訪問者
喜代は店の客席の前の料理場で、日に何度目になるか分からない溜息をついた。
「喜代ちゃん、相変わらずの恋煩いかい?」
常連客の一人が喜代の方を見てくすりと笑った。
「いやですね。そんな年じゃないですよ」
「そうかい。俺から見ると思いっきり恋患いと出ているけどね。それに最近は何だろうな、とてもかわいくなったような気がするよ」
「達さん、もういい加減にしてくださいな」
「そうそう、達さんの言う通りだ」
狭い店の中で、常連客達が喜代をはやし立てる声が響いた。喜代は思わず小娘だった頃の様に耳の後ろを熱くする。だけど喜代はとても彼らに言い返すことなどできはしない。全く持ってその通りだったからだ。
柚安と別れてから一日、一日とたつたびに寂しさが募る。いや寂しさなんてもんじゃない。喜代は自分がいつも柚安の事だけを考えているのに気がついていた。
なんなんだろうね。本当に恋する小娘そのものじゃないか!そんな風に考えて頭の中から追い出そうとするのだが、全くの無駄だった。
「喜代さん、そんなにその人の事が気になるなら会いにいけばいいじゃないか?」
常連客の一人が不思議そうな顔をしながら喜代に問い掛けた。
「達さん、何を言っているんですか?」
「だって、遊びに来いって誘われているんだろう? それに喜代ちゃんだってどんなところでどんな仕事しているか気になるだろう?」
「それはそうだ。男は甲斐性って奴が一番じゃないのかい? 先に確かめていた方いいね。そうじゃないと達さんとこみたいに、年がら年中騙されたと言われ続けるからな」
「おい!おれはちゃんと稼いでいるぞ!」
「はははは、なら母ちゃんに花の一つでも買って持っていってやるんだな」
「お前な、うちのはそんなものが似合うかわいい女だと思うか?」
『遊びに行く?』
喜代の耳には常連客のたわいもない話はもう何も入ってこない。柚安はいつでも遊びに来てくれと言ったけど、それは間違いなく私に対して義理で口にした台詞だろう。だけど名前を言って柚安を呼んでくれと言ってくれれば、分かるようにしておくとも言っていた。
もしかしたら柚安は本気で自分を誘ってくれたのではないか? もしかしたら私を待っている、あるいは私がどれだけ本気か気持ちを推し量っているなんて事はないだろうか?
喜代は自分の心の中に何かが灯るのを感じた。ここでの最後の夜に柚安がくれた抱擁と口づけを思い出すと、耳の後ろが燃えているように熱くなる。そうだ、どうせだめなら自分の勘違いを笑えばいいだけだ。
もともとあんな人とは縁があるなんて思ってもなかったんだ。ダメもとでもいいから尋ねてみようか? そうだ、お弁当も作ろう。でも城砦まで持つだろうか? 何、塩気があって持つ物で作ればいいんだ。何ならおかずだけでもいい。
「あんた達、誰か城砦への行き方をしってますかね? それか知り合いに行き方を知っている人はいませんか?」
「城砦だって?」
「あんた達も言ったじゃないですか? こっちから押しかけに行くんですよ!」
喜代の言葉に常連客は互いに顔を見合わせた。
* * *
喜代はただおろおろと辺りを見回していた。店の常連客がこの辺りで働いているものに聞いたという話では、城砦に行く馬車はこの馬車駅の辺りから出ているはずらしいのだが、どうにもこうにもそれらしい辻馬車のようなものは見当たらない。
とても背が高くて何頭もの馬に引かせている、まるで家のような大きさの馬車が何台か止まっているだけだった。もしかしたら来る時間帯でも間違えたのだろうか?
「あの、こちらの馬車は城砦までいくものでしょうか?」
喜代は馬車駅で掃除をしていた中年の男性に思い切って声を掛けてみた。
「ここは城砦にいく高馬車の検査場だからね。行くには行くが、出るのはもっと早い時間、夜明け前だよ」
その答えに喜代は小さくため息をついた。やっぱり来る時間を間違えてしまったらしい。残念だけど明日出直してくるしかない。弁当はもったいないが常連客のつまみにでもして、また作り直すことにしよう。
「お嬢さん、隊商の誰かにでも用事ですか?」
喜代はその呼びかけに苦笑した。どうやら城砦にかかわって仕事をしている人達は、自分が普段相手にしている南地区の人達とは違ってとても上品な人達らしい。この掃除をしているおじさんでも私に向かってお嬢さんなんて言葉を掛けてくる。
「いえ、城砦まで遊びに来ないかって話がありましてね。少しばかり遠慮がないとは思いましたが、尋ねて見ようかと思ってこちらに来たんですけど」
「遊びに? 城砦の誰かから招待されたという事かい?」
「ええ」
清掃係は少しばかり怪訝そうな顔をして喜代を見たが、しばし考えた後で何やら納得したらしく頷いて見せた。
「いいところですかね。お嬢さん、最初に行くところが間違っていますよ。先ずは関門の結社に行って、その招待された人の名前を告げて先方の確認を取ってからですね」
「確認?」
「確認を取るのに2、3日。場合によってはもう少しかかるかもしれませんね。それから城砦に向かう馬車の予約をとってからになるから、まあ4、5日ぐらいはみておいた方がいいと思いますよ」
「そうなんですか!ちっとも知りませんでした。教えて頂きましてありがとうございました」
喜代は清掃係に頭をさげた。どうやら隣町で簡単に辻馬車でいけるなんて思ったのは大きな間違いだったらしい。清掃係は喜代に軽く手を振って、箒と持ち手のついた桶を手にすると、仕事に戻るべく閑散とした馬車溜まりの方へと歩いて行った。
店の常連客の連中もなんて適当な奴らなんだろう。今度店に顔を出した時には、もう少しちゃんと調べてくれるように小言の一つでも言ってやろうか? 喜代は少しだけふくれっ面をするとそんな事を考えた。
本当は自分で調べるべきだったのだろうから仕方がない。彼らは彼らで自分が分かる範疇では調べてくれたのだろう。ここは結社の街だなんて言われているが、この街の住人のほとんどは、結社なんてあずかり知らないところで日々の暮らしを立てている。
「失礼ですが、喜代さんでしょうか?」
不意に背後から声がかかった。ふり返ると簡素ではあるがとても仕立てのいい服を着た男性が、喜代に向かって朗らかな笑みを浮かべている。誰だろうか? 少なくとも喜代には会った記憶はない。自分の店なんかには絶対に縁がなさそうな人だ。
「初めまして、私は桐輝と申します。柚安の義理の兄に当たる者です。どうかお見知りおきを」
そう言うと男は白い手袋をさっと外すと、喜代に右手を差し出した。喜代は思わず自分の右手を差し出す。少し日焼けした肌に黒髪、そして短く奇麗に揃えた顎髭は精悍でいかにも男らしい感じを出している。
むしろこの男性の方が柚安より女性に持てそうな感じだ。男性は少し身を屈めると、どこかのご令嬢にでもするかの様に、喜代の右手を自分の額の先へと持っていった。
「どうして私の事をご存じなんでしょうか?」
喜代は取り敢えず気になっている事を聞いてみた。柚安はこの街で偽名を使っていたくらいだ。こんな知り合いがいるのなら、自分のところに転がり込んだりする必要はない。安酒場の女店主に過ぎない喜代から見ても、少しばかりおかしなことのように思える。
「城砦で政治的な件が色々とありましてね。義弟は命を狙われたり少し危険な目に会いました。彼も私どもも互いに会う事すら出来なかったのです。ですが結社長が変わって、彼も無事に城砦に戻れたという次第です」
「そうなんですか? そんな危険な目に会っていたんですか?」
その話に喜代は目を丸くした。色々と事情はあるとは思っていたが、そんな大変な話だとは思ってもいなかった。でも柚安があれだけ暗い顔を、あれだけ追い込まれた顔をしていたのは、自分の命が狙われていたからなのだろうか?
柚安の顔には暗い何かを宿してはいたが、喜代がそこから感じていたのは恐れのようなものでは無かったような気がする。
「はい。ですがご心配なく。全て終わった事です。義弟からあなたの事を言付かっていたのですが、色々ありましてごあいさつが遅れて申し訳ありませんでした」
「でも、桐輝さんはどうしてこちらに?」
喜代は桐輝に向かって首を傾げて見せた。そもそも何でこの人は私が城砦に行こうとしていた事を、馬車駅に来ている事を知ったのだろうか? さっぱり見当がつかない。
「うちは城砦との商売を主にしている店をやっています。どうやらあなたが城砦に行きたがっているという話と、本日こちらに来るという話が、貴方のお店のお客の筋から聞こえてきましてね。失礼とは思いましたが、こちらでお待ちしておりました」
喜代は心の中で首を横に振った。商売人というのは耳が早くないといけないというのは分かるが、場末の酒場の女主人程度にそれほど気を使うなど到底信じられない。
「こんな私ごときにずいぶんなお手間をとらせてしまったみたいですね。先ほど城砦への行き方は聞けましたので、これから結社に行ってお店にもどろうかと思います」
「ですが、それだとその手にお持ちの物は無駄になってしまいませんか?」
桐輝が喜代が腕に抱えていた包みを指さした。
「これですか? お店でつまみにだしているようなものを手土産代わりに詰めたものですから、たいしたものではありません」
「いえ、せっかく用意していただいたのです。それに柚安も楽しみにしていると思います。本来なら柚安の方から喜代さんのところに間を置かずに招待に伺うべきところです。義兄の私から言うのもなんですが、彼は女性からもて過ぎるせいか、女性の取り扱いが逆に奥手なところがありましてね。私としても少し心配していたところなのですよ」
奥手? その言葉に喜代は少しだけ顔が火照るのを感じた。確かにあの人の女の抱き方には擦れた感じは無かった。
「という訳で、今回は私の方で少し彼のお手伝いをできればと思っております」
「君達、馬車をここに持ってきてくれ。それと城砦と関門への先触れも頼む」
「はい、旦那様」
いつの間にか控えていた侍従姿の男性が桐輝に答えた。侍従の合図で通りの向こうから黒塗りの立派な馬車が軽やかな音を立てて走ってくると、喜代達の前へと止まる。侍従が馬車の扉を開けると、赤い絨毯が敷かれた昇降台をおいて喜代の方へ恭しく頭を下げた。
箒と桶を持った清掃係がびっくりした顔で喜代の方を見ている。
『おじさん、私もびっくりなんですよ』
喜代は彼に向かって心の中で肩をすくめた。
「桐輝さん。そちらのお宅は何の商いをされているのでしょうか?」
「失礼しました。うちは『油屋』といいましてこの街で商家をさせていただいております」
「『油屋』……あの『油屋』さんですか!?」
「はい」
「あの、柚安さんは?」
「彼ですか? 彼は先代の油屋の店主の一人息子です」
喜代はその言葉に全てを悟った。何だ。やっぱりすべては私の勘違いという奴じゃないか。私はなにを夢みたいなことを考えていたのだろう。
「どうやら色々と勘違いをしていたみたいですね。お気持ちだけ頂いて店に戻ります」
「本当にいいのですか?」
桐輝はそう告げると喜代の方をじっと見つめた。その視線に喜代は自分の頭の中を全て見透かされている様な気分になる。彼と小料理屋を出来たらなんて私はなんて恥ずかしい妄想をしていたのだろう。今更あの人に会う意味など何もない。
「もしあなたが彼ともう会うつもりが無いのであれば、一言本人にそれを告げるべきではないでしょうか? 私としては柚安はあなたにもう一度会いたいと願っていると思っています」
桐輝の言葉に喜代ははっとした。確かに誘われはしたのだ。そして行くとも告げた。お礼の一つぐらいは言いたいのかもしれない。それを無視するのは義理が立たない。それに一度でも会えれば私がすっぱりと諦められる。
どんなにぽーっとなっている女だって、これを見れば住むところが違い過ぎることぐらいはすぐに分かる。喜代は目の前に停まっている、見たこともない立派な馬車を見つめた。
「そうですね。一言挨拶ぐらいさせていただかないと失礼かもしれないですね」
それに年を取って腰が曲がるまで生きて居られれば、その辺の女たちへの自慢話の一つぐらいにはできるかもしれない。その頃ぐらいになれば、自分の中でも笑い話の一つぐらいに思う事も出来るのかもしれない。
「では出発しましょうか。隣町ですけどね、城砦までは意外と時間がかかるのですよ」
桐輝は白い歯を見せながら、喜代に向かって最初に会った時と同様に、朗らかな笑みを浮かべて見せた。
* * *
「まだ着いていないのは確かだろうな?」
「はい、柚安事務官長。道を空けるように指示してあります。上からの報告があった時間を考えれば、間もなくこちらに着くと思います」
「着いたら直ぐにこちらに連れてきてくれ。それと警備方の準備だ。ただし向こうからは絶対に分からないようにして、私の合図が無い限りは手出し無用で配置をお願いする。それと念の為だが医事方の手配も頼む」
「了解です。柚安事務官長。ですが馬車はご実家からの馬車では無いのですか?」
「誰もが実家と友好な関係を築いているわけではないだろう」
「それはそうですが……」
「私の実家もね、色々と複雑な事情があるのだよ」
「了解です、柚安事務官長殿」




