風呂
八百屋の一人娘こと私、風華は今とても心細い思いをしています。
何せ生まれてはじめて『風呂』なるものに挑戦しようとしてるのです。正真正銘、頭の先からつま先まで庶民の私にとって『風呂』というものは、大店や上流役人の家にある謎のもので庶民には一生縁がないものです。
私達庶民はたらいに夏は水、冬はお湯をはってそこで体を濡らして拭く行水ぐらいしかしない。私くらいの若い女の子だと糠を使って体の汚れを落として、髪を洗い、花びらを油につけた香油を使うぐらいはしますが、せいぜいそこまでです。
世恋さんのお風呂の提案に、よく分かっていない百夜ちゃんは興味津々で「おもかろい」とはしゃぎ、「私はいらない!」と抵抗した歌月さんは、世恋さんに耳元で謎の説得をされて、皆でこの『風呂』なるところに来ているという次第です。
といっても領主様用とかの豪勢なものではなく、どうも普段は領主館勤めの衛士さんたち用のもので、この戦騒ぎで誰もつかっていないとのことでした(使いに来たら本当に困ります)。
私は風呂の前の脱衣所なるところで世恋さんに服を脱がされ、柔らかい生地の厚布を巻いただけのなさけない姿です。
世恋さんのそれはそれはすばらしい体を前に、腰回り、腕回りに太もも辺りがどう考えて以前に比べて一回り大きくなった醜態をさらしております。
そして扉からは謎の熱気が……。
私が頭の中で必死に日記をつけながら自分の状況を理解しようと努めていると、世恋さんが、
「どうぞ!」
と言っていきなり『風呂』なるものの扉をあけた。扉の向こうからかなり熱い真っ白な蒸気がこちらに向かって来る。なんですかこれ?
もしかして私は蒸されて誰か(特に百夜ちゃんあたり)に食べられようとしています?
「風華さん、大丈夫です。やけどはしませんよ。さあ、みんなで体をほぐしましょう」
世恋さんはそう言うと、腰が引けた私の手を引いて『風呂』なる場所へと連れ込んだ。中は5~6人でいっぱいになりそうな石の壁の部屋で、木の長椅子がいくつかおいてあった。
片隅に置いてある石が金属の上で熱せられていて、上からちょっとずつ滴る水がその石の上で真っ白な蒸気を噴き上げている。
世恋さんは「もうちょっとかな」とか言いながら水が入った桶から柄杓で水を汲むと、石の上にざっと水をふった。先ほどとは比較にならない蒸気があがり、部屋の中がまるで太陽の中にでもいるみたいに熱くなる。
「世恋さん、これって?」
「蒸し風呂ですね。橙の国の内地の方ではお湯をはったのをお風呂というみたいですが、これは私の故郷の『高の国』と同じで蒸し風呂ですね」
『風呂』自体がなぞな私にとって正直両者の違いはよくわかっていない。
「どうですか、体の中から温まってきませんか?」
言われるままに長椅子に座ってじっとしていると、確かに体の中の方からじんわりと温まって汗が噴き出てくるのが分かる。その汗もいやな感じではない気がする。
「風呂、おもかろいぞ!」
百夜ちゃんは、おおはしゃぎ。どうもここに来てから彼女はずっと上機嫌なような気がする。歌月さんはというと、噴き出る汗を厚布でちょっと拭くとすまし顔だ。
さすが結社の長の娘ですね。きっと私と違って『風呂』なるものをよく知っているんですね。思わず庶民のいじけ心が顔を出す。
それに何ですか、その蒔いた布の盛り上がり方? かぼちゃを2つそこに仕込んでいたりしませんか?
「どうですか? 体の疲れが流れ出ていくような気がしませんか?」
世恋さんが、すこしやつれた顔に笑みを浮かべて私に尋ねた。確かに「じーん」とした感じで、体の血の巡りがよくなったような気がする。
腕を前に伸ばして伸びをしてみても、先ほどのようなぼきぼき感はもう全然ない。それに体が少し軽くなったような気がする。でもこの暑さはたまらない。
「なんでも、体の余分なお肉をとるのにもいいらしいですよ?」
世恋さん、どうしてそれを先にいってくれないんですか!? お風呂最高です。この暑さくせになります。
「でも風華さん、はじめてでしたらあまり長く入るのはよくないかもしれないですね?」
世恋さんは、そう言うと私の手を引いて奥にあった扉の向こうへといざなった。そこには水が張った大おけがあり、それで汗を流すらしい。その横には背もたれのない小さな木の椅子が何脚かおいてある。
「風華さん、そこに座ってください」
水をかけてくれるのかな? 体が火照っているから気持ちよさそう……何てことを考えていたら、世恋さんは私から厚布を剥ぎ取ると、その布で背中をごしごしと削るように拭きだした。えっ、いったい何を……。
「やっぱり行水だけだと垢がたまってしまいますね」
暑さの火照りとは違う羞恥心の炎が私の体を駆け巡る。ひぇー!私は超絶美少女に背中をこすられて、きっと山ほどでてくる『垢』を見られている。
「世恋さん!自分で……」
「背中は自分ではできませんよ風華さん。私にまかせてください」
慌てる私を世恋さんがお姉さん口調でなだめた。隣では百夜ちゃんが歌月さんに背中を拭いてもらって、ご機嫌にあの正体不明の鼻歌を歌っている。
「正直、この背中は拭いていいのかどうか困る背中だね」
歌月さんはそう告げると、少し渋い顔をして見せた。だが、それに対して百夜ちゃんは、
「よいぞ、よいぞ!」
と謎の答えを上機嫌で返している。
世恋さんの後ろで動く手は、今や背中を過ぎて腰のあたりまで来ていた。彼女の金色の髪が背中に触れて、くすぐったいような気持ちいいような、なんだかよくわからない気分になる。
だが羞恥心の炎が頭の先からつま先まで達した私は、世恋さんの手から布を奪うと、
「今度は、世恋さんの番です」
と椅子から立ち上がって宣言した。
「はい、ではお願いします」
世恋さんは苦笑いを浮かべると椅子に腰を下ろした。私は世恋さんの体から布をはぎ取る(白蓮うらやましいだろ~~)と、その背中をごしごしと拭き始めた。
玉のような肌というのはこの肌をいうんだろうな? その白いうなじとそこにある美しい金色の産毛をみてそう思った。日々、日の光の下で荷車を引いてやけた私のうなじとは大違いだ。
思わず傷つけたらどうしようという考えが浮かんで、布を持つ手をあげてしまいそうになる。でも手元の布を見ると、彼女の背中からとれた垢が布にはりついてた。なんか見てはいけないものを見たような気分になる。
「いっぱいでました? しばらくまともに洗えてないですものね」
ちょっとどう答えていいかとまどってしまう私。あの○○だと垢も黄金に輝いて見えますとか言うんだろうか?
「もしかして私を人形のように思っていませんか? 汗もかけば、垢もでますよ」
そう私に告げた世恋さんの言葉は、なぜかちょっと寂しげに聞こえた。




