、何か変な物でも食べたのかと思いました。では、いきましょうか?」


「黒犬達はどうすればいいでしょうか?」


 世恋が不思議そうな顔をして美亜に尋ねた。


「あの者達ですか? あの者にはこちらは見えていません。足元に気を付けて歩きなさい。ここで足をくじかれたりしたら助けに来た甲斐がないというものです」


「世恋さん、大丈夫です。この人は瞑暗卿ですよ。この城砦でもっとも偉大なマナ使いの一人です」


 そう告げると、美亜は二人に向かってにっこりと微笑んで見せた。


* * *


 傾斜路に火が放たれ、そこからは真っ黒な煙が上がっていた。頂上の城砦側では傾斜路から登ってきた冒険者達が、頂上側の守りについて声を張り上げている。それを横目で見ながら歌月はその反対側、関門の街へと降りる傾斜路の入り口側に向かって、少し右足を引きずりながら駆け寄った。


「後列は全て関門へ撤収。予備隊は前面でそれを支援する」


 歌月はそこに集まっている後列の面々や、予備隊とは名ばかりの、まだ自分で動くことぐらいは可能な軽症者達に声をかけた。実態は立って歩くのがやっとの者達だ。


 声をかけた歌月自身も、革の上着の所々を赤く染めており、髪をまとめていた紐が切れたのか、その鳶色の髪は肩から前におりてしまっている。それが汗と血に革の上着に張り付いた様になっていた。


 彼女の声に後列を担っていた人々が関門への降り口側へと移動する。その歩みは決して早くはない。彼らも多くの者が傷つき、そして疲れ果てている。書類の代わりに弩弓を手にした柚安がその中の一人に声を掛けた。


「喜代さん、こんなことに巻き込んでしまって、本当にすみませんでした」


 割烹着だけでなく、頬の辺りまでも赤黒い血でそめた喜代が、柚安に向かって口を開いた。


「柚安さん、何を言っているんですか? 私は貴方の側にいる方が、どんな所に居るよりも安心なんですよ」


 そう言うと、柚香安に対して少しはにかんだ表情を見せた。


「それより、離れている方がどんなにつらい事か」


 最後に俯きながら一言そう付け加えた。その首筋が真っ赤に染まって見える。柚安が喜代に向かって声を掛けようとした時だった。


 チチチチチ!

 チチチチチ、チチ!

 チィ――――!


 上空を漂う黒い煙の中から、数匹の帳が落ちるように彼らの前へと降りて来た。それらは耳障りな甲高い音で一声鳴くと、関門への降り口に向かっていた人々の方を向いて、その鋭い嘴を大きく開く。そして羽と一体になっている前肢を床について、後列に向かって突進する姿勢を見せた。


「喜代さん、下がって!」


 柚安が喜代を背後に隠すと、片膝をついて帳に向けて矢を放つ姿勢を取る。だが内心は自分ごときが撃ったところで何の効果もないだろうと理解していた。だが奴らが自分を敵だと認識すれば、喜代が逃げる時間をたとえ数砂(数秒)でも稼ぐことが出来るはずだ。


「柚安殿。貴方は私達より後に死ぬべき人ですよ。下がっていてください」


 弩弓を掲げた柚安の前にとても大きな背中をもつ男が進み出た。左手に槍を持っている。右手はまるですべての関節がぬけてしまったかのように、だらりとその脇におりていた。


 この男は一体どれだけの槍を放ち、どれだけの帳を落としてきたのだろうか? だがこの体ではもう何もできはしないだろう。


「禄に体も動かない方は黙っていてください。私にだって守らなければならないものがあるのですよ」


「あんたは見かけだけじゃなく、中身も思ったよりいい男だね。風華は少しばかりもったいない事をした」


 柚安の言葉に女性の声が答えた。旋風卿の大きな背中の横に、鳶色の長い髪を腰まで下ろした背中が見える。歌月は柚安の背後にいる喜代の方をちらりと振り返った。


「あんたもいい女だね。女の私でも惚れるよ」


 そう告げると、旋風卿と一緒に帳に向かって細身の剣を構える。だがその右足には大きな裂傷があり、止血布を通してもにじみ出てくる血が、その太ももに大きく赤い染みを作っている。


「歌月査察官長!」


「あんたは指揮官だ。さっさと後列をまとめて関門への撤退の指揮を執りな。このでかいのの言う通りさ。こいつの相手は冒険者の仕事だよ」


 ギュエ――――!


 帳が耳障りな声を上げた。いくら彼らが規格外な冒険者でも動けぬものにこれを止める事は出来ない。柚安は覚悟を決めると、喜代の体の前に膝をついて弩弓を構えた。


「総員、弩弓構え。前方の帳を撃つ。前衛、射線からの退去を願います」


 不意に背後から冒険者のものらしい声が響いた。その声に旋風卿と歌月が素早く身を屈める。柚安も背後に立つ喜代の手を取ると、その体を腕の中に抱いて身を屈めた。


 チィ――――!


 間合いを測っていた帳が、一斉にこちらに向かって突っ込んでくる。


 ブン、ブン、ブン!


 背後から弩弓の弓弦の短くそして低い音が響いた。次の瞬間には帳の体に無数の重い鉄の弓が突き刺さっているのが見える。前に帳の急所はない。だがあまりにも多くの矢を体にうけた帳達は、頂上の床へと体を横たえるとそのまま動かなくなった。


「旋風卿、いや監督官長殿。遅くなりましてすいません。関門の出先の監督官を拝領している『長嗣(ながつぐ)』です。関門の出先の冒険者並びに関門の商会の護衛隊の一部を率いて参りました」


 弩弓を手に砂色の髪をした、がっしりとした体型の男が旋風卿の前へと進み出た。


「助かりました。後列の撤退の支援ならびに、頂上前衛の支援をお願いします」


「了解です。なお商会の護衛隊の残り及び、関門の住民による防衛隊並びにその後列は、関門入り口にて編成中です。可能であれば編成を指揮できる指揮官の派遣をお願い致します」


「指揮官長の柚安です。了解です。すぐに人員を派遣します」


「柚安君、遅くなってすまないね」


 長嗣に向かって声を掛けた柚安に横から声がかかった。声を掛けた人物はこの場に場違いな商会の上役が着るような黒の上下を着た男だった。


「桐輝さん、商会をまとめてくれたんですか?」


「ほとんどは君の父上と母上の置き土産を使っただけだ。僕がやったのは物事が見えていない一部の人を、ある人に手伝ってもらって遠くに送ったぐらいだよ」


 桐輝は右手の人差し指を立てて、僅かに白みかかってきた空を指さして見せた。


「まあ、いずれにせよ大したことはしていないがね。それでも私としてはとてもうれしく思っているんだよ。私にも役割と言うのがあったのだからね」


 そう言うと白い歯を見せて柚安に向かって朗らかに笑って見せた。そして背後に控えていた侍従から袋のようなものを受け取ると、それを喜代に向かって差し出す。


「それから喜代さん。長らくお休みされていますが、お店の方は私の方で常連さんに事情を説明してあるので、ご安心ください。こちらは常連の方々からあなたに、ぜひに渡してくれと頼まれて預かった物です」


 喜代はきょとんとした顔で桐輝から油紙の袋を受け取った。そして中に手を入れる。


「なんだい。冗談も大概にしておくれ。あの人たちは人の恋路の邪魔をするつもりなのかい!」


 中を見た喜代の口から大きな声が上がった。その声に撤収準備をしていた周りの人達が喜代に注目する。喜代の手には赤ん坊用の手袋やら帽子が握られていた。


「そんなことはないと思いますよ。すぐに役に立ちます。これでも商人の端くれですからね。それぐらいは分かりますよ」


「美明さん、あんたも喜代さんを見習わないといけないですね」


 喜代の背後から、他の者達同様に服を血で真っ赤に染めている瀬乃が進み出ると、その横で弩弓を構えていた美明に声をかける。


「私も義理の姪や甥の顔を早く見たいと思っています」


 桐輝も赤ん坊用の衣類を握りしめてうろたえている喜代に向かってにっこりとほほ笑んで見せた。含み笑いを抑えていたらしい、周りの女達の口から笑い声が漏れ始める。その笑いに喜代は頬だけでなく、首のあたりまで真っ赤になっていく。


「皆さん、おしゃべりはもう少しだけ後にしてもらうとありがたいですな。撤収を急いでください。少しばかりまだ帳が残っています」


 女達のやり取りと笑い声を聞いていた旋風卿が声を掛けた。それを見た歌月が旋風卿の外套の袖を小さく引く。


「これの邪魔をするなんて、あんたは馬に蹴られて死んでしまえという類だよ」


 歌月は旋風卿にそう声を掛けると、心底呆れた顔をして見せた。

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