絆
「もしかして向こうも息切れですか?」
伊一は希望を込めて傍らにいた学心に問い掛けた。傾斜路も頂上への帳による攻撃もこの四半刻ぐらいからかなり減ってきている。
「そうだろうか? この程度で息切れするのなら、もっと早くからその兆候があってもよさそうだ」
伊一の言葉に学心は疑わしそうに頭を振った。
「いずれにせよ、一息つけるのはありがたい。疲れているのは何も前線で戦っている者だけじゃない。後列もそうとうくたびれている。この隙に関門から荷揚げもできるし重傷者も下ろせる」
鹿斗が伊一に向かって答えた。彼の顔も疲労の色が濃い。ある意味ではこの戦が始まる前から備え方が一番忙しく動き続けていると言えた。
「この間に隊を再編出来るのも助かりますね。研修生迄傾斜路に投入しているような状況ですから」
柚安が書類の束をめくりながら鹿斗に答えた。彼の持つ名簿にも、負傷などで戦えなくなった者たちの斜線の数が目立つ。
「そうだ。そんな駆け出し未満を出すぐらいなら俺が出る」
前にならぶ者達のやり取りを見ていた多門がじれったそうに叫んだ。彼の背後からは治療を待つ負傷者達の小さなうめき声と医事方の怒鳴り声が響いている。
多門としては大将だか何だか知らないが、ここでじっとしているのはもう耐えられそうに無い。
「分かっているのか? お前は結社長なんだぞ!?」
多門の言葉に学心が怒鳴り返す。多門の方をふり返った伊一が、さらに怒鳴り返そうとした多門に向かって右手を上げて見せた。
「こっちも駆け出しの結社長なんでね。よく分からないという事にしておいてくれ」
それでも多門は二人に向かって大きく両腕を広げて訴えた。
「多門さん、あんたは直接の切った張ったは得意じゃないんだ。邪魔ですよ」
多門の背後から声が上がる。
「それより学心さん、せめて俺には結社長の護衛なんてもんじゃ無くて、いますぐ傾斜路に行かせてもらえませんかね。うちの者達の借りをきっちりとやつらに返させてください」
多門の背後で弩弓を抱えていた創晴は前に出ると、学心に懇願した。多門としては仁英や用哲が前で指揮をとっているのに、自分だけがここに居る事が歯がゆくてしょうがない。
それに仁英や用哲だけではない。用哲の妻の瀬乃をはじめ、城砦の奥様方までが後列として傾斜路を駆けまわっているし、研修生と一緒に千夏も下にいる。
「駄目だ。例え一人だけだろうが多門、お前が生き残れば我々の勝ちだ。だから創晴、この男を守るのがお前の任務だ。帳なんかの奇襲にあって、あっさり首を取られたりしないようにしろ」
「本当に勘弁してください」
創晴は学心に向ってうんざりした顔をして見せた。
「ですが、明らかに数というか襲撃の頻度が減っていますよね」
子供の様に駄々をこねる二人を無視して、伊一が学心に再度状況を確認した。
「それじゃ。おそらく襲ってくる奴らの意識がこちらではなく、別のところに向かったのだろう」
「別? 仲間割れでもしたという事ですか?」
伊一が驚いた顔で学心に問いかけた。
「違う。ここに居ない者達は誰だ?」
学心の言葉にこの場の全員が顔を見合わせた。
「赤毛達か!?」
多門の叫びに学心が頷いた。
「神もどきの時もそうだった。あれは間違いなくあの子達の所に向かっていた。そしてあの子達には神もどきの人を操る力は効かなかった」
「俺の力もだ。今まで例外など全く無かったのに、白蓮と赤毛には効かなかった」
「あの者達は間違いなく我々とは違う何かを持っている。おそらくあの者達がここに居ないことに気が付いたのか、あるいはあの者達の居場所に気付いたのか……」
多門は学心の言葉を最後まで待たずに、傍らにいた鹿斗に向かって声を張り上げた。
「鹿斗! 下までの急行便の用意をしろ」
そう告げると、多門は頂上の一番端に設置してある鉄の櫓の様なものを指差した。鉄線を撚った綱で城砦のすぐ下まで物を一気に下ろすための設備だ。
「急行便だって!?」
鹿斗が多門に向って聞き返す。
「そうだ。それを使って一気に下まで降りる」
多門は鹿斗に向ってそう宣言すると、鹿斗の手を取って櫓の方まで引っ張って行こうとした。
「おい、あれは書類なんかを送るためのもので、人なんか送るもんじゃないぞ。それに一人で降りて……」
「俺の力は俺以外に無差別だ。一気に城砦まで降りて、この辺の奴らを全部掃討してやる。やる前に閃光弾で合図するから、終わったら救援隊を送れ!」
「勝手な事をするんじゃない!」
多門に向かって学心が怒鳴り声をあげた。その迫力の前に多門も一瞬口を閉じたが、鹿斗の手を離して学心の前へと進んだ。
「じいさん、もう黙っていてくれ。こいつは俺の結社長としての命令だ」
多門は学心の顔を指さすと、叩きつけるように告げた。
「儂は全権だ。おぬしの命を聞く義務はない!」
学心が多門の言葉を一蹴する。
「じいさん! 何を馬鹿な事を言っているんだ!」
学心は自分を指さしていた多門の手を払うと、多門の目前までにじり寄って口を開いた。
「馬鹿はお前だ。お主の力が何かを守るのには向いていないのは、お主自身が一番よく分かっているだろう? それで彼らまで巻き込んだらどうするのだ? お前はそれを避けられると保証できるのか?」
多門は学心に何かを言い返そうとしたが、学心の迫力と言葉を前に何も言い返せない。
「畜生、俺はどうしてこうも役立たずなんだ!」
学心の顔から視線を外すと絞り出すように叫んだ。
「多門、お主はよくやっている。お前がいなかったら儂らはここに籠城すらできなかった」
そう呟くと、学心は多門の肩に手を置いた。
「嫁さんを、あの子達を信じろ。それが絆という奴だ」
そう諭すように多門に告げた。




