総力戦
「右手、帳2、上からくる。盾持ち右へ!」
指揮官からの声に、帆洲は傾斜路を壁側から右手の崖側に移動すると、虚空に向かって彼の盾、竜の鱗を構えた。
バサバサ!
真っ暗な闇から何かが羽ばたく音が聞こえてくる。
「はじけ!」
帆洲は掛け声に合わせて、鳩尾の下から手にした竜の鱗に向かってマナを流し込んだ。自分に向かって急降下してきた帳の鋭い嘴が、鱗に触れる直前ではじけ飛ぶ。帳は凧が地面に落ちていくように、クルクルと回りながら関門の下へと落ちていった。
ドン!
横で鈍い音が響いた。帆洲と共に盾の列を組む男の一人が、突っ込んできた帳の嘴に盾を割られて後ろへと吹き飛んだ。ここで盾を構えるもの全てが帆洲と同じ力を持つわけではない。その腕があり得ないほうへと曲がっており、ほとんどちぎれかけているように見えた。
「仕留めろ!」
盾に嘴を食い込ませたままの帳に対して、背後から槍が何本も突き立てられた。
チチチイィィィィ――――!
帳の耳障りな鳴き声が辺りに響く。帳は突き立てられた槍にその翼を自由に動かせずに、傾斜路の上をのたうちまわる。動きを止めた帳に対して、背後に回った十人力の使い手が、背中の急所に素早くとどめの槍を突き立てた。
チィィ!
帳は短く鳴くとその体を傾斜路の上に横たえる。男達が帳の遺骸を傾斜路から壁の下へと押し出した。
「血が止まらない。止血布をもっと持って来い!」
盾を割られた男の元に駆け寄った医事方が叫んだ。その手元は赤く染まっている。後列の女性が白い布を手にその男の元に駆け寄ると、布を巻いて止血を始めた。
彼女達の服も腕も真っ赤に染まっていく。その前では帳に右腕を持っていかれた男が、苦痛に顔をゆがめながら傾斜路の上で体を震わせていた。それでも大声を上げて叫ばないのはこの場にいる者達の士気を気にしての事だろう。
事務方の人間らしき男達が、男を担架に乗せると上へと運んでいく。また一人欠けてしまった。裂傷なんかはすでに怪我のうちに入っていない。
帆州の見る限り、マ者達の攻撃はまさに波状攻撃としか言えないものだった。集団を組んだマ者が次々と押し寄せてくる。傾斜路からは新手の黒犬と渡りがこちらへと向かって来るのが見えた。
その襲い方も傾斜路をただ昇ってくるのではなく、一気に駆け上がってきては、一斉にこちらの陣へと身を躍らせる。それの繰り返しだ。今やそれに横合いから帳の攻撃も加わっていた。
壁や傾斜路に油を流していなかったら、最初の突撃でこちらの陣は粉砕されていたかもしれない。壁と傾斜路に大量に流した油が、彼らの足元を滑らせて、その跳躍力や突進力をだいぶ鈍らせてくれていた。
「次が来るぞ、黒犬だ!」
竜の鱗を手にした帆洲が叫んだ。傾斜路の向こうに黒い影が踊っている。この叫びも、既に何度上げたか分からない。
「右翼隊、黒犬、10、直進!」
「風使い、半身、弩弓隊用意!」
指揮官の声に、この隊の指揮を執る用哲が要撃の指示を出す。
「放て!」
風使いが風を送り、それに動きを止められた黒犬に向かって、背後に控えていた必殺使い達の弩弓が放たれる。体に何本もの弩弓の矢を受けた黒犬が壁の縁から下へと落ちて行った。
『うまくいった』
帆洲は心の中でつぶやいた。迎撃に成功した上にやつらを下に落としてやれた。傾斜路には黒犬や渡りの遺体が山と積み上がっていて、それが壁となりこちらが高い位置を占める有利さがなくなって来ている。
黒犬や渡りはその骸の壁の向こうから跳躍して来ており、遠くから狙い撃つのが難しくなっている。またそれが邪魔になり追加の油を流すこともできなくなっていた。やつらは足元の油に足をとられることなく、本来の突進力でこちらに迫ろうとしている。
弩弓隊の後ろで、城砦の住人達からなる後列が弩に矢をつがえる手伝いをし、冒険者の背後に控えた指揮官達が次に狙うべきマ者を指示して、無駄な矢や撃ちもらしが出ないようにしている。
今のところは後列を含めて、戦力の有効活用だけはうまくいっている。だが結局のところ予備隊も何もない。最初から全力での消耗戦だ。
上も同じだ。密集隊形から矢と炎使いを使って襲ってくる帳を落としていた。だが帳の波状攻撃に打ち手達は次第に傷つき、その襲撃による被害は刻一刻と増えてきている。状況はここ傾斜路なんかよりはるかに酷い。
「食事ですよ」
帆州の背後から声が響いた。ところどころを血で赤黒く染めたかっぽう着姿の女性が、麺麭に水、醍醐、それに干し肉を湯で戻して柔らかくしたものなどを配って歩いている。
「危険ですよ。もう少し後ろから……」
帆州は一番先頭にいる自分の所まで食事を持ってきた女性に声を掛けた。
「何を言っているんですか? 人間食べなかったらそれでおしまいです」
そう言うと、帆洲にも水が入った竹筒に醍醐を挟んだ白麺麭を渡してくれた。そして帆洲の腰元からいつの間にか空になっていた水筒を受け取る。
「皆さん、もうひと踏ん張り頼みますよ。次の食事も楽しみにしていてくださいね」
「おーー!」
帆洲と一緒に盾を構えていた堅守持ちの男達が声を上げた。だが一班と交代したばかりだというのに、体力的にもマナ的にもかなりつらい。これは次の交代まで持つのだろうか? いや、持たせなかったらその時点で終わりだ。
「次の波が来るぞ。距離は50杖。黒犬20、渡り5」
背後から指揮官の声が響いた。
「打ち手構えろ。先に黒犬から仕留める。右手、帳に注意!」
要撃を指示する用哲の声も響く。遺体がじゃまで狙撃する時間が足りない。時間的余裕がどんどんなくなっている。
「盾班、盾を斜めに構えてやり過ごしなさい。旋風弾で下の遺体を吹き飛ばします。備え方、油の用意!」
上から姉の有珠の声が響いた。頂上から等間隔に小石のようなものが落とされるのが見える。呪符されたマ石だ。
ブオォォォォーーン!
低い音に続いて、とてつもなく硬い石でできているはずの関門の傾斜路に鈍い振動が伝わって来た。
「構えろ!」
盾にまるで石でも叩きつけられたかのような圧力が加わる。その間を抜けて、とんでもない風が背後へと抜けていった。
盾の隙間から覗くと、旋風弾が引き起こした旋風が、こちらに向かっていた黒犬や渡り、それに傾斜路に累々と横たわっていたマ者の骸を空へと吹き飛ばしていく。そしてこちらに向かっていたらしい帳もそれに巻き込まれて落ちていった。
「すげえな」
隣で盾を構えていた男が思わず呟く。頂上から、背後の傾斜路から歓声が上がった。
「道を開けろ、油を流すぞ!」
「はい、油を撒きますからどいてください!」
その声に、帆洲は盾を横に抱えると女達に前を譲った。彼女達が着ている衣類のところどころにも血の染みがある。備方が持ち込んだ油の樽から、女達が桶で油を傾斜路に丁寧に流していく
帆州は頂上からこちらを見下ろす姉を見上げた。東から吹く風に、有珠の金色の髪が月明りを受けてそよぐのが見える。
そして前で油をまく女性たちを眺めた。その姿は周りにいる男たちよりも余程に肝が座っている。その景色に帆州は思わず苦笑した。
やっぱり城砦は、いや世界が回している。




