がらくた
警備方の事務官の誘導で馬車が馬車駅の警備棟の近くに止まると、御者台にのっていた侍従が素早く降りて、昇降台を馬車の前において扉を開けた。
中から柚安がよく知った男が一人さっと降りると、続いて降りてきた女性の手を取った。女性は薄い黄色い上着に焦げ茶色の裾広がりそれに、肩に赤い薄手の短外套を羽織っている。今日は店に出るときと違って少し地味な格好をしていた。
「喜代さん!」
柚安はその女性に向かって声を掛けた。長い間、馬車に揺られていたせいか、喜代の足元はすこし怪しげに見える。喜代は柚安の方を向くと、少し恥ずかしそうにはにかんだ笑みを浮かべて見せた。
「柚安さん。わざわざお待ちいただくなんてお仕事は大丈夫なのですか?」
「喜代さんが気にすることはないですよ」
喜代がそれでも大変申し訳なさそうに柚安に頭を下げた。桐輝が少し面白がるような表情をしてその姿を見ている。
「桐輝さん、わざわざ送っていただいたみたいですが、そちらの女性をこちらでお預かりしてもよろしいでしょうか?」
桐輝は柚安の方を向いてにっこりと歯を見せて笑うと、柚安に頷いて見せた。
「柚安君。安心し給え。とって食べたりはしないよ。長く揺られてましたからね。足元には気を付けてください」
桐輝はそう喜代に告げると、喜代の手を柚安の方へと差し出した。柚安は差し出された手を黙って受け取る。
「何か私に御用があるとか?」
「いや、そんなことはないよ。純粋に君と彼女への好意だがね」
桐輝はそう言うと喜代に手を振って見せた。
「あら、桐輝さんは柚安さんの義兄さんと聞いていましたけど?」
柚安と桐輝とのやり取りを聞いていた喜代が少し不思議そうな顔をする。どうやら柚安と桐輝との間の会話に緊張感があることを察したらしい。柚安は喜代にそれを気取られた事に己の未熟さを感じた。
「はい。その通りです」
「おかげさまで柚安さんのお顔をもう一度見ることができました。こちらはつまらないものですが、お店でこしらえたものを詰めてきました。お口に合うといいのですが」
「喜代さんの料理なら、何を食べてもおいしいのはよく知っていますよ」
喜代が柚安の方へ右手を振って見せる。
「いやですね、うちの常連みたいな冗談はやめてください。ほめても何も出ませんよ。それと隣町だなんて言いましたけど、大層時間がかかるんですね。日があるうちに店に戻れるつもりでいたのですが……」
喜代はもうすっかり夕刻の気配を示す空と関門を見あげて言った。
「そうですね。壁がなければすぐなのですが。時間については説明しておくべきでしたね。私がうっかりしていました」
「なので、せっかくお会いできたばかりですが、お顔も拝見できて、お元気そうなお姿も見せて頂きました事ですし、関門の街に戻らせていただきます」
そう告げた喜代を柚安は驚いた顔で見た。
「今着いたところですよ?」
「柚安さん。柚安さんのご厚意はとてもうれしいのですが、あなたのようなお人は私のような者とは住む世界が違います。柚安さんにとってはちょっとした気晴らしのようなものでしょうが、こちらとしては色々と迷惑という物です。どうかお体にお気をつけて、ご病気などにならぬようにお過ごしください」
そう言うと、喜代は柚安に向かって丁寧に頭を下げた。
「喜代さん!」
だが喜代は柚安の言葉には答えずに、桐輝の方をふり返る。柚安は焦った。喜代は本気でこのまま関門まで戻るつもりなのだろうか?
「桐輝さん、大変わがままなお願いではございますが、もし関門までお戻りになるようなら、一緒に乗せていってもらえませんでしょうか?」
「お安い御用です。では柚安君。確かに彼女を預かったよ。間違いなく彼女のお店までお送りしよう。今度時間がある時には関門まで来て、私のところに寄ってもらえると嬉しいね」
桐輝は喜代の願いをあっさりと受け入れると、侍従に向かって準備をするように合図した。そして喜代さんの手を取ろうとする。
「ちょっと待ってください。貴方に姉から伝言がありましてね」
「柚衣から?」
桐輝が柚安の掛け声に少しばかり怪訝そうな顔を浮かべ。
「そうです。貴方に会ったら伝えて欲しいと言われていました」
柚安が桐輝に向かって口を開こうとした時だった。桐輝の背後、馬車の陰から人影が飛び出すのが見えた。
「旦那様!」
馬車の横にいた侍従が驚いた声を上げる。その声に桐輝も背後を振り向いた。
「邪魔をするな!」
侍従がその人影に向かってつかみかかろうとしたが、蹴り飛ばされて地面へと転がる。
「そこをどけ!お前を殺してその首をあいつらの前に持っていってやる!」
柚安はその人物が誰かを理解した。桐輝と一緒に居たあの女だ。これは自分を誘い出す為の罠だったのか?
「柚安さん!」
柚安の目の前に小柄な人影が飛び出してくる。目の前に赤い薄手の短外套が見えた。喜代は大きく手を広げると、柚安の前に立ちふさがっている。
「喜代さん、何を!」
柚安は喜代の体を守ろうと慌てて手を伸ばした。だが間に合わない。柚安の目には女が既に何かをこちらに向かって投げようとしているのが見える。だが不意に女の体が馬車の横手へと吹き飛ばされた。女の投げた小刀が喜代の肩口の上を通り過ぎて、柚安の背後へと飛び去って行った。
「恵土さん、後ろです!」
右手から声が上がった。紺色の短外套を着た若い男が警戒しながら柚安の元へと走り寄ってくる。事務官の姿をしているが、中身は間違いなくマナ使いだ。
「君は?」
「はい、査察方の奏登と申します。すいませんが、合図を待たずに仕掛けてしまいました」
奏登は手信号でこちらに向かってくる男達に合図をしながら柚安に語り掛けてきた。柚安は慌てて喜代の安全を確認する。どうやら怪我はない様だ。
「助かりました。奴は?」
柚安は地面に座り込んでしまった喜代の身を背後から抱きかかえつつ周囲を見渡したが、あの女らしき姿はない。馬車の向こう側からは盛大に黒い煙が上がっている。
「くそ!煙幕弾を使いやがった。耳と目に気を付けてください。音響弾や閃光弾も使うかもしれません」
奏登はそう告げると、柚安の前から移動して馬車の陰から煙の方を伺う。
「喜代さん!大丈夫ですか、怪我は無いですか!?」
地面にへたりこんだ喜代の体は小さく小刻みに震えている。
「すいません。腰が……腰が抜けてしまったみたいですね。みっともないったらないですね」
喜代は柚安の呼びかけに顔を上げると、必死に作り笑いをして見せた。
「何てことをするんです!さっきみたいな事はやめてください。私が貴方を守るべき立場なんです!」
だが柚安の言葉に喜代が首を振って見せる。
「私は柚安さんと違ってその辺の石ころみたいなものですから。お気になさらないでください」
柚安の中で何かが弾けた。それは柚安が初めて感じるものだった。
「何を言っているんですか!喜代さんはもしかして私がそこの男の店、『油屋』と繋がっていることを気にされているんですか?」
「私は貴方とは違うんです!」
喜代が柚安に向かって叫んだ。その言葉に柚安は思いっきり首を横に振って見せた。
「何が違うんですか? 私が油屋の息子だからですか? そんなことは私とあなたの間には何の関係も無い事ですよ」
「違うんですよ」
喜代が絞り出すような声で柚安に答えた。
「私にとってはそんなものはどうでもいいんです。喜代さんの方が大事なんです!」
そう叫んだ柚安を喜代がうろたえたような表情をしながら見上げた。
「だって、私は……」
柚安は喜代の震える体を強く抱きしめた。
「分かったら、さっきみたいなことは二度としないと約束してください。それとすいませんが、少しばかり義兄と話をする時間をもらってもいいですか?」
喜代は柚安に向かって小さく頷くと、小さく嗚咽を漏らした。
「これは貴方の差し金ですかね?」
「僕にとっても天から石(晴天の霹靂)というやつだよ。喜代さんには大変申し訳ないことをした」
「『寄り添えなくてごめんなさい』だそうです」
「何かな?」
「姉からのあなたへの伝言ですよ。そして、『待っている』とも伝えてくれと言付かりました」
「そうか、柚衣がね。君からは僕に言う事はないのかい? きっといっぱいあると思うんだけどね」
桐輝はそう言うと柚安に向かって両手を上げて見せた。柚安は桐輝に首を横に振って見せる。
「父や母にも言われていますからね。私からあなたに言う事は何も無いですよ」
「僕からは少しあってね。僕が小さな隊商の出身だという事は知っているだろう?」
「ええ、姉からのろけ話と一緒に聞きましたよ」
「もともとはさらにこじんまりとした隊商を両親と一緒にやっていたのさ。でもまあ、ひどいもんだったよ。全ては大店の御心次第という奴だ。彼らにとっては契約書なんてものは単なる覚書ですらない」
そう言うと桐輝は柚安に向かって嘆息して見せた。
「息子の僕から言うのも何だが、僕の母は結構気立ての言い美人でね。それが良くなかったのさ。大店の意地が悪い旦那に目を付けられてしまった。そして父と別れて妾になれと言い寄って来たんだよ」
「ありそうな話しですね」
「そうだな。いかにもありそうな話しさ。父も母もぜんぶ捨てて逃げてしまえば良かったんだよ。だけど小さくてもうちが倒れれば懇意にしていた仕入れ先など迷惑をかけてしまう人も居る。いや、今思えば全部ぐるだったのかもしれないな」
桐輝が自虐気味に苦笑いをした。
「うちの親は人が良すぎて商売人には向かなかったのさ。結局、父は世をはかなんで死んでしまって、母は私のためにその男の言いなりさ。最後は僕はその男を殺してとある隊商に潜り込んだという筋書きだよ」
「それが全部本当ならご愁傷様というところですね」
「さすがは柚月さんの息子さんだ。人の話を素直に真に受けたりはしないね。だけどこれは本当の話しさ。そこからの人生は御覧の通り、その大店連中に一泡吹かせる為だけに人生を捧げてきたという訳だ」
そう言うと肩をすくめて両手をあげる。だが桐輝はそこで柚安に対して首を捻って見せた。
「だけどどういうことだろうね。今の私はその大店を押し付けられて身を粉にして働いているんだ。何をどうしたらこうなってしまったんだろうね?」
「さあ私にはさっぱりですけどね。父と母に言わせれば全部あなたに押し付けると言っていましたから」
「そうだろうね。君の両親と私は器という物が違ったんだろうな」
「桐輝さん。さっきの自分の言葉を訂正させてもらいますよ。私からも貴方に言いたいことが少しだけありました」
「何だね?」
「あなたが姉や他の人に対して罪の意識とやらがあるうちは、せいぜいあの『油屋』の暖簾とやらを守ってください。だけど貴方が本当に姉の事を愛しているなら、全部捨てて姉のところに逃げればいいんですよ。うちの母の言葉を借りれば、『たいしたものじゃない』だそうですから」
「たいしたものじゃない?」
柚安の言葉に桐輝が怪訝荘な顔をする。
「私にとっても同じです。がらくたのようなものです」
柚安は桐輝に向かって頷いて見せた。その通りだ。会いたくもない人達を吸い寄せて、側に居て欲しい人を遠ざけてしまう。そう言えば赤毛君は最初からそんなものは何も気にしていなかったな。流石だよ。それにそれを見抜いていた母と姉も流石だ。
そこまで考えて、柚安は心の中で苦笑した。あの子は私なんかにはもったいない。いや、手に余ると言った方が正しいか。それに今の自分には何よりも大切なものができたのだ。
「私にとってはあんな店なんかより、このお土産の方がよほど大事なものなのです」
柚安は地面にあった包みを丁寧に拾い上げると、桐輝に向かってそれを差し出して見せた。




