賭け
「遅い時間にご足労頂いて悪かったな。殺風景なところで申し訳ないがそちらに座ってもらえないか?」
暗い部屋の中にぽつんと一つだけ置かれた角灯の向こうで男が声を掛けた。歌月はその姿を一目見ると、大袈裟に肩をすくめて見せる。
「何だい、穴倉に閉じ込められていたという割には元気じゃないか? もしかしてそれも全部狂言という奴かい?」
歌月はそう言いながらも、部屋にただ一つ置かれた机の前の椅子をひいて腰かけた。
「おい、このこけた頬とふらふらな動きを見ても本気で言っているのか?」
男が皮肉っぽく頬に手をやる。確かにその頬は痩せこけており、顔は角灯の黄色光の元でもとても青白く見える。
「違うのかい?」
歌月の問いに男が苦笑して見せた。
「狂言でいるには少し静かすぎる場所だ。だが美亜の小言をずっと聞いていると、あの場所の静けさも悪くは無かったと思えなくもない。あの黒いのが赤娘の小言がとか言っていたのがよく分かったよ」
男の返事に歌月も苦笑して見せた。確かにそれはそうだろう。戻って来ると、あれがどれだけうるさいかは改めて分かる。
「世間話をするために私を呼んだんじゃないんだろう? 姪が私怨で叔父を殺したという事で幕を引くという訳かい?」
歌月は椅子の背に片腕をおいて足を組むと、前に座る男に向かってぞんざいに言い放った。
「ちょっと待ってくれ。あんたは俺の事を誤解していないか? いくらなんでもそんな悪者に思われるとは心外だがね」
本当に心外だったのだろう。男が少しばかり拗ねたような顔つきでそれに答えた。
「何だい、違うのかい? てっきりそうだと思ってここまで来たんだけどね。あの子の背中を守るためならそれほど悪い最後でもない。出来ればあいつは私の手で遠いところに送ってやりたかったよ。あの子にこんなことを押し付けるなんて、私も相当に焼きが回っちまったね」
そう言うと、歌月は誰に向けるでもなく苦渋の表情を浮かべた。
「赤毛に押し付けてしまったことについては俺も同感だ。あいつには本当に悪いことをした。もっと早く手を打っておくべきだった。あんた同様、自分の優柔不断と保身にはつくづく嫌になった」
向かい側に座る男も右手を上げて同意してみせる。
「で、吊るすんならさっさとやってくれない。調書でも何でもあんたの筋書き通りに書くからさ。あんたの得意技なんだろう? 私達がここに来たときはやる気満々だったじゃないか」
歌月が椅子の背から身を起こすと片手を机の上において男に語り掛けた。
「おいおい、さっき俺があんた言った台詞を全く聞いてなかったんだな。俺はそこまで悪人のつもりはないんだがね。それにここであんたを吊るして赤毛をさらに泣かせてでも見ろ、俺が美亜に吊るされる」
男はそういうと少しばかりふざけた顔で首元に手をやって見せた。それを見た歌月が顔に微かに戸惑いの表情を浮かべた。
「なら何でこんなとこまで、わざわざ正式な手順を踏んで連れて来たんだい?」
「例の問題への対処という奴だよ。いずれにせよ月貞結社長の死は公にする。事が事だからどうせ箝口令なんて引いたってすぐに広まるしな。こういうのは手早くやらないと色々な奴が色んなところをつつきだす。誰も想像もできないとはいえ、赤毛のところに手が及ぶ可能性だって無しじゃない」
男が先ほどとは全く違う真面目な顔で歌月に語った。
「それで?」
「あんたはこの件の狂言回し役をやってもらう。自分では全く思っていないだろうが、あんたは叔父さんの私印を使いまくったから、他の奴からは叔父さんのお気に入りのとってもかわいい姪だと思われている。つまり月貞結社長の一味も一味という訳だ」
男の言葉に歌月が肩をすくめて見せた。
「利用していただけのつもりだったけどね。上着の裾を少しばかり上げ過ぎたかい?」
「だが可愛さ余って憎さとかはよくある話だろ? 事実、あんたは月貞結社長に直々に呼び出されて、私印の件で叱責を受けたという話になっている」
「他にも色々と話はあったがそれ自体は事実だね」
歌月の答えに男が頷いて見せた。
「だから俺としてはあんたが私怨で叔父さんに手を掛けたのではないかという線であんたを調べ上げる事にする」
「で、吊るすんだろ?」
男の言葉に歌月がさも面倒だとでも言うように片手を振って見せた。その態度に男がさもうんざりだという表情を返す。
「時間が無いんだ、からかうのはいいかげんにしてくれないか?」
男はここからが話の本番だとでも言うように、机に肘をついて歌月の方へにじり寄ると、その顔に向かって指を突き出した。
「当然あんたは注目の的だ。赤毛なんかに目がいくこともない。だが査察方が正式に調べて無罪放免という事にすれば、それ以上あんたに疑いの目がかかることもない」
「それじゃ誰がやったことにするんだい?」
「それは謎でいい。あんたの叔父さんは最近は色々な奴から相当に恨みを買っていたからな。それよりも結社長の代わりにあんたのところに意趣返しに行くやつもいるかもしれないぞ。これ以上赤毛を何かに巻き込んでみろ、もう何が起きるか想像もつかない」
「最後の件についてはあんたと同意見だ」
その言葉に歌月はあっさりと頷いた。
「それに奴は相当に参っているのだろう?」
男はこの件の方が重要だとでも言うように、歌月の方に向かってさらに身を乗り出した。
「そうだね。でもあの子は強い。だからいずれは立ち直る。だけど今回は時間がかかるだろうね」
男が歌月の言葉に頷くと、納得したかのように体を椅子の背へと戻す。そしておもむろに口を開いた。
「昔話というのがあってな」
「何の話だい?」
歌月が男に向かって顔をしかめて見せた。
「まあ聞けよ。あの碧真という男をつるす時の話だ。黒いのが俺のところに尋ねてきてな、執行人を自分にやらせろというんだよ」
「百夜がかい?」
「そうだ。自分なら苦しまずに一発で仕留めてやるってな。そして自分が殺せば赤毛は己ではなく自分を恨む。それが一番いいと言ってのけやがった」
「あの子がね……」
歌月はそう呟くと、どこか遠いところを見るかのように天井を見上げた。その目尻が角灯の明かりに光を帯びて見える。
「俺はあんたと違って公私混同と言う奴は大っ嫌いだ。そんなものがあるから世の中がおかしくなる。だがな、この件は例外だ。世の中には規則なんてものには書けないもっと大事なものがある」
「それはその通りだね」
歌月は男の顔に視線を戻すと同意して見せた。
「俺があの黒い奴の代わりをやる。だからあんたにもあいつの為に一緒に一芝居うってもらう。関門に来た時はあんたもあの嫌味男も芝居がとても上手だったじゃないか。感心したよ」
男がさも感心したとでも言うように歌月に向かって両手を広げて見せた。
「やっぱり見られていたんだね。あん時はあんたに完璧にやられたからね」
「褒められたという事にしておく。心の準備はしておいてくれよ。あれはすぐにここに殴りこんでくるぞ」
「そうだね。間違いないね」
男の言葉に歌月も苦笑しながら同意する。
「それと早速で悪いが、この貸は今すぐ取り立てさせてもらう」
「まだ何かあるのかい?」
歌月が男を疑わしげに見た。
「大ありだよ。結社長がやられた後でその腰ぎんちゃく達も消えた。どうやらこれをいい機会に誰かに始末された線が濃厚だよ。おばさんという重しがなくなったからな。やりたい放題だ。結果としてここは人手不足だ。特に経験者と言う奴が圧倒的に足りない。そこでだ。あんたにもここを手伝ってもらいたい」
「本気で言っているのかい?」
歌月の言葉に男が深く頷いた。
「本気も本気だ。あんただって追憶の森を仕切っていたんだろう。ある人から頼まれて査察方を任されたが、それだけじゃない。おばさんが消えた後の裏まで何とかしろと言うお達しだ。どちらも俺の古巣ではあるが、まだ体だって戻っていないんだ。どうやったって両方の面倒を見るなんてのは無理だ。せっかく命が助かったというのに今度は書類に殺される」
そう語った男の目は真剣だった。だが歌月は男に向かって片手を振って見せると
「愚痴なら他にいいな」
と冷たく言い放った。その態度に男がいかにも困ったという顔をして見せる。
「愚痴じゃない。状況説明って奴だ。話を戻すとあんたには査察方の面倒を見てもらいたい」
「何だって!?」
歌月の口から驚きの声があがった。そして固まったかのように男の顔をじっと見つめる。
「これはそれなりに筋が通っているんだ。査察方の目下の最重要案件は月貞結社長の暗殺の件だ。月貞結社長の葬儀は可及速やかに実施する。そこであんたには涙ながらに叔父を殺した者へ報いを与える決意表明をしてもらい、査察方の長についてもらう。みんな納得だろ? それに赤毛も安全安心という奴だ」
歌月は男の顔を再度じっと見つめると、小さくため息をついて見せた。
「あんたはよほど頭がいいか、よほどの大馬鹿かのどちらかだね」
「褒められたという事にしておく」
「で、やってくれるんだろうな?」
男はそう告げると、立ち上がって机の上から歌月の顔を覗き込んだ。
「そんな大それた奴を簡単に『はい』なんて言えるかい」
「悪いがこの件はあんた以外に引き受け手が思いつかないんだ」
男が本当に困った顔をして歌月を見る。その姿を見た歌月が口元にかすかな笑みを浮かべて見せた。
「じゃ、私と賭けをしよう」
「賭け?」
「そうだ。あんたは百夜にならって、自分があの子の憎まれ役をすると言ったね?」
「それがどうした」
男が訳が分からんと言う表情で歌月を見る。
「いくらあの子でもそんな単純な手に引っかかるかね?」
そう言うと歌月が男に向かって首をひねって見せた。
「俺じゃ役不足と言うのか?」
「そうだね。あの子はあんたが思っているほど愚かじゃない。舐めすぎだよ。だからさ、あんたがあの子をうまく騙せたらあんたの勝ちだ。その話にのってやることにする」
「俺が負けたら?」
「この話はなしだ。だけどそれだけじゃ面白くないね。聞いた話じゃあんたは内地の学究院を歴代第一位の首席で出たらしいじゃないか。性根は曲がっているけど頭がいいのは本物らしいね。じゃ、あんたの子種でももらうことにしよう」
歌月の言葉に男が慌てる。
「ちょっと待て。冗談でもそんな話が美亜の耳に入ってみろ、おれの首は胴からすぐに離れるぞ!」
男の顔は真剣そのものだ。
「やっぱりあの子の近くに居ると、みんな何か変なもんでもうつされるみたいだね」
「何の話だ?」
「こっちの話だよ。それにあんたの話が本当なら……」
そこで歌月は男に向かってとても意地悪そうな笑みを浮かべる。
「この賭けはあんたにとっては命がけという奴だ」
そう言うと歌月は多門に向かって意味深に片目を瞑って見せた。




