地下水路
「この通路を直進です」
美亜さんが私達に声を掛けた。そこは今まで見た中ではもっとも大きな水路が流れており、その幅は10杖を超えそうなぐらいだった。
天井も高く普通の建物の2階以上はありそうだ。そしてそれはここまでの普通の石づくりの水路とは違って、真っ黒な石で全く隙間なく積み上げられている。間違いなくここは黒の帝国が築いた水路だ。
ズン……、ズン……
実季さんを先頭に先に進もうとした私の耳に何やら低い振動のようなものが響いてきた。何だろう? 角灯の明かりを水路の方へ差し出してみたが、流れる水には特に変わりがないように見える。水路を流れる水ではないとしたら一体…
「ふーちゃん、どうかした?」
立ち止まって水路の方を見ていた私に白蓮が声を掛けてきた。
「白蓮。何か歩いているというか、振動音というか、とっても低い音が聞こえてこない?」
白蓮は私の問い掛けにしばし耳をすましていたが、私に向かって首を横に振って見せた。
「僕には何も聞こえないけどな」
「どうかしましたか?」
背後から世恋さんが私達に声を掛けてきた。
「世恋さん。さっき何か振動音のようなものが聞こえて来たのですが……」
ズン……ズン……
間違いない。気の所為なんかじゃない。何かが私の革の外套の上に降り注いで、パラパラと乾いた音を立てた。
『雨?』
いやここは通路の中だ。上から雨漏りの水滴でも落ちて来たのだろうか? でも水滴ならこんな乾いた音を立てる訳がない。私は白蓮と顔を見合わせた。天井の紙一枚入りそうにない岩の隙間から、小さな破片のようなものが降り注いでいる。
ピチャ!
私が差し出したままだった角灯の先で水音がした。さっきまではまるで鏡のように静かに流れていた水が微かに波立ち、さらに天井から降ってきた破片の波紋でまるでひび割れた鏡のようになっている。
「白蓮!」
「みんなここから離れるんだ」
私と世恋さんは白蓮に頷くと、前に居る美亜さんと実季さんの方へ向かって全力で走りだした。
ズドン、ズドン、ズドン!
もう振動音というより、何かが巨大な銅鑼をならしているかのような音が辺りに響き渡っている。上からはまるで砂の雨が降ってきているようだ。
バシャン!
背後の水路の中で何かが跳ねる音がした。
ギュェ――!
黒い何かが水から飛び出したかと思ったら、水路の壁に張り付く。
何だ、何だ!!
それは平べったいあまりに大きな顔と、それに比較して小さな体、それに長い前後の足がついている。まるで大人の顔に無理やり子供の体をつけたような姿だ。その真っ黒な体は頭に付けたマ石の明かりの中でぬめぬめと光っている。
ギュエ――――!
それがその平べったい口を一杯に開けた。まるで真っ黒な向日葵の花がそこに咲いたかのように見える。だがそれは決して花なんかではない。
その花びらの内側、黒い穴のように見えるそこには大量の小刀のような歯が円状に敷き詰められており、それが波紋のように真ん中から外側に向けてうねうねと動いている。
「顎だ!」
私をかばうように横を走っていた白蓮が叫んだ。
バシャン! ギュエ――!
まるでその叫びに呼応したかのように、白蓮が「顎」と呼んだやつが次々と水路から飛び出してくる。その全てがこちらに向けて牙を向けた。これは間違いなくやばい!
「お姉さまこちらに!」
連絡路らしきものの影に身を隠しながら、こちらに向って弩弓を掲げていた実季さんが叫んだ。
ドン!
私達の後ろに迫っていた顎に向かって美亜さんと実季さんが短弩を放つ。
「耳栓を!」
連絡路への登り口に身を躍らせた私達に向かって、美亜さんが声をかけた。慌てて大外套の頭巾の内側に張り付けてある耳栓を取り出してつける。
ドドドドッドドッドドッドドドッドン!
耳栓をしていてもとんでもない音が響いてきた。そして足もとの岩が大きく揺れる。音響弾ってこんなに威力があったのだろうか?
「ふーちゃん!」
白蓮が私の手を取るとそれを思いっきり引っ張った。その力と勢いに私の体が宙に浮いたかと思うほどだ。
ザブン!
頭の上から洗濯たらいを山ほどひっくり返したかのような水が落ちてきた。
「ゲホ、ゲホゲホ……」
思わず鼻から入った水に咳き込んでしまう。もし白蓮が私の手を引いてくれなかったら、その勢いに水路の中に流されてしまっていただろう。そうだ。皆は、皆は無事だろうか!?
顔の水を大外套の袖で拭いて辺りを見回すと、皆は連絡路の手すりらしきものにつかまってやりすごしたらしく無事だった。だが再び襲ってくる波と言うより、水の壁に体が流木のように流されそうになる。
「ふーちゃん! 上に上がれ!」
白蓮の声が耳元で大きく響いた。さっき頭から被った水で耳栓もどこかにいってしまったらしい。道具袋の中に予備の耳栓はあっただろうか? ないと音響弾を使ったら鼓膜がもっていかれてしまう。
「天井が!」
連絡路の階段を少し登った先にいた実季さんが叫んだ。
振り返ると、水路には大量の石と土砂が流れ込んでおり、水はそれを越えるように流れている。そしてその上にはぽっかりと大きな穴が開いていた。その先では大きな赤い宝石のようなものが明るく光り輝いている。
月だ。真っ赤な赤銅色の月だ。
さっきの大音響は音響弾ではなく、これが崩れた音だったらしい。本当に危機一髪だった。
そこから差し込む月明かりに照らされた水路は、土砂に埋まりひどいありさまだったが顎の姿はない。天井から落ちた石と土砂に押しつぶされたのだろうか?
思わず天井に開いた穴をまじまじと見つめてしまう。その時だった。天井の穴から何か槍のようなものが突き出された。
いや一本だけじゃない。穴の縁からまるで何かの儀式でも始まるかのように、何本もの鋭い槍のようなものが突き出されて行く。その槍に続いて、何やら茶色い岩みたいなものが穴の中へと降りてきた。
「隠れろ」
白蓮が私の手をさらに引いて、通路の影へと身を引かせた。
「岩もどきだ」
白蓮が私の耳元でささやいた。
「油紙を入れた止血布で顔を覆うんだ。奴らは毒液を吐く。それにふれたら……」
「私の左手と同じ運命よ」
美亜さんが白蓮の言葉の先を続けた。穴から差し込んでくる月明かりに、奴らの影が水路の壁に蠢く。それはまるで村祭りの影絵劇のマ者役を見ているかのようだ。やがてそれはゆっくりと上に向かって消えて行った。
ズオン、ズオン!
そして再び振動音が響き始める。それは私達の頭の上の方へと向かってきた。
「やつらはこちらを生き埋めにするつもり?」
「まさか? でもどうしてこちらの位置がばれたんだ?」
ギュエ――――!
再びあの耳障りな鳴き声が聞こえたかと思うと、土砂の上にあの真っ黒な丸い口が顔を出した。それは前脚で土砂を掻き出してこちらに向かおうとしている。
「あああ、あぁぁ」
隣にいた美亜さんの口からうめき声が漏れた。
「美亜さん!」
「右目が!」
私の問いかけに、美亜さんが苦痛に耐えながら答える。
「風華さん!」
「はい!」
「あなたは白蓮さんと先に行って。このまままっすぐ行けばいい。本城砦への登り口の手前は少し大きな広間のようになっているはず。すぐに分かるはずよ」
美亜さんが突然に私に向って指示を出した。
「え、でも……」
「時間がない。あの土砂が水流に押し流されたらこの通路自体が土砂で埋まって先に進めなくなる。上からくるやつらに天井を押しつぶされても終わり」
「そうですね。それがいいです」
美亜さんの言葉に世恋さんも同意して見せた。
「分かりました。みんなで先を急ぎましょう」
だが美亜さんは私に向って首を横に振って見せた。
「だめよ。貴方と白蓮さんで先行して。私達はここであの顎達を抑える。あれは水の中を自由に泳げる。この瓦礫を盾に誰かが抑えないとすぐに追いつかれてしまう」
「駄目です! みんなで百夜を迎えに――」
「行きなさい! あなたはここに居るだけ足手纏いよ」
「嫌です!」
足手纏いと言われようが何と言われようが、誰かを置いて先に行くなんて事は絶対にできない!
ズドン、ズドン! ギュエ――――! ギュエ――――!
頭の上でまた振動が、土砂の向こうからは耳に障る鳴き声が響いてくる。こんな奴ら相手に抑えるって、どうやったらそんなことが出来るの? 出来る訳ないでしょう? 皆で逃げるしかない!
「副結社長の権限に基づきあなた方に命令します。冒険者風華は冒険者白蓮と共に本城砦に可及速やかに移動。冒険者百夜の救出を行う。救出後は各自の判断で関門まで退去」
美亜さんは私達にそう告げると、世恋さんと実季さんの方を振り向いた。
「冒険者世恋、冒険者実季は私と共に前者の支援を行います。移動を確認後、地下水路の連絡路を使って関門迄退去。復唱はいりません」
それでも世恋さんと実季さんの二人は美亜さんに向かって『了解』と手信号で返した。
「美亜さん、嫌です!」
「風華さん。たまには私の言う事を聞きなさい。白蓮さん、彼女をよろしくお願いします」
白蓮は私の体をまるで攫うかのようにその腕に抱くと、通路の奥に向かって押し出すように走り始めた。




