地図
「ここが地下水路の入り口になっているはずです」
美亜さんが地下の警備室の一角の壁の石をゆっくりと押した。それが奥へと沈みこんだかと思ったら、岩の壁の一部がくるりと回転して、その先にぽっかりと真っ黒な穴が開く。その先は通路のようなものになっているらしい。
背後では奥の階段の方から、人々の声とともに白い煙がうっすらと降りてきているのが分かった。どうやら二階の廊下に充満した煙がこちらまで降りて来たらしい。それに焦げ臭い匂いもする。上の方では人が走り回る音やら怒声やらも響いていた。凪乃ちゃんが頑張って張っていてくれた音場ももう切れたらしい。
私と美亜さん以外の人の体の自由はまだ十分には戻っていない。角灯を片手に私が先頭になって、その穴の向こうを覗いた。どうやら下り坂の通路になっているらしい。少しかび臭いし、饐えたような匂いもする。それでも通路には暗闇でも移動出来るようにする為だろうか、壁には手すりのようなものが備えられていた。
「世恋さん、実季さん、こちらに手すりがあります。これを掴ってください」
足を引きずりながら穴の中に入って来た、世恋さんと実季さんの手を取って手すりを掴らせる。その後ろで背後を警戒しながら、美亜さんが碧真さんに肩を貸して通路の中に入って来た。美亜さんは碧真さんが手すりを掴ったのを確認すると、背後の石で偽装された分厚い扉を閉める。
ゴトという音とともに扉がしまると、辺りは私と美亜さんが持つ角灯の光だけになった。
「今度会った時に、凪乃さんにはお礼を言わないといけないですね」
美亜さんが地図を見ながら呟いた。私達がこの警備室の階段を下りるまでには優に一亥は超えていた。途中で火事の消火のために騒ぎが大きくなって助かったが、それでも凪乃ちゃんが相当に頑張ってくれたのだと思う。
彼女たちへの合図はとても慌ただしいものになってしまったが、彼女たちからは見えてくれただろうか? 今は彼女達が無事にここから離れてくれたことを祈るしかない。
ともかく3人も体の自由が効かない人達が居たのだ。それでも碧真さんの回復が比較的早かっただけでも助かった。碧真さんは自力で這うようにして、世恋さんと実季さんは私と美亜さんで引きずるようにして、二階の廊下の奥のたれ幕の後ろまで体を運んだ。だがそこから先は梯子だ。
細縄を合わせて体に通し、梯子の支えに引っ掛けて世恋さん、実季さんの体を滑車の要領で下ろす他は手段は無かった。当然その度に梯子を上り下りしなくてはいけないので時間もかかる。それに美亜さんは手が使えないので、上で体を下ろす作業は私一人でやらなくてはいけない。
その間に火が相当に回ったため、屋敷の者達が駆けつけてきた。その騒ぎに紛れて、少しは体の自由が戻ってきた三人に肩を貸しながら、やっとこの地下水路への入り口までたどり着いた。
ともかく梯子の作りが金属製で丈夫だったのは僥倖だった。これが簡単に折れてしまいそうな代物だったら、火に捲かれているか、屋敷の者に見つかるかのいずれかだったに違いない。
ともかくもうへとへとで、体中に重りを括り付けて歩いているのではないかと思うぐらいに体が重い。それに一度掻いた汗が冷えて、背中がとても冷たく感じられた。思わず私も壁の手すりに体を預けてそのままへたり込そうになる。
美亜さんは角灯の持ち手を左腕に通して、その灯で冥闇卿から渡された地図の束を右手だけでめくっていた。自分の角灯の火を消して、彼女が持っていた角灯を左腕から受け取って、その手元を照らしてあげる。
「小さな、しおり……小さな……しおり……」
それはとてもたくさんの紙の束だった。美亜さんはそれを左腕で抱えるようにもって、右手で次々と地図をめくっていく。冥闇卿の言う通りだ。これを私が受け取っても途方に暮れるだけだったろう。素直に諦めて、入って来た入り口から正面突破を計ったに違いない。
「あった、これね」
美亜さんが紙の束の中の一枚を抜き出し、私に近くまで角灯を持ってくるように合図した。その紙の中にはどうやらここから城砦方面へ抜ける道筋が示されているようだった。だがかなりあちこち角を曲がらないといけない道で、ここから城砦までの距離を考えると相当に歩くことになる。残りは私が受け取って防水性の袋に入れて道具袋にねじ込んだ。
「風華さん、あなたの角灯の油はどのぐらい?」
美亜さんの言葉に角灯の油入れ横の覗き窓を見る。油の線は半分より少し上の位置にあった。
「半分ちょっとです」
「私のも同じくらいね。皆の体調を考えると油の量はぎりぎりというところかしら。もし途中で切れたら、その時点で私達は本当の行方不明者ね」
そう言うと、美亜さんは手すりにもたれかかっている碧真さんの方をふり返った。
「どうする? 選択肢は3つある。一つは最初の入り口からの強行突破。もう一つはこの水路を抜ける。最後はここに隠れてやり過ごして、ほとぼりが冷めてから出ていく。安全だけを考えれば最後のが一番確実ではあるけど?」
『隠れる?』
「美亜さん、最後は絶対に駄目です。ここに隠れるぐらいなら、そもそもここに来た意味がありません。もし結社長や冥闇卿に仲間が居たら、彼らが何をしようとするか分かりません。何が起きているのかを一刻も早く皆に知らせないといけないと思います」
美亜さんが少し驚いたような顔をして私の方をふり返った。
「彼女の言う通りですね」
碧真さんも私に同意してくれた。
「風華さん、貴方は研修所に居た時とは大違いね。考え方も一人前になったみたい。その点に関してはもう私から言う事は何もないわ。それに有難う。貴方が居なかったら、私はあそこで何も出来ずにお終いだった」
美亜さんが私に向かって頭を下げた。
「美亜さん、ちょっと待ってください。そんなことされると……」
慌てている私の横で誰かの含み笑いが聞こえた。
「本当ですね。今回は風華さんに助けられました。それに美亜さん、貴方の力は本当に厄介ですね。やっと体も動くようになってきましたし、時間もありません。ともかく進むだけです」
体を手すりに預けていた世恋さんが、私達に声を掛けてきた。
「貴方もね。さっきは本気で殺しに来たわね」
美亜さんの声に世恋さんが微かに肩をすくめて見せる。
「本気じゃないと絶対に止められませんからね」
美亜さんも世恋さんに向かって肩をすくめて見せた。
「お互い様ね。こちらも貴方が城砦に戻ってきた時には本気で吊るすつもりだったし」
二人ともちょっと待ってください。仲間ですよね? いざとなったら本気でお互いを殺し合えるんですか? おかしくないですか?
桃子さんや愛佳さんといい、この人達は本当に……いやもしかして私の方がおかしいのだろうか?
結果的に皆を助けられたとしても、私が一人の人間を殺してしまったことは事実だ。きっと花輪ちゃんや、緑香さん、それに多門さんや桃子さんと同じように、ふとした時に私の心に痛みをもたらすのだろう。だけどそれは私が一生背負っていくべきものだ。そしてそれは私が同じ過ちを繰り返さないためにも必要なものなのだ。
私の表情に気が付いたらしい美亜さんが、左腕を私の肩に置いた。
「風華さん、これはあなただけが背負うものじゃない。私達皆で背負うものよ」
「そうです。だから裏という組織があるのですよ」
碧真さんも私に向かって頷いて見せた。その言葉に美亜さんも頷いてみせる。
「それにあの人はわざわざ地下水路から出ろと言った。あの女は何の理由もなしにそんなことを言う人じゃない。それとこの途中にある小部屋のような場所に何か印が打ってある」
美亜さんが地図を持ち上げて角灯の明かりにかざした。
「印は……古い物じゃない。多分最近つけられたものね。それにこの地図にはあらかじめ栞がはさんであった。栞も古いものじゃない」
「ならば?」
「私達は地下水路を進む。それしか選択肢はないわね」
美亜さんはそう言うと、通路の先を左腕で指し示した。




