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商人

「では、もったいないですけど遠くへ行ってもらいましょうか?」


女の冷徹な声が告げる。


「それは困るな」


 その時だった。柚安の耳に聞き覚えのある声が響いた。その声とともに女の体が目の前から消える。いや消えたのではない。5杖近くも先の草原の上に倒れているのが見えた。


「ぐほ……」


 女は小さなため息とも悲鳴ともつかない声を漏らすと、そのまま動かなくなった。死んだのか?


「普通はあばらが刺さって死ぬはずだがしぶとい。性根は腐っているが、体は少しは鍛えているみたいだな。いや私が衰えただけか」


 女を蹴り飛ばした男はそうつぶやくと、柚安の背後に回って戒めを解く。


「柚安おぼっちゃま、お怪我はありませんか?」


 その声はもちろん柚安がとても良く知っている声だ。


「高規?」


 高規は内衣嚢(ポケット)から手巾を出すと柚安が子供の時の様にその頭や顔を拭った。


「はい。大変ご無沙汰しておりました。なかなかお会いできる機会がありませんで、こちらもやきもきしておりました」


 さらに地面に落ちていた弁当箱を拾うと、それについた汚れを丁寧に拭った。


「お弁当箱が無事でよかったです。これは単なる物なんかでは決してありません。どんなに大金を積んでも贖えぬものです。これに毎日ご飯をつめたものの思いが込められていますからね」


 高規の背後からこれもよく知った声が響いた。


「この娘さんは、どうもその辺りが全く分かっていないようです」


「母さん!」


 柚安が声を張り上げた。


「いつまで尻もちをついているのです。情けない。さっさと立ちなさい」


「母さんは柚安に少し厳しすぎだと思います。父さん、そうですよね?」


 その背後にいる少し小柄な人影がそう柚安に告げた。その隣にもとても背が高い人影が見える。


「まあ、柚安も男だからな。言われる前にさっさと立ち上がるべきだろう。そもそもこんな娘さんにいいようにされているようでは先が思いやられる」


「安莉様。性格はさておきそれなりに手練れですよ。どうやら私の昔の同僚の手の者のようですね。この子は何代目だったんだろうな?」


 何やらぶつぶつとつぶやいていた高規に、安莉が詰め寄った。


「おい、高規。柚安の前だからって、私に『様』をつけたりして侍従に戻るのはやめてくれないか? 昔通りで行くって決めただろう? 元々お前に『様』付で呼ばれるのは、心の底から気に入らなかったんだ」


 父の言葉を受けた高規が、父さんに向かって両手を上げて見せた。昔に戻るとはどういう意味なんだ?


「安莉、お前との間はそうだが、柚安ぼっちゃまは柚安ぼっちゃまだ。小さい時からお前なんかよりよほどに面倒を見てきたのだ。お前こそ邪魔をするな」


「二人ともやめなさい。うるさいですよ」


 柚月さんが二人をたしなめると、二人はお互いに口をつぐんだ。柚安の口から苦笑いが漏れる。母さんに逆らえる人などそうはいない。だがどういうことなのだろう。訳が分からない。


「一体どういうことですか!? あの火災は?」


 立ち上がると、柚安は柚月に向かって問いかけた。


「もちろんあの死体は私達ではありません。不幸があって亡くなった方の遺体を引きとったものよ。あの人たちには申し訳ないけど、こちらがあそこを抜け出すために使わせてもらいました」


「抜け出す? 生きていたならどうして店には?」


 柚安の台詞に柚月がとてもいやそうに顔をしかめて見せた。


「せっかくなので、あんな面倒なものは桐輝さんに引き取ってもらう事にします」


「面倒?」


「そうです。姉があんな流行り病なんかで亡くなった為に仕方なく跡をつぎましたけど、たいしたものじゃありません」


「でも『油屋』ですよ!この国の五指に入る商会ですよ!」


「それがなんです? あんな余計な看板があるから本当の商売なんてもんが出来ないんです。本当の商売というのは相手の顔と目を見てやるものです。帳簿の上の数字を見ながらやるもんじゃありません。もううんざりです!」


 その言葉に柚安は思わず目を丸くする。そして助けを求める様に父の安莉の方を振り返った。


「父さん!」


「父さんも母さんに全く同意見だよ。お前だって知っているだろう、父さんがどうして母さんと知り合ったか? その時は高規と高馬車一つで世界を飛び回っていたんだ」


「父さん、それは一体父さんが何歳の時の話です!?」


「姉さん!」


 だが姉の柚衣も安莉に同意して見せる。


「私も父さんと母さん達の昔話がうらやましくてしょうがなかったの。だから同じように高馬車一つで商売をしていたあの人に惚れたんだと思う。だけど私はまだまだ半人前ね。あの人の心を救うことはできなかった」


 そこで柚衣は小さく首を横に振って見せた。


「いや違うわね。救うなんて考えでいたこと自体が間違いだったのよ。この前風華さんとお話しをして、それがよく分かったわ」


 柚安は呆気に取られて皆の顔を見回した。もしかして姉は風華から何か変なものでもうつされたのではないか? そんな考えすら頭に浮かんでくる。


「色々と義理もあってね。どうしても後の事をお願いしておかないといけない人達に挨拶したりして遅くなってしまったけど、父さん達はまた前のやり方に戻って一からやり直すことにした。もちろん高規には付き合ってもらう。腐れ縁だからな。柚安、お前はどうする?」


 柚安はその言葉に首を横に振った。自分にも義理という物がある。


「私も城砦から逃がしてくれた人への義理があります。なので城砦に戻ります。どうやって戻るかは何も思いつきませんけど」


 安莉が柚安に向かってうなずいて見せた。


「そうだな。義理は大事だよ。それに城砦に戻る件は大丈夫だろう。何も問題は無いはずだ」


「どういうことですか? こちらは殺されかけたんですよ?」


「月貞結社長が亡くなった。どうも暗殺されたようだ。それに冥闇卿までも一緒に遠いところに行ったらしい。正直なところ、こちらは信じがたいところがあるがね。少なくとも城砦内でお前を亡き者にしようとした連中は一掃された様だ」


「それは本当ですか!?」


 柚安の顔に驚きの表情が浮かんだ。月貞結社長が、あの男が暗殺される!? このわずかの期間の間にいったい城砦で何があったんだ!?


「うん、間違いない。それに桐輝がお前の背中を狙うこともない。もう関わることはないだろう。この件はいろいろなところに話をつけておいた。商売というのは相手があっての事だからな」


「それもあっての挨拶回りですか?」


 安莉がニヤリと口の端を上げて見せる。


「まあそんなところだ。それより近々月貞結社長の葬儀が行われるらしい。城砦に戻るならそれに合わせて戻るといいだろう」


 安莉の言葉に柚安は頷いた。それなら多くの弔問客もいるだろうし、そこでこちらをいきなり殺しに来たりはできないはずだ。そんなことよりも一刻も早く城砦にもどって何が起きたのか、何が起きようとしているのかを確かめないといけない。


 考え込んだ表情をした柚安の手を、柚衣がそっと握りしめた。


「柚安、いろいろ思うところはあると思うけど、あの人を許してあげて。そしてもしあの人と話すことがあったら、私が謝っていたと伝えてほしいの」


「謝る? 姉さんがですか?」


 柚安が柚衣に怪訝そうな顔をした。一体どう言う事だ。夫婦にも関わらず自分を殺そうとした相手だ。だが言葉を続けようとした柚安は、姉の顔を見て言葉を飲み込んだ。そこには頬を流れる一筋の涙がある。


「『寄り添えなくてごめんなさい』そう伝えて。私はあの人が心の中に抱えているものを一緒に背負ってあげられなかった。いや背負ってあげているつもりになっていた。すべては私の慢心の罪よ」


「姉さん、承りました」


「それともう一つ、『待っている』とも伝えて頂戴。これは私の願いよ」


「もう出発しますよ。色々と話をしているとすぐ朝になります。夜が明ける前にここから離れておかないと色々厄介です」


 柚月はそう告げると、皆に急げとばかりに手を打って見せた。


「これはどうします?」


 高規が草むらに横たわる女を指さした。


「うちの息子にやりたい放題してくれましたからね。本当なら叩き起こして説教の一つも垂れてやりたいところですが、旅の門出なので、特別に広い心で許してやります。先触れを送ってましたから、夜が明けたら仲間か何か来るでしょう。来なかったらこの人には人の繋がりが無かったという事です」


 柚月の言葉に高規が頷いて見せる。それを見た柚月は今度は柚安の方を振り返った。


「お前もきちんと自分の義理を果たしなさい。その一つ一つが繋がりとなって最後は自分のところに戻ってくるのです。先ずはお前にそのお弁当を作ってくれた人にきちんと挨拶して感謝の意を示しなさい。それが出来ないようならお前は私の息子ではありません。もちろん城砦のあの人にもきちんとお礼を言うことです」


「はい、母さん」


 柚月の隣で柚衣も柚安に向かって頷いて見せる。だが指を顎に当てると、少しばかり残念そうな表情をして見せた。


「でも風華さんの夜会服姿が見れなかったのは少し残念ね」


「そうね、それはちょっとだけ残念ね」


 柚月も柚衣に同意してみせた。その姿を見た柚安は心の中で、自分が何で風華の事がとても気になったのか納得した。あの子はこの二人と似た者同士なのだ。


「あの深紅の夜会服は探索組の慰労会の折に私が付添人として拝見させて頂きました。とてもお似合いでしたよ」


 柚安の言葉に二人が顔を見合わせる。そして互いに頷きあった。


「それは良かった。もうここには何も思い残すことはないわね。では出発です。柚衣は明かりを、高規は安莉と一緒に御者をお願い」


「はい、母さん」「柚月隊長、了解です」


 安莉が御者をする高馬車が車軸の音を軋ませて私の目の前にあらわれた。洗いざらしの綿の隊商服を着た柚月も柚衣もその荷台へと昇っていく。


「母さん、どこまで行くんです? それに繋ぎはどう取れば?」


 その言葉に柚月は荷台から柚安の方を振り返ると口を開いた。


「柚安、お前が本物の商売人になろうと思ったら、いや誰かに頼られる様な男になれたらすぐに会えますよ。本物の絆という物はすべてが繋がっているのですからね」


「はいほ――!」


 安莉の掛け声とともに、高馬車は草むらをかき分けて夜の闇へと消えて行った。

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