黒青川
「おい、多門結社長だ。誰か現時点での状況説明が出来る者は居るか?」
監視所についた馬車から飛び降りた多門は手近にいた撤退準備中らしい冒険者に声を掛けた。
「多門結社長、美亜研修組組長。警備方の念次です」
その背後から見覚えのある中年の男が多門に向かって駆け寄って来た。会議の時に伊一の後ろに座っていた警備方の副組頭だ。
「ご苦労様です。森から戻ってきた組はありますか?」
多門が口を開く前に美亜が、念次に向かって問いただした。念次が美亜に向かって首を振って見せた。
「居ません。おそらく見込みは薄いと思います。偵察を出しますか?」
念次が多門に聞くと、多門は大きく首を振って見せた。
「無駄死にになるだけだ。そんな馬鹿な事はしない。こちらから見て何か見えたか?」
念次が二人に向って再び首を振って見せた。
「いえ、今のところは何もありません。未だに正体不明という奴です」
彼は当惑した表情で答えた。念次としても全く手の打ちようがないというところなのだろう。ちくしょう!やはり誰か戻ってくる見込みは全くないという事だな。
「マ者もどきだそうだ」
「マ者もどき?」
多門の言葉に念次は説明を求めるように、隣にいる美亜の顔を見た。だが美亜も念次に向かって肩をすくめてみせるだけだ。
「そうだ。そちらの伊一組頭の報告だ。おそらく名前をつけたのは赤毛だろうな。それによればマ者もどきとか言うのが森で発生しているそうだ。言葉通りに捉えればその辺から生えて来ているという事だな」
「生える!? そんなまさか!」
多門の言葉に、念次がそんな馬鹿なという表情で答えた。念次が多門に向かって何かを言い返そうとした時だった。
「それは、極めて興味深い話だね」
二人の横合いから声が掛かった。車椅子に乗った初老、いや今や老人のようにしか見えない男性がこちらに向かって近づいてきていた。多門は車椅子の男性の方をふり返った。男性は体を背もたれに預けてかなりぐったりとした様子で、その顔はどす黒くさえ見える。きっとここまで来るだけでも相当に大変だったのだろう。
「遠見卿。お体の調子が悪いところこんなところまでご足労いただきましてありがとうございます」
遠見卿が僅かに右手を上げて多門に答える。
「多門君、いや多門結社長殿。遠慮はいらないよ。こんな体でも何か役に立てる事があるならばそれに勝る喜びはない。自分の家で死ぬのも悪くないが、やはり森の近くで逝けた方が、冒険者としては少しばかり虚栄心という物が満たされるというものだ」
遠見卿はまるで人ごとのように淡々と答えると、黒青川をはさんだ対岸の方を眺めた。この人の力は探知などが及ばぬはるか遠くのマ者の気配を感じることが出来る。その力なら森で何が起きているのか分かるかもしれない。
「早速で申し訳ありませんが、何か分かりますか?」
多門は、おそるおそる遠見卿に尋ねた。
「そうだな。分からんのだよ」
遠見卿は首をひねると、多門に向かってそう答えた。
「分からないですか?」
この森の近くまで出張って来たというのに、この人に分からないなんてものがあるのだろうか? とても信じられない。聞いた話では穴の件では、あれだけ遠くにも関わらず、彼は『竜』らしき存在を感知できたという話ではないか?
「そうだ。死にかかっているとはいえ、マ者がいるならば、探知と違って明瞭なものではないが私にはその気配が分かる。何も感じないのだよ。だが実際に犠牲者は発生している」
「どういうことでしょうか?」
遠見卿の説明に多門は当惑しきった表情を浮かべた。
「先ほどの話だ。それがマ者もどきで、マ者でないのであれば納得のいく話だ。マ者でないのであれば私にはそれを感知することが出来ない。ここには探知持ちは?」
「ここにも何名か居ります。それに追加の要員を主に探索組から動員をかけています。ですが黒青川を挟んだ対岸となると距離がありすぎて、探知持ちでは無理かと思いますが?」
美亜が遠見卿に答えた。
「その者達は我々を襲ったのだろう。そのうちに顔を出すよ。その点については間違いない。その時に探知持ちから見てもそれが見えないのかどうか確認する必要はあるな」
確かに、遠見卿の言うところの気配という奴と探知持ちの力は似て非なる物だ。その両方で確認出来れば確実だろう。
「遠見卿、了解です」
「念次副組頭、監視所から撤収可能な人員の退去は?」
多門は背後で遠見卿とのやり取りを見ていた念次に声を掛けた。
「すでに退去済みです」
「証持ちの撤収準備は?」
「準備は完了しています。非冒険者の退去が終わり次第、馬車がここに戻ってくるはずですので、それで一斉に退去と行きたいところですが、監獄での損害からまだ戻っていません。数はぎりぎりというところでしょうか」
「分かった、冒険者も打ち手になれないものは徒歩でも何でもいいから先に退去させろ」
「結社長、了解です」
ド――ン!
その時だった。黒青川の対岸から何やらとてつもなく大きな音が響いてきた。見ると対岸の先にある木々が広範囲にわたって大きく揺れて、その何本かが黒青川の川岸の方へと倒れて行く。木々から追い出された鳥たちがその上をけたたましい鳴き声を上げながら、行き先を探すかのように森の上を旋回している。
「何だ!」
多門は、監視所の前面にある監視塔の下に駆け寄ると、上で森を監視していた監視員に向かって声を張り上げた。
「報告!対岸に10杖(10m)、いやそれ以上の大きさの暗褐色の岩のようなものが現れました」
監視塔の上で遠眼鏡を手にした監視員が多門に向かって叫び返してきた。
「岩?」
「はい。続報!」
遠眼鏡を目に当てて森を見ていた監視員が再び叫んだ。
「そいつらの頭の先には槍? いや細い角の様なものがあります。我々の知っているマ者ではありません」
「数は?」
「前面の広範囲に渡って、や……山ほどです。もう下からも見えると思います」
多門は桟橋の近くまで駆け寄ると、目を細めて対岸を見た。木々の間から暗い茶色をした大きな岩のようなものが顔を出した。そして辺りの木をなぎ倒しながら進んでくる。辺りは木の裂ける音や倒れる音でまるで雷が鳴り響くかのような音に満ちている。しかもそれは一つだけではない。対岸の広範囲にわたって、しかもその後ろにも多数続いている。それはまるで岩の塊の集団が大移動しているかの様だった。
そして見張員の言う通りにその前方にはまるで槍のようなするどい角が飛び出ていた。
「室長……岩……岩もどきです」
多門の隣で美亜が震える声で告げた。その顔は蒼白で、恐怖の為かその体は小刻みに震えている。あれが美亜の左手を失う元凶になった奴か? 大人の顎をいとも簡単に何匹も屠るという奴か!?
「美亜、やつの毒はどれだけ届く?」
だが美亜には多門の言葉は届いていなかった。彼女は対岸に現れた岩もどきをじっとみたまま、まるで彫像のように固まっていた。多門はその肩を掴むと彼女にもう一度問い掛けた。
「美亜、お前らしくない。しっかりしろ。この中ではあれに会ったことがあるのはお前だけだ。やつの毒はどれだけ届く?」
あれの毒が遠くまで届くようなら、例え間に黒青川があろうともすぐにこの場を離れないといけない。
多門の言葉に美亜が我に返ったように多門の顔を見つめた。その表情にはさっきまでの恐れの色はもうない。いつもの冷静な表情に戻っていた。
「はい、結社長殿。分かりません。ですが森で会った時は優に30杖程度は飛んでいたと思います。全力がどの程度かは分かりませんが、おそらく散布範囲は最大で50杖程度ではないかと推測します。どんなに飛んでも流石にここまでは無理だと思います。それに今はこちらが風上……」
多門にそこまで告げた美亜が、そこで言葉を飲み込んだ。多門は対岸の方を振り返ると美亜の視線の先を凝視した。
「奴らは一体何をしようとしているんだ?」
目の前で起きている事態に多門も美亜同様にそのまま言葉を失ってしまった。
岩もどきの群れは森を出るとそのまま黒青川へ向かって進んでいた。そしてそれはそのまま黒青川へと身を沈めていく。一頭だけではない。それは列を作って次々と黒青川へと身を沈めていった。
「奴らは? わざわざここまで自殺しに来たのか?」
多門はそうつぶやくと、美亜をそして背後に居た念次を見た。だがみな当惑した表情を浮かべるだけで多門に答える者は誰もいない。
岩もどきが入水したときの波が対岸のこちらまで届くとそれは桟橋を大きく揺らし、岸に立つ者達に滝のようになって降り注いだ。多門達も波にさらわれないように慌てて岸の上の方へと移動する。
再び前を見た多門の前で、次々と飛び込む岩もどきにより、黒青川の一部がまるで岩で埋め立てられたかのようになっている。そしてそれはすでに川に身を沈めた岩もどきの上を通って、さらに水へと飛び込んでいく岩もどきによって、少しずつこちらに向かって伸びてきているように見えた。
おい、まさかとは思うが……。
「何だ。奴らは橋でも作ろうとしているのか? もしかして、どんなに犠牲をはらってでもこちらに渡ってくるつもりなのか?」
間違いない。やつらはこちらに向かって橋を築こうとしているのだ!こいつらは本当に俺達の知っているマ者なのか? もしかしたらこれが伊一達が報告して来たマ者もどきという奴なのか?
「多門君!」
多門に向かって背後から大きな声が上がった。
「これは尋常ならない事態だ。今は私にもあいつらを感知出来る。奴らは山程いる。それも突然に現れた。伊一達が言うように生えてきたとしか思えん!」
遠見卿の言葉に多門は頷いて見せると、傍らにいた美亜にむかって口を開いた。
「美亜、城砦に発行信号で連絡。探索組への待機指示は解除。全ての冒険者は関門への籠城準備だ。それを城砦から発光信号並びに、幟、先触れ、ありとあらゆる手段で全体に連絡させるように伝えろ。それと非冒険者の関門への退去の進捗率はどうなっている?」
「はい、室長。了解です。先ほど城砦から監視所に届いた先触れの報告では四割との事です」
美亜が手にした書類の束をめくりながら多門に答えた。その答えに多門の表情が厳しくなる。
「年次副組頭。監視所の全ての人員について即時に城砦まで撤退。そこで柚安事務官長ならびに、鹿斗工房長の指示に従い関門へ移動せよ。即時かつ例外は無しだ」
「了解ですが、誰もここの監視や繋ぎには残らなくていいのですか?」
「俺が残る」
「結社長、ですが!」
「俺が残って時間を稼ぐ」
なおも異議を唱えようとする念次に向かって多門が右手をあげてそれを留めると、
「念次副組頭、先ほどの俺の命令が理解できなかったのか? 即時かつ全員。例外は無しだ」
とその場に居る者全員に向かって宣言するように答えた。そして美亜の方をふり返ると、
「美亜、お前も退却しろ」
と告げた。
「室長!」
「多門君、君は力を使うつもりかね?」
遠見卿は多門に向かってそう告げると多門の顔をじっと見た。
「はい、遠見卿。止める事は難しいとは思いますが、時間は稼げると思います」
多門の言葉に遠見卿は納得したかのように頷いて見せると、
「了解した。年次副組頭。多門君の言う通りに即時に可能な限り遠くへ撤退だ」
と皆を説得するように告げた。そして背後で車椅子を押している医事方の制服を着た男性に向かって言葉を続けた。
「弥勒君。悪いが君にも少し運動をしてもらわないといけないかもしれない。まあ、疲れたら途中で捨ててくれてもいいのだがね」
「遠見卿、本気で言っているなら怒りますよ」
そう答えると弥勒は遠見卿に向かって肩をすくめて見せた。
「では諸君、移動を開始しよう。美亜君、君も伝達事項の確認が済み次第、我々とともに移動だ」
遠見卿はそう言うと皆に向かって監視所の裏手の馬車溜まりの方を指さした。念次も警備方の面々に指示を出すために監視所に向かって走っていく。それを背後に見送った美亜が多門の肩に手を置くと、その肩を揺さぶりながら多門に向かって叫んだ。
「室長!馬鹿な事は止めてください。ここに人員を集中、水際で奴らを黒青川に追い落とすべきです」
「美亜、お前はそれが本気で可能だと思っているのか? ここだけではないのかも知れないのだぞ?」
「分かりました。では、やる前に発光弾で連絡をお願いします。終わり次第、私が貴方をここから関門まで引きずって行きます」
「心配するな。俺を誰だと思っているんだ? 死神だぞ。ぎりぎりまで引き付けてやるから、間違ってもここに俺を探しに戻ってきたりするなよ。お前を巻き込みでもしたら俺はお前の姉貴にその場で取り殺される」
多門の言葉に美亜が多門から視線を外してうつむくと、
「あなたは、あなたはいつも卑怯だ!姉の時だって!あなたが死にかけた時だって!いつも、いつも私を待たせてばかり!どうして側に居ろと、一緒に死ねと言ってくれないの!?」
と絞り出すような声で多門に告げた。その足元には小さな染みが出来ている。多門は美亜の顎に優しく手を添えるとその顔を上げさせた。多門を見つめる美亜の瞳には涙が、そしてその頬にはそれが流れた跡が見えた。
「美亜、これは結社長としての命令だ。それと現時点をもってお前を嘆きの森の結社の副結社長に任命する。研修組組頭との兼任だ」
「命令ですか?」
多門は美亜に向かって頷いて見せた。
「そうだ。お前にはやってもらう事がまだまだある。柚安や鹿斗だけでは人員の移動から物資の手配まで全部は無理だ。お前の助けが必要だ。お前はすぐに城砦に戻って二人の補助をしろ」
「あの二人なら私の助けなどいりません!」
「心配するな。俺もまだ死ぬつもりなどない。まだお前を抱いていないしな」
「にいにいのばか!」
美亜はそう小さく呟くと、右手の拳で多門の胸を叩いて見せた。
俺のお前への台詞は本当に最悪だな。多門は美亜に向って苦笑して見せると、馬車の手配を終えたらしくこちらに小走りにかけてきた念次に向かって手を振った。
「念次副組頭。話は終わった。美亜副結社長を関門までお連れしろ!」
「副結社長ですか?」
「そうだ。俺が俺に与えられた権限に基づき、今この時点で任命した」
* * *
「実季さん、何か見つかりました」
私と香子さん、白蓮の三人は実希さんの『集合』の合図に彼女の元に駆け寄ると声を掛けた。
「はい、違います。風華さん。城砦の幟信号です。『即時』、『城砦』、『撤退』と上がっています」
実季さんが、木々の間から遠くに見える城砦を指差した。
「監視所は目の前だけど、即時に城砦に向かえという事かな?」
白蓮が目の上に手を当てながら城砦の方を眺めると呟いた。
「つまり、監視所と渡しは放棄されたという事だ」
後ろから私達に追いついた伊一さんが白蓮に答えた。
「では探索路を右にとって移動ですね。この先の間道を抜けると監視所から監獄跡経由で城砦までの馬車道に出るから、誰か捕まえて事情は聞けるでしょう」
香子さんが伊一さんに告げた。流石、この二人はこの辺りの道に詳しい。だが監視所は目の前だというのに、ここから城砦に戻るとは!まさに、「えーー!」という感じだ。
監視所まで着けば、せめてまともなご飯にはありつけると思っていたんですが、背嚢の中の残り少ない簡易食だけで城砦まで行けと言う事ですか!?
「こんなに走ったのは研修生以来のような気がしますが、もう一走りです。運が良ければ馬車が捕まえられますよ」
伊一さんが明らかに落ち込んだ表情を見せていると思われる私に向かって励ますように言ってくれた。男前の伊一さんにそう言われるとちょっとだけ疲れが癒えるような気はしますが、腹は膨れてはくれません。白蓮がどういう訳か私に向かって謝っている。何でお前はそんなに私を恐れるんだ?
そうですね、せめて馬車ぐらいには乗せてもらいましょう。でも伊一さん、さっき何って言いました?
「運が悪ければ?」
「下手したら城砦までずっと走りですかね?」
もう十分に走りました。どうかそれだけは勘弁してください。本当に死んでしまいます。




