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 チィチィチィ――!


 前衛が打ち漏らした一匹の帳が関門の頂上に落ちるように舞い降りてきた。その先にいた事務官や城砦の住人達による後列がその行く手から逃れていく。だが誰も叫び声を上げたり、混乱に陥る者はいない。それは予定通りの動きだった。


 一部の弩弓の装填役だったものがそれを掲げて、後ろに下がる人々を支援する姿勢を見せる。


 だが彼らがその弩を撃ったところで、帳を止める事は出来ない。精々が動きをけん制できるぐらいの事だろう。なぜなら帳の急所は背中にある。


 後方で予備隊の再編を指揮していた歌月は、細身の剣を抜くと帳の方へ駆けだした。走りながら思わず舌打ちをする。予備隊というのはここぞの時の為にあるはずだが、実際のところは最初から全力投入され続けている。


『そんなものは予備隊なんては呼ばないね』


 心の中でそう毒づくと、歌月は弩弓を掲げていたもの達に声を掛けた。


「下がってな!」


 歌月は走りながら鳩尾の下のマナを意識する。マナが体中に行き渡るにつれて、自分の周りの視界が変わった。前方だけがはっきりと見え、周囲の風景はぼんやりとしたものへと変わっていく。


 それに前に映っている風景は、横に見えるものよりゆっくりと動いているように見え始めた。歌月の神速の力が働き始めた証拠だ。


 歌月は視界の先にいる黒い羽を持つマ者、今は片側を炎使いによって焼かれた帳の背中に向かって進んだ。その片羽の帳は円錐状の嘴を開いてこちらを威嚇しようとしている。その動きも全てがゆっくりだ。


 だが時間がない。歌月がこれを維持できるのは僅か数呼吸の間だけだ。そして限界を超えた動きに体中の筋肉という筋肉から悲鳴を上げたくなるような痛みが襲ってくる。マナより先に体の方が持たない。


 その痛みに耐えつつ、歌月は鋼のようにするどい羽の下を潜り抜けて帳の背後へと回った。そして羽を支える二つの前肢の延長線上、すこしコブになっている所の下に手にした刃を突き刺す。


 月貞から渡された母親の形見、黒刃の細身の剣だ。それは牛酪(バター)に熱した棒を突き刺したかのように、するりと帳の体の中へと入っていった。


 視界の中で帳の体がゆっくりとのけぞっていく。歌月は筋肉の収縮により剣を持っていかれる前に、それを素早く背中から引き抜いた。真ん中だけだった視界が徐々に周囲へと広がっていく。力の限界だ。


 限界に合わせて、歌月がマナを開放しようとした時だった。その視界の隅、上方から何かが急速に近づいて来るのが見える。新たな帳がこちらに狙いを定めて降りてきていた。その鋭い嘴が視界の中で徐々に、そして急速に大きくなっていく。


 歌月は体をむりやりひねると、それを右手上方へとやり過ごした。だが、帳のさして長くはない後肢の先の爪に大外套を引っ掛けられて、体が地面へと放りだされる。その瞬間に急に視界が普通に戻り、歌月の体は関門の頂上の床を転がり回っていた。


 頭上では月明かりでは消すことが出来なかった星たちの瞬きが見える。こんなところに寝っ転がっていてはやつの格好の獲物だ。予備隊の隊長とか言うのがこんなに早くくたばる訳にはいかない。


 歌月は体を回転させて起き上がろうとしたが、胸にするどい痛みが走る。さっき引っ掛けられた時にあばらをやってしまったらしい。辛うじて上体を起こした歌月の前に、帳が旋回して向かってくるのが見えた。


「撃ち落とせ!」


 背後の後列の方から声が上がった。


『何をしているんだい』


 その声に歌月は舌打ちをした。正面から飛んでくる帳を落とすのは無理だ。自分がやられている間にこいつと距離を取らないといけない。さもないと、みんなまとめてあの世行きになる。だがそれを声に上げる時間さえ、歌月には無かった。


 ズドン!


 帳の真っ黒な嘴が歌月に届こうとした瞬間、何かが帳を体ごと真横へと吹き飛ばし、そのまま地面へと叩きつけた。


 チチチチチ!


 それでも帳は前肢も羽もぐちゃぐちゃに曲がったまま、その顔だけを上げて鳴き声を上げた。なんてしぶとい奴だ。そう思った歌月の前に現れた黒い影が、その背中へと槍を突き立てた。


 チチィィ――――!


 帳は絹を裂くような断末魔の叫びを上げると、頭を落としてぴくりとも動かなくなった。


「歌月殿にしては油断されたみたいですな」


 左手に槍を持った旋風卿が歌月の方に語りかけた。その黒かったはずの大外套は今や赤黒く染まっている。


「下はいいのかい?」


「食事の間、堅盾卿の班に代わってもらっています」


 旋風卿はそう告げると、槍を怖きに抱え直して左手を歌月に向かって差し出した。歌月は彼が差し出した左腕とだらんとぶら下がっている右腕の長さが違うのに気が付いた。


「あんた右腕が……」


「これですか?」


 旋風卿は歌月に向かって左手で右肩を指さすと、おもむろに右腕をもってそれをむりやりひっぱった。


 バチン!


 鈍い音がすると、旋風卿は右肩をゆっくりと回して見せた。


「片腕ぐらい動かなくなっても命に別状はありませんからね」


「そうだね。私もあばらの一、二本ぐらい持っていかれたところで命に別条がある訳ではないさ」


「なら、何の問題もありませんな」


 旋風卿の言葉に歌月は頷いて見せた。そして駆け寄って来た予備隊の面々を見ながら旋風卿に向かって告げた。


「そうだね。しばらく潜ってなくてなまっていたところだから丁度いい。この久しぶりの命がけの()という奴を楽しもうじゃないか?」


* * *


「学心さん、大丈夫ですか?」


 伊一はそう声を掛けると、後ろから弩弓でしとめた帳の前へと駆け寄った。前には弩弓を掲げて尻もちをついている学心の姿がある。


「ああ、わしの事なら大丈夫だ。これでも昔は弩の名手だったのだぞ」


 伊一が後ろを振り返ると、動かぬ躯になった帳の大きく開いた口の真ん中に、鉄でできた弩の矢が突き刺さっている。どうやら学心の言っていることは本当らしい。


「飛んでくるというのは本当に厄介ですね」


 伊一が辺りを見回すと告げた。どうやら帳のこの波は防ぐことができたらしい。だがマナ切れを起こす者が続出している。特に炎使いはその性質上、力を抑えて使う事が出来ない為に消耗が激しかった。


 そのために背後から急所を撃つ、あるいは羽を燃やして叩き落すことが出来ずに後列まで達する帳が出ている。


「ああ、だが帳本来の動きではないようだな」


 立ち上がった学心が次の矢を弩につがえながら答えた。


「そうなんですか?」


「そうだ。おそらく単純な指示に従って行動している。帳だけじゃない。あれらが本来の狩の習性、一番弱そうな者に対して不意をついて襲うような動きで来ていたのなら、儂らはもう全滅しておるよ」


 確かに帳は一つの獲物に向かって複数の帳で一斉に襲い掛かる様な動きをするが、こいつらにはそのような個別の連携が取れているようには見えない。


「そうですね。統制は取れていますが、基本的には力押しですね」


 それでもやつらの波状攻撃にこちらは十分に削られてきている。


「しかしやつらは明らかに学習している」


「どういうことですか?」


「帳を傾斜路に使うようになった。なので呪符卿の支援が必要になった。本来ならあの子は儂らの切り札で、最後の最後まで温存すべきだ。だが使うしかない」


「傾斜路ですか?」


「そうだ。我々はけん制に留めて傾斜路の横撃に使えば、傾斜路は一気に抜ける。それより関門の後背をついてこちらの段列を崩せば、ここを攻める必要もない。我々はここで孤立して飢える」


「そうか。それをされたら私達の負けですね」


 帳には関門は役にたたない。背後を襲われたら何も補給はできないし、傾斜路では帳に対して陣を敷くこともできない。個別に襲われてお終いだ。


「それが作戦というものだ。それにこのわざとらしい波状攻撃だってそうだ。こいつらは儂らと盤上遊戯でもして遊んでいるつもりなのかもしれんな」


「どうでしょうね。帳は最初にだいぶ落としましたから、単に再編しているだけかもしれません」


 伊一は城砦のあたりに集まりつつある、帳の影を見ながら呟いた。そこを舞う黒い粒のようなものは最初の時に比べれば減っているようにも見える。だが学心は伊一に向かって首を振って見せた。


「いや、儂はそうは思わんな。わざとこちらのぎりぎりを狙って攻めてきているようにしか思えん。あともう一押しすればこちらは崩れる。そこでわざと引いているようにしか思えんのだ。事実、負傷者は多いが死者は殆どいない」


「どっちにしても我々に勝ち目はないということでしょうか?」


 そう言うと、伊一は学心に向かって肩をすくめて見せた。


「いや、そんなことはない。相手が我々と遊んでいるつもりならこちらにも勝ち目はある。それは油断という奴だからな。奴らがどう連携をとっているかが分かれば、それを崩す事で儂らにも勝ち目はある」


「そうですね。あの神もどきに乗っ取られるのに比べたらはるかにましですね」


「そうだな。あれは本当に手も足もでないという奴だったからな」


 伊一の言葉に学心も頷いて見せた。


「ならばそれが分かるまで、せいぜい足掻いてみるとしましょう」


 そう言うと伊一は火傷で凄みがついた顔に笑みを浮かべて見せた。

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