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美空

 多門は自分の力が、水面に落ちた一滴の水滴が描く水紋のように広がっていくのを感じた。向きも強弱も何もない。ただそれは己を中心に円を、いや球を描いて広がっていく。


 ズドン!ズドン!


 それが黒青川の中心を超えた時だった。仲間の遺骸の上を進んでいた岩もどきたちが、まるで眠りに落ちるかのように足を滑らせて、黒青川へと落ちていく。


 それは向こう岸に達すると、そこに列をなしていた岩もどきたちも、短い足を折ってそのまま地面に腹を着くとピクリとも動かなくなった。もうそれはもどきではなく岩そのものに、鋭い槍が突き刺さった岩に見える。


 そしてその両岸にきれいな列を作って並んでいた黒犬と渡りの黒と白の列が、まるで遊戯の駒を手で薙ぎ払ったかのように右から左へ、左から右へと倒れていく。そこにあるのは死、マナを帯びたものへの死が全てを支配している。


 多門は自分の心臓の辺りを右手で押さえると荒い息を繰り返した。心臓が鋭い痛みと共に激しく脈打っているのが分かる。多門は思わず地面に膝をつくと、頭だけをあげて前を見た。黒青川に伸びた茶色い石の橋にも、対岸にも何も動くものはない。


 とりあえず、俺の力はマ者()()()達には効いたという事だ。これで何の効果もないなんて事になったら、ただの犬死にになるところだ。


 だがこれでどれだけ時間を稼いだことになるのだろうか? せめて非冒険者の関門への退去が完了するまで持ってくれれば、俺の命一つ引き換えとしては上出来というところだろう。柚安が策定した計画書がうまくいってくれることを祈るしかない。


「赤毛の場合」か、あの男にも意外とおちゃめなところがあるんだな。だが中々的を得た符牒だ。それを聞けば誰もただ事なんては思わない。


 多門は、痛みに耐えながらその体を引きずるように動かすと、元座っていた岩の上に腰を下ろした。意識を保って居るという事は、まだマナは完全に空になったわけじゃ無さそうだ。体が言う事を聞くようになるまであとどれだけかかるだろうか?


『一亥か二刻か?』


 やつらが橋を真ん中まで築くのにかかった時間は一刻もない。美亜にはああいったが、何もしないと動ける頃には橋が完成してしまう。せめて後一度は力を振るわないとだめだろう。自分が英雄持ちであることも少しは役に立ってくれたという事だ。


 昔誰かが、英雄持ちについてなんて祝福された存在なんだと、分かったような口を利いていたが、何を勘違いしているんだ。英雄持ちなんてのは祝福された存在なんかじゃない。マナによって呪われた、深く呪われた存在だ。


 俺は腰が曲がるまで長生きした英雄持ちなど誰も知らない。英雄持ちだから何かに駆り出されて早死にするんじゃない。英雄持ちと言うのは、マナの代わりに己が生命力を削って力を揮う。だから誰も長生きなんて出来ないんだ。


 力と言うのは常に何かの代償を要求する。いい気になって力なんてもんを振るっていると、ある日突然にそれが自分のもっと大事なものと交換していたことに気が付く。おばさんもそれは分かっていたはずだ。俺もいい気になって力を振るっていて、ある日それに気がついた。


 美亜と一緒になっても、俺はあいつよりはるかに早く遠いところに行くことは間違いない。腰が曲がって一緒に茶をすするなんて事は無理なのは分かっている。だから俺はあいつを常に小娘だと思う事に、決して女と意識しないことに決めていた。例えあれが俺が予想していたよりもはるかに美人でいい女になっていたとしてもだ。


 おれの命がある限り、あれを守ってやれればそれで満足なはずだった。だが、一体いつからなのだろう。それが出来なくなったのは、あいつに俺の側にいてほしいと思うようになったのは? あいつのさもない話が永遠に続いて欲しいと願うようになったのは?


 きっと、俺もあの赤毛から何かへんなものをうつされたんだろうな。全くもってそうとしか思えない。


 多門は自分の考えに自分で苦笑すると頭を上げた。春の霞に撫子色に染まった日の光が西の方、嘆きの森の奥へと沈んで行こうとしている。頭上を舞っていた鳥たちは、静寂に安心したのかいつの間にか森のどこかへ新しい寝床を探しに去って行ったらしい。あれほど激しく打ちつけていた波もいつしか消え、あたりには黒青川の絶えることのない流れと静寂だけがある。


 俺はこうして自分の周りを、世界という物を本当に眺めてみたことがあったのだろうか? 自分の足が踏みしめている大地を、自分の頭の上にある空を本当に感じたことがあったのだろうか? 人は自分の生命に終わりを感じてこそ、自分が何に包まれていて、そして何を支えに生きて来たのかについて思いを馳せるらしい。


「あんたは、あんたの好きなようにやるべきだよ。私なんて気にしないでさ。だってあんたはわたしなんかよりいっぱいなれるものがあると思うんだよ」


 幻聴だろうか? 美空の声が響いたような気がした。そしてこれは美空が俺に言った最後の台詞か?


「俺の好きなようにというのは何だ?」


「たー。あんたがやりたいことだよ。美亜をその手に抱きたかったらその手に抱けばいい」


「馬鹿な事を言うな。俺はもうここでお終いなんだよ」


「たー。それがあんたのやりたいこと? あんたはいつも色々考えすぎなんだよ。頭がいいというのも始末に負えないね」


「お前はどうなんだ? お前はやりたいことができたのか?」


「そうね。あんたがここの結社長までなれたんだ。あんたは世界で一番の冒険者だ。そして美亜と一緒になれる。たー、私の夢はもう少しでかなうよ。あんたが美亜をその腕でしっかりと抱いてくれれば完璧さ」


「馬鹿を言うな!お前はお前こそ自分の夢はどうしたんだ。俺はお前が好きだったんだ!お前の為に何でもするつもりだったんだぞ!」


「たー。頭がいいくせに、あんたは馬鹿だね。それは私の夢だよ。私はあんたと美亜の為なら何でもするつもりだったんだ」


「美空、美空……。馬鹿はお前だ!」


「たー。あんたは……」


 ギュェ――!


 対岸から響いてきた鳴き声に、美空の声がかき消された。俺は夢を見ていたのか?


 多門は頭を振ると対岸を見据えた。やはりな。さっきので終わりという事はないよな。だからどこかの誰か、もしかしたら神様なんて奴が俺に夢を見せてくれたのか?


 岩の塊のようなものが再び森の奥からこちらに向かって進んでくるのが見える。そして森の端からは今度は黒い大きな口を持った何かが進み出てきた。そして威嚇するかのようにこちらに向かってその大きな口を開いて見せる。(あぎと)だ。そして森の上に何か黒い染みのようなものがいくつも舞っている。この騒ぎに鳥たちがまた住処を追い出されたか? いやこの距離ではっきりとその姿が分かるという事は……。


 (とばり)か? 勘弁してくれ。飛んでくるというのは反則じゃないのか?


 多門は鉄のように重い体に鞭を打つと、岩からよろよろと立ち上がった。鳩尾の下にある塊のような塵のような何かを意識する。どうやらこれで俺の仕事と言うやつは最後らしい。ならば後先無しの全力というやつでいいだろう。


「美空、悪いな。お前の文句は遠いところに行ってからゆっくりと聞かせてもらう」

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