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「ここよ!」


 美亜は地下水路間を繋ぐ連絡通路の先、出口へつづくと思しきくぼみのようなところに飛び込んだ。だがその先には地上へ続く様な物は何もない。ただ壁があるだけだ。


 ゴオオオオオオオオオオオオオ!


 背後では地鳴りのような音が響いている。この連絡通路なんて、流れ込んでくる濁流にすぐに水没してしまうだろう。だが焦りは禁物だ。地図では間違いなくここが出口として書かれていた。


 美亜は結社長の私邸で地下水路への入り口だったところを思い出していた。あれは確か入り口の右手のところ、石の陰に扉を開ける把手が隠れていた。美亜は腰に佩いていた短剣を引き抜くと、その柄で壁の煉瓦大の石を叩いていく。その中の一つが外れて滑り落ちた。


「来ます!」


 背後で通路を警戒していた実季が叫んだ。美亜はその穴の中に手を入れると、中にあった把手のようなものを引いた。


 ガコン!


 壁に偽装していた扉が開いて、階段らしきものと、その先にぽっかりと開いた暗闇の先に星の瞬きが見える。


「急いで!」


 美亜の言葉に、世恋と実季が階段に向かって駆けあがると、彼女らの背後で轟音と共に真っ黒な何かが、連絡通路の中をとんでもない勢いで流れて行った。


* * *


 ズドドドドドド……


 今までとは全く違う不気味な音に、私は背後の水路の方をふり返った。


「あれ? 水ってこんなに少なかったっけ?』


 水路に見えるその水量は、私達がここまで来ていた時の半分以下ぐらいにしか見えない。そして何やら茶色く染まっているようにも見える。


『違う!土砂でせき止められているんだ!』


 私はこの音が何を告げようとしているのかを理解した。この広間の天井は水路の上の天井よりはるかに低い。それが来たら私達はおしまいだ。


「白蓮!まずい!」


「ふーちゃんどうしたの?」


「鉄砲水が来る!」


 ズドン!ゴオオオオオオオオオオオオオ!


 私が白蓮に答えると同時に、とてつもなく大きな破壊音が背後で上がった。続いて地鳴りのような音が水路から響いてくる。


 茶色く染まった濁流が、水路の方から一気にこちらに向かって押し寄せて来るのも見えた。それは私達のいる広間に大きな波となって打ち寄せ、壁にあたって大きく跳ね返る。


「白蓮!」


「ふーちゃん!」


 ザブン!


 下から体ごと押し上げられる水の勢いに、体が宙に浮きそうになる。いや、完全に水で包まれた。


 白蓮が片腕と背中を天井に押し付け、片腕で私の体を引きよせる。だが水の浮力に足場を失った私の体は、水の流れと共にそのまま下へと落ちて行く。私は両手で白蓮の体を必死に掴んだ。だが私の両足は何も捉えることなく宙をさまよっている。


 ザブン!


 再び波が押し寄せ、広間の壁にぶつかって跳ね上る。私の体はそのまま天井の方まで押し上げられた。今度は背中を天井に、続いて壁に強打する。その波と一緒に再び私の体も下へと落ちていく。


 白蓮は階段を下りると、天井から落ちてくる私の体を受け止めようとした。だが狭い階段に彼自身が波にさらわれそうになる。


『白蓮、だめよ!」


 私を放さないと。あなたまで道ずれになる。私は心の中で叫び声を上げた。だが白蓮は構わず体を伸ばして私の体を受け止めようとする。白蓮が体の支えを求めて、壁の石が落ちて出来た穴に手を伸ばした。


「ガコン!」


 白蓮が手を伸ばした先、私の体がぶつかって石が落ちて出来た穴の中に、何やら把手のようなものが見えた。白蓮は自分と私の体を支える為に、左手でその把手の様なものを偶然握ったらしい。


 ギィィイィ――――!


 少し耳障りな音がしたかと思ったら、背後で天井を塞いでいた黒い金属の扉が左側を支えにして、下へと勢いよく落ちて行った。


 バン!


 落ちた扉が水に押し上げられ、壁と反対側の蝶番を軸に天井に向かって激突すると、とても大きな音を立てた。もしかして私達は思いっきり反対側に向かって開けようとしていた?


 だがそんなことを考える間もなく、白蓮は強引に私の体を引き寄せると水の流れに合わせて、その扉の向こうへ水と一緒に体ごと飛び込んだ。


「ゲホ……ゲホッ……」


 飲み込んでしまった水が、肺の方へ行ってしまい盛大にむせる。


 白蓮は私の体を小脇に抱えると、下へと落ちていく水に逆らって、そこにあった階段らしきものを登っていく。額につけたマ石の明かりに照らされたそのわずか数段の階段が、私にはとてつもなく長い階段のように思えた。


 白蓮はその階段を登り終えると、私と一緒に床へ倒れ込んだ。私達が昇り終えた先には、ただ真っ暗な闇が広がっていた。


* * *


 背後では、連絡路を水が流れていく「ゴーー」という音が響いている。世恋は美亜と実季の3人で円陣を組みながら、内衣嚢から取り出した筒から素早くマナ除けを掛けた。もっともこのマナ除けも今は気休め以上のものではない。


『警戒』、『マ者』、『右手』、『100』


 右手を警戒している世恋が二人に手信号を送った。そこでは美亜が岩もどきと呼んだマ者が、円陣を組んで槍のようなするどい角を天に向かって振り上げている。


 赤みを帯びた月明かりに照らされたその姿は、まるで古代の何かの儀式を執り行おうとしている司祭のようだ。


 世恋はその神秘的な風景に思わず見惚れそうになった。だがこいつらには毒がある。僅かな毒で美亜の左手を持っていった相手だ。ここからすぐに離れないといけない。


 この3人には探知持ちは誰もいない。だからどこが安全なのかは全く分からないが、こんな遮蔽物も何もない丸見えのところに居る訳にはいかなかった。


 背後の地下水路に戻るという選択肢もない。水が引いた後でも土砂や瓦礫で進むなんてのは無理だろう。それに隠れていても、さっきのように上から通路ごと潰される。


『移動』、『左』、『森』


 先頭にいる美亜が後ろ手に手信号を送った。3人はその合図に腰をかがめたまま、左手にある森に向かって移動を開始した。


 世恋の前には月明かりに照らされた赤毛の女性二人が先行するのが見える。一人は深い赤色。そしてもう一人は見慣れた炎のように明るい赤毛だ。実季の爪の先までというのは誇張ではない。もっともその動きは本物よりはるかに機敏で無駄がなかった。


 グオォォォオォォォオォォ! グオォオォォオォォ! グオォォォオォォオォォ!


 背後から雄叫びとも太鼓の連打ともいえぬ音が響き渡る。岩もどきらがこちらに気が付いたらしい。


 ドドドドド!


 続いて岩もどきが向かってくる地鳴りの様な足音が響いてきた。先ほどの水が向かって来た音と大差ないくらいの音だ。それは渡りや黒犬とはいかないまでも、馬の速歩に近い速さでこちらに向かっていた。


「右の岩影へ!」


 先に森に飛び込んだ美亜が進行方向を指示した。どうやら別の地下水路への入り口を目指すつもりらしい。世恋は美亜の記憶力とその正確さに舌を巻いた。まれに、いや最近はたくさんの人達が行方不明になった理由の一つは間違いなくこれだ。


「ここから北に500杖ほど先に入り口があります。だけどここは岩場なので足元と奇襲に気をつけてください」


 美亜はそう一言告げると、腰につけた位置確認用の角灯に火をつけて、前にあった岩の後ろに向かって走り出した。


 確かにこの辺りは渓谷の山の方からの古い落石や、氷河がこの辺りまで運んで来たのか、人の背丈をはるかに超える巨石が辺り一面に存在している。足元も岩場だ。足元は悪いが、あの岩もどきから姿を隠して捲こうとするならここを抜けるしかない。


 ズドン!


 背後でとてつもなく大きな音が響いた。岩もどきが、本物の岩に向かってその体をぶつけたらしい。


 ズドン! グオォオォォオォォ!


 岩に反響して分かりにくかったが、その叫びは先ほどよりは少しだけ小さくなったように思える。岩が邪魔でやつらはこちらには来れていない。少なくともあんな図体で岩のような体をした上に、毒まで持っているやつと直接やりあう必要はないらしい。


 世恋は安堵のため息をもらすと、少しだけ安心して前の二人を追った。だがどうしたことか、体が重くて思うように前に進まない。しばらく森に潜っていなかったので、体がなまったとでもいうのだろうか?


 だが疲労と言うより、風邪を引いた時のような倦怠感を伴う体の重さだ。それに緊張からだろうか、胃の調子も悪い。ここで二人から離されてしまったらお終いだというのに。世恋は森に潜り始めたばかりの駆け出しの頃を思い出した。


「世恋さん、右です」


 世恋が少し遅れ気味なのに気が付いたのか、前を走っていた実季が、大きな岩の手前で世恋に声を掛けた。その姿は風華そのものなので、世恋としては風華に叱咤激励されてるような気がして不思議な気分になる。


 思わず苦笑すら浮かべてしまいそうになった時だった。突然に天から降って来た黒い影が、実季に向かって飛び掛かろうとした。


「上!」


 世恋の叫びに、実季ははっとした表情をするとすぐに上を見た。そしてその一撃を避けるべく、体を地面へと投げ出す。


 グルルルゥ!


 音もなく足元の岩に着地した黒犬の低い唸り声が響いた。だが体を投げ出してそれを避けた実季は、岩場の上に体を打ちつけて、直ぐには起き上がれずにいる。


 世恋は一瞬背後の弩弓に手を回そうとしたが諦めた。横合いからの弓の一撃などでは、こいつを止める事など出来ない。黒犬の爪が実季を捕らえる方が早い。世恋は自分の無力さを呪った。森ではただの役立たずだ。


「こっちよ!」


 世恋は黒犬の注意を引くために叫んだが、黒犬は世恋の方を一顧だにせずに、実季に向かって爪を上げて跳躍の姿勢を取ろうとしている。世恋は背後に斜めに差してある二本の短剣を両手に抜くと、片方を黒犬の目に向かって投げた。そしてその首筋に向かって体ごと短剣をねじこむ。


 グヌゥゥゥウウウオオオオオ!


 その一撃に黒犬が咆哮を上げた。黒犬はその体をぐるりと回すと、前足で辺りを払う動きをする。その動きに世恋の体は反応しきれずに、引きずられるままに弾き飛ばされた。


 受け身もろくに取れずに、背後にあった岩に背中を強打してしまう。その衝撃と痛みに、世恋は一瞬目の前が真っ暗になったような思いがした。目を開けると黒犬の牙が目と鼻の先にある。


 手には何もない。世恋は自分の最後を覚悟した。これで呪われた運命も全て終わりだ。だけど死ぬ前にあの人と繋がることが出来た。そして誰かを救うために命を終える。人形としてこの世に生を受けたものにとっては、本来は望むべきもない幸せな終わり方だ。


 だが黒犬は目の前にいる世恋の方から顔をそむけると、背後の方を見ながら何やら鼻を引くつかせているだけだ。後ろから来ている岩もどきでも気にしているのだろうか? だが首から血を流したまま、何かを探すかのように辺りをぐるりと一周して見せる。


『これは……この動きは……』


「世恋さん!」


 右手から上った美亜の声と共に、黒犬はばたりと倒れると地面へと横たわった。世恋はすかさずその首筋にあった短剣を抜くと、目の奥の黒犬の急所へと剣を突き立てる。黒犬は小さく痙攣すると全く動かなくなった。


「世恋さん、実季さん、大丈夫!?」


「すいません。不意をつかれました」


「大丈夫です」


 世恋は当惑しながら黒犬から剣を抜いて血糊を拭うと、地面に落ちていた弩弓を拾い上げた。そして周囲の岩場を警戒する。こいつ一匹だけという事はない。


「右手、警戒しながら進みます。実季さんは力を使って先行してください。世恋さんは背後への警戒をお願いします。私は上を担当します」


「はい、美亜さん。了解です」


 栗色の髪を頭の高い位置でまとめた実季が先行するのが見える。だけど世恋の視界から、いや意識から実季の姿は消えていない。短弓を手に左右、上と警戒しながら素早く先へと進んでいく姿が見えた。


『これは……これは……白蓮さんと……同じ?』


 ズドン!」


 背後からは岩もどきが、岩にぶつかる低く鈍い音が響いてくる。世恋はその音を聞きながら自分の下腹部に右手をあてた。


 もしかしたら自分は白蓮と同じに全てのマナの力を失ったのではないだろうか? そして奴らから見えていないのではないだろうか?


 だとすればその理由は一つだけだ。どんな奴が来ようとも、私は絶対に生き延びなければならない。


 世恋はそう固く決意した。私の体に宿る命は一つだけではないのだから……。

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