わがまま
「馬車道に出ました」
先行していた実季さんが私達の方を振り返った。
「ふーちゃん、大丈夫?」
白蓮が私に声を掛けた。お前は私が大丈夫なように見えるのか? 見えるのならお前の目は相当に悪いぞ。正直なところもうふらふらです。
「実季さん、馬車は、馬車は見えませんか?」
いや、もう実季さんに声を掛ける前からすでに答えは分かっている。その木立の向こうから馬車らしき音は聞こえてこない。代わりにだれかが話している声が聞こえてきた。
「お姉さま、馬車です。馬車が居ます」
おお!天は我を見放さなかったです。
確かに私の耳にも馬の嘶きが聞こえてきた。そうか馬車はいつも走っているわけでは無かった。私に手を貸そうとしていた白蓮の腕をはねのけると、木立の先の馬車道に向かった。
あれ、誰かいる?
木立の影に人影があった。若い男性? いや違う女性だ。この髪の色は……私はその人に声を掛けようとして上げた手を止めた。その人が涙を拭うような仕草をしたからだ。この人が泣くなんて理由は一つしか思いつかない。あの人に何かあったんだ。
「美亜さん!」
私は努めて冷静なふりをし、いま彼女に気が付いたかのような素振りで美亜さんに声をかけた。
「風華さん!?」
「はい、美亜……えっと、今は研修組組頭殿」
「公式の場でない限り、役職名で呼ぶ必要はありません」
美亜さんが私に答えた。その態度はいつもと同じように見えたが、やはり何かおかしい。いつものきびきびした感じがない。むしろ何かを押し込めている。いや、何かの恐れを何処かに必死に隠している感じだ。そうだ、これは前に一度見たことがある。美亜さんが私に多門さんの事を聞いてきたときと同じだ。やっぱり、あの人に何かあったんだ。
見たところ、そこには数台の馬車が止まっており、人々が道路横の溝に車輪を落としてしまった馬車を押してその車輪を溝から上げようとしていた。人々の顔には焦りの色がある。
「念次さん!それに遠見卿!」
伊一さんが、中心となって馬車を押していた人物と、その横で車椅子に座っていた人物を見て声を上げた。
「伊一さん!」
「監視所は?」
「多門結社長の指示で全員退去。城砦経由で関門に籠城です」
「何があった!?」
「岩もどきというやつですか? でかいやつが大量に発生して、黒青川を渡河しようとしています」
「何だって!?」
念次さんの言葉に伊一さんが叫び声をあげた。どうやら生えて来たのは黒犬だけじゃないらしい。美亜さんを襲ったとんでもない奴が、しかも大量に発生ですって!?
「そうだ伊一君。それに我々は可及速やかにここを離れる必要がある。念次君。代替の馬車に時間がかかるようなら私のようなものはすてていきたまえ。そもそも定員越えで馬車に乗っていたこと自体が間違いだったのだ」
「遠見卿、馬鹿なことは言わないでください。聞くだけ作業の邪魔です。おい、車軸の下に枝を入れてそいつを支えに梃子で上げた方が早い。伊一お前達も手伝え」
「副組頭。城砦から信号です。どうやら替えの荷馬車が間もなく着くようです」
「そうか、だがこちらの馬車の方が足が速い。実季君、支えになる枝の採取を頼む。君の黒刃ならいけるだろう?」
「はい、伊一さん了解です」
「白蓮、私達も手伝うよ」
「ふーちゃん、了解です」
そう言えば多門さんの姿は見当たらない。こういう時は一番うるさい人だから居ればすぐに分かるはずだ。皆さん忙しそうだが、遠見卿に聞けば分かるだろう。そもそもあの嫌味男は美亜さんを泣かせるなんて許せん!
「遠見卿……」
私は声を掛けようとして心から後悔した。遠見卿の顔色は悪いなんてもんじゃない。少し荒い息をしながら車椅子の上でぐったりとしている。病気だとは聞いていたけどこんなに重かったんだ。それに遠見卿の背後にいる人……この人はどこか見覚えがある気がする。
「弥勒さん?」
「やあ、白亜君に赤音さん。こんなところで会うなんて奇遇だね」
ううう……そうだった。この方には偽名を使っていたんだ。
「すいません。関門でお会いしたときには訳あって偽名を使わせていただきました。本当の名前は……」
「白蓮君に、風華さんですよね。もちろん知っていますよ。お二人とも有名人ですからね」
有名人ですか? 私が?
白蓮はさておき、私は特に何もしていないですけど。そう言えば上納金の話ってどうなったのだろう? まだ大分残っているのだろうか? 白蓮はさておき、世恋さんに迷惑をかける事になったら大変だ。
「でも弥勒さんは何でここへ?」
「私かい? 私は遠見卿に誘われてここの医事方で働くことになってね。冒険者ではないが、これで私も君達と同じ城砦の仲間と言うやつだね」
やっぱり、医者でも町医者という商売は厳しいんですかね?
そういえば三春さんはどうしたんだろうか? 三春さんも城砦に来ているのならぜひ尋ねていかないといけない。鳥の雑炊……百夜と約束していたのを思い出す。
「それは知りませんでした。今後ともよろしくお願いします」
とりあえずこういう時は丁寧にあいさつです。もしかしたら、遠見卿に聞かなくても弥勒さんでも分かるかな?
「弥勒さん。多門さん、結社長は何処ですか? ここには見当たらないみたいですが? もう城砦にもどられたんですかね?」
「結社長かい? 結社長は、監視所に一人で残られたよ」
「え”っ!何でですか?」
「私はよく分からないけど、何やら力を使うとか言っていたが。正直な所、あの岩もどきというやつの群れを相手にあそこに残るなんてのは、傍から見れば自殺行為のようなものだが」
そこまで独り言のように告げると、弥勒さんははっとした顔をした。きっと後半の台詞は本当は心の中の言葉だったのに違いない。
「副組頭、荷車が来ました!」
「了解だ。だがこいつが先だ」
「支えの準備はできた。車軸を折らないように気を付けろよ。折ったら元も子もない。実季さん、下から車軸の確認をお願いします。香子さん、支えの維持を。美亜さん、弥勒さん、遠見結社長をお願いします。抜けたらすぐに出発です」
「はい、伊一さん、了解です」
背後からは馬車の救出に奮闘する伊一さんや念次さんの声が聞こえる。到着した馬車の御者役も、荷馬車から降りると馬を曳くために馬車の前へと移動した。
どうやら皆は、足の遅い荷馬車ではなくて、馬車を溝から出すことを優先するつもりらしい。どうやら私と白蓮は存在自体が忘れられているような気がする。もしかしたら疲れ切ってお腹もすいていることが見透かされていて、何の役にもたたないと思われているのかもしれない。
でも白蓮、あんたはなんで私の側にいて何の手伝いもしないんだ? でも丁度良かった。
「白蓮」
「ふーちゃん、どうしたの? お腹が減ったのなら僕の簡易食のあまりがあるから……」
お前はこの状況で、私がお腹がすいたとかごねると思っているのか? 子供じゃないんだぞ。
「行くよ」
「何処に?」
「声が大きいよ白蓮。監視所にいってあの情緒なし男を引きずってくる」
「えっ!だってみんな納得してここにきているんじゃないの?」
「誰が納得しているんですか、誰が!? 美亜さんが泣いているんだよ。それを納得しているとは言いません!」
「なら、それをみんなに言えば?」
何を言っているんですか? あの男は今や結社長ですよ。わがままし放題です。だから誰に相談しても絶対に止められるに決まっています。
「そんな時間はない。それと白蓮、あの荷車の上に乗っている袋って呪符済みのマ石だよね」
「連絡用のものと緊急時用のものだと思うけど……。ふーちゃんまさか!?」
「だから、あれをかっぱらって、私とあなたでこっそり行く」
役に立ちそうなものは何でも持っていきましょう。備えあれば憂いなしです。かっぱらったらこっそりにはならないか?
でも何でもいいです。私が行ってあの情緒無し男にとくと説教してやるんです。
* * *
ザブン!
岩もどきが水に飛び込む音と、その波が岸に届く音が辺りに響き続けている。岩もどきの遺体による架橋は、すでに黒青川の半分ほどまで進んでいた。だがその進み具合は少しは遅くなっている。黒青川は早いだけじゃない。深いのだ。
だが、黒青川の深さも当てには出来そうにない。何故なら奴らは森からいくらでも湧いて出てきている。つまりは時間の問題という奴だ。つい最近までこいつは新種だったはずだが、一体どこに隠れていたんだ? やっぱりその辺の葉っぱみたいに生えて来たんだろうな。
振り返って城砦の方を確認するが、美亜たちの退去完了の知らせはまだない。だが、たとえ知らせが来なくてもやる時はやるしかない。人命優先という奴だ。もし美亜に何かあった時には……。それはそれで俺達の運命という奴なのだろう。いや業と言うべきか。
ザブン、ザブン!
岩もどきたちが水に飛び込む音は絶えることなく続いている。そしてそれはとうとう黒青川の半分を過ぎようとしていた。つまり、一番深いところをやつらは越えたという事だ。黒青川がそれを防いでくれるという最後の希望は潰えたという事だな。
多門は、足を組んで座っていた岩から立ち上がった。岸に打ち寄せる波しぶきによって出来た泡が、春の少しばかり強い風にのってまるで綿のように辺りに飛んでいく。それに暮れかけた午後の陽ざしが反射してまるで夢の世界にいるかのような美しさだった。
「これは美亜にも見せてやりたかったな」
多門はそう呟くと、辺りを見渡した。だが目の前で起きている事は、どちらかというと悪夢の類だ。相変わらず、岩もどきがつぎつぎと黒青川へと飛び込んでいく。
風に飛んできた泡が多門の体にもまとわりついた。多門は自分の頬についた泡をぬぐうと、それは手の上で小さな音を立てながら消えていった。まるで俺たちの命の様だな。
多門が顔を上げるといつの間にか対岸には岩もどきより小さい黒い粒と白い粒のようなものが並んでいるのが見えた。
何だあれは?
多門は、監視役が置いて行った遠眼鏡を手に取るとそれで対岸を覗き見た。黒いのも白いのも見間違えようがない奴だ。黒犬、そして渡りだ。それが対岸に奇麗な列を作って並んでいる。どう言う事だ? 奴らはお互いが狩りあうもの同士なのではないのか?
繁殖期であれば単独で狩をする渡りが黒犬の獲物となり、渡りが群れを作るときであれば、黒犬の群れが渡りの群れに追い立てられる。だがそれが互いの事を一顧だにせず、じっと対岸でこちら側に向かって並んでいる。まるでマ者達が人と言う敵、いや獲物に向かって同盟を組んだかのような姿だ。
橋が出来たらあれがこちらに襲ってくるという事か? おいおい、お前たちはまるで内地の軍隊みたいじゃないか? 岩もどきが掛けた橋をあいつらが突破するというのか?
岩もどきの動きなら時間が稼げるが、黒犬も渡りも馬なんかよりはるかに早く動ける。あっという間に関門からこちら側は奴らに蹂躙されてしまう。
だがわざわざ出てきてくれたのはありがたい。一度にまとめて始末してやれる。それに連絡はまだないが、時間的にはもう十分だろう。それにもう待つことは出来ない。
多門は監視塔に向かって歩いていくと、そこに設置されている紐に片手をかけて、目を片腕で隠しながらそれを引いた。腕で顔を覆っていても、辺りが真っ白になり、まぶたの内側が撫子色に染まるのが分かる。準備完了だ。
久しぶりだな。いや、本気も本気でやるのはあの時以来か。あの時はそうだった。最後はマナを使い果たして気絶していて、泣きわめく美亜におこされた。今回はせめてそんな間抜けな面を美亜に見せる心配だけは無さそうだ。
「俺の力は俺以外には無差別だ」
多門はそう告げると、己の中にあるマナに向かって意識を集中し始めた。
* * *
「おい、誰だ勝手に荷車を動かしたのは?」
城砦から救援に来た御者役が声を上げた。伊一や年次をはじめ馬車の救出作業にかかわっていた人々が周りを見回した。
「風華さんは!」「風華は何処だ!」「お姉さま!」
皆は一斉にある人物の名前を叫んだ。そしてお互いの顔を見合わせた。そんな事をしそうな人物はここではただ一人だ。
「行きます!」
実季がそう叫ぶと、風華達を追いかけるべく空の荷車の方へ向かった。だがその体はまるで何かに後ろから掴まれたかのように固まると前へと倒れた。
「実季さん、駄目!もう手遅れよ。私達も早くここから移動しないといけない!」
実季の方に腕を伸ばした美亜は、そう叫ぶと自分達が来た道の方を指さした。そこにはもう一つ太陽が上がって来たかのようなまばゆい光が上がっている。
「伊一さん、実季さんをお願い。あの人が力をふるう前にここを離れないといけない」
だから言ったのよ。あの子には、あの子には常識という奴を先に教えるべきだって!あの子には私達がどうしてあの人を置いてこんなに急いでここを離れようとしているのか全く分かっていない。
あの子は、人が揮う力だってどれだけ恐ろしいのかを分かっていない。あの人は冥闇卿と並ぶこの世界最強のマナ使いの一人だ。
だけどあの子にはお姉さまの力は効かなかった。
でもあの子なら、あの人達なら!




