引継ぎ
「あーちゃん、動かないで」
結社長が息を引き取った瞬間に動こうとした美亜さんに、冥闇卿が声を掛けた。
「貴方から私達は見えないでしょうけど。私の手には刃があって赤毛さんの喉元にある。信じてはくれないでしょうけど、私は貴方だけは殺したくはない」
美亜さんの視線があちらこちらに泳いでいる。私にはよく分からないが、美亜さんからは私達の姿が見えていないらしい。
「信じられると思うの!」
美亜さんが部屋の向こう側に向かって叫び声をあげた。
「信じる、信じないはあなたの自由よ。それに私は赤毛さんと少しお話がしたいの。貴方が何かしたら、その時点で赤毛さんも含めて全員を殺す。分かったわね」
そう言うと私の上から彼女が立ち上がる気配がした。
「赤毛さん、貴方も大人しくしていて頂戴。私の力が貴方には及ばなくても貴方の命ぐらいは簡単に奪えます。獲物の扱い方ぐらいなら、まだ駆け出しの貴方より私の方が余程にましですよ。それに貴方も少しでも抵抗したら、ここに居る全員をすぐに遠いところに送ります。理解できましたか?」
彼女はそう言うと床に伏せている私を見下ろした。
「礼儀がなっていない人は嫌いです。ちゃんと返事をしなさい」
彼女が感情を感じさせない目で私をじっと見ている。この人も桃子さんや愛佳さんと同じ種類の人だ。やるときは言葉通りにやる。
「分かった」
「ここは城砦ですよ。あーちゃんの教え方がまずかったのですかね?」
彼女が私をじっと見る。
「はい、冥闇卿。了解です」
私の答えに彼女は納得したらしい。かすかに頷いてみせた。
「そのままではお話ししづらいですね。ゆっくりと立ち上がってそちらの椅子に腰かけてください。お茶は……ささやきがお湯をこぼしてしまいましたね。せっかくお話が出来るというのに残念です」
彼女はそう言うと、私に居間においてある長椅子を指さした。私が長椅子に移動したのを見届けると、彼女は結社長の側に座り、その開いたままだった眼をそっと閉じた。そして部屋の片隅にあった書き物机の前に置かれた小さな革張りの椅子に腰を掛ける。薄い黄色の部屋着と白い肩掛けをしたその姿は、普通のその辺の主婦と何も変わらない。
「あなたとこうして直接にお話しする機会は無かったですね。正しくは貴方がこの城砦に来てからは無かったですね」
彼女は私にそう告げると微笑んで見せた。この状態でほほ笑んで見せるって一体何なんだろう。
「前に会ったことがあるんですか?」
彼女が私に向かって再び小さく頷いて見せた。
「貴方は小さかったから、きっと覚えていないと思います。まさかこんなに大きな娘さんになって、目の前に来るなんて思いもしませんでした」
記憶に全く無いが、彼女の話が本当なら、私は一の街で父がまだ生きている内に彼女に会ったことになる。
「父をご存じなのでしょうか?」
「はい。知っています。ですがよく知っているかと聞かれれば、答えは『いいえ』ですね」
つまり、単なる知り合いという事? 言っていることがよく分からない。
「貴方には渡すものがあります。貴方の父親が隠していて、それをアルが一の街から回収してきたものです」
彼女はそう言うと、書き物机の戸を倒してその中にあった引き出しから革の袋のようなものを取り出した。そしてそれを手に取ると、私の方へひょいと投げてよこす。慌ててそれを受け取るが、思ったよりずっしりとした重さに思わず両の手から滑り落ちそうになった。手にした感じでは中身は何か角ばった石のようなものだ。
「中を確認してみてください」
彼女に即されて革ひもをほどいて手の上に袋をかざすと、そこには赤水晶か何かで作られた、表面が何やら多角形で切りそろえられた石が出てきた。何かとてつもなく大きな宝石のようなものだろうか?
この形はどこかで見たことがある。そうだ!色は違うけど、百夜が持っているマ石にそっくりな形と大きさをしている。これが父が隠し持っていたもの? 掌に石の冷たさが伝わる。
角灯の明かりを受けて燃えるような赤い光を放っているが、それ以上でもそれ以下でもない。百夜のマ石に似ていると思ったのは勘違いで、やはり父がどこかの岩山ででも見つけてきた宝石なのだろう。
「何か感じますか?」
冥闇卿が手の平でそれを持ったまま途方に暮れている私に聞いてきた。
「いえ、何も感じません」
「ならば、きっとそういうものなのでしょうね。どういう風の吹きまわしか分かりませんが、それを貴方に渡せと言うこの男の遺言です。間違いなく渡しましたよ」
そう言うと床に倒れている結社長の遺体を指さした。
「はい」
「もう一つはこの地図です。この城砦の地下水路に関する地図です。これを使ってここを抜け出しなさい。これも彼の遺言です。どうやら最後の最後で考えを色々と変えたみたいですね」
書き物机の書類束から、厚紙の封筒に入った何かを私の前に投げ出した。
「あーちゃん、見えた?」
その瞬間に美亜さんが私や冥闇卿の方をふり返った。
「そんな呼び方をしたからって!!」
美亜さんがすごい形相で冥闇卿を睨みつけていた。
「赤毛さんに渡した地図の一枚に小さなしおりが挟んであります。地下の警備室からそのしおりの経路に従ってここから脱出しなさい。さっきあれだけの音がしたはずなのに誰もこないところを見ると、誰かが音場を張ったみたいね。まさか音以外にそんなことが出来る人がいたとは思わなかったわ」
そう言うと少しばかり首を傾げて見せた。
「なるほど、若芭さんの切り札ね。あの人は自分の国の人にマナを禁じておきながら、自分の手札としてはいくらでも使う。本当に食えない人ね。でもその音場使いも、いくらなんでもそろそろ限界でしょう。ここの周りは囲まれているわ。無事に出たかったらその地図に従いなさい。赤毛さんと違って、貴方なら間違いなく抜けられるでしょう」
そう言うと彼女は私の方を指さして小さく笑った。
「このお嬢さんだと地下水路から永遠に出られそうにないですからね。それに流石はあーちゃんね。とっさに力を最低限に絞ったみたいだから、皆さんそろそろ目を覚ますのではなくて? ささやき、聞こえているなら若芭に伝えて頂戴。貴方の執念には恐れ入ったと私が言っていたとね」
よく見ると世恋さんや碧真さん達の体がかすかに動き始めていた。
「何が流石よ!絶対に殺してやる!」
美亜さんの叫びに彼女が小さくため息をついてみせた。なんだろう。その顔には少し何かを憂うような、何かを悔悛するような表情があった。
「あーちゃん。貴方には私や多門君の居る世界には足を踏み入れさせたくは無かった。出来れば全て知らずに居て欲しかった。でもその為にはあなたがこの城砦に足を踏み入れる前に止めるべきだったのね。貴方を近くで守ってあげたいと思った私や多門君のおごりだったわ」
「何が、おごりよ。あんたが、あんたがあの人を殺したんだ!もう私には何も、何も残ってなんかいない!」
だが美亜さんもその手を彼女に向ける事が出来ずにいた。ただ座っているだけなのだが、彼女には隙や油断と言うものがまったく感じられない。私でも分かるくらいだ。きっと美亜さんにはもっとはっきりと分かっているのだろう。その焦燥感が、無力感が、彼女の叫びになっていた。
「そうね。だけどもう全ておしまい。赤毛さん、貴方も貴方自身が思っているほど無垢な存在じゃない。だけどそれはあなた自身の問題かどうか、それを貴方が問題とするかどうかは別の話ね。最後に貴方とお話が出来る機会があってよかった。白蓮さんが無事に戻って来れるといいわね」
そう言うと、彼女は書き物机の上に置かれた角灯を取るとその油を辺りに撒いた。
「ちょっと待ってください!貴方は、貴方は私の何を知っているんですか!私は一体どこの誰なんですか!?」
彼女は私の問いかけを無視すると、背後にあった寝室へと続く扉を開けて、私と彼女の間にあった結社長の遺体の両腕を手で持ち上げた。
「貞、黒の時代はもう300年も前に終わっていたのです。私達の時代は遠い昔に終わっていたのですよ」
そう遺体に語り終えると、彼女はその両腕を引っ張って寝室の向こう側へと引きずっていく。私と美亜さんは何も出来ずに、そして何も口にすることも出来ずにそれをただ見ていた。そして遺体を寝室の向こう側へと運び込むと、扉の間からこちらに顔を出した。
「あーちゃん、これは私からあなたへの委託品よ」
冥闇卿はそう言うと、美亜さんの方へ革の立派な書類袋を投げ渡した。
「次の結社長になる人に渡してちょうだい。結社やらここの色々な秘密事項だから取り扱い注意でお願い。これで引継ぎ完了ね」
まるで普通の主婦のような表情をして美亜さんににっこりと笑って見せた。
「あーちゃん、幸せになりなさい」
「何が幸せよ! 勝手に死なないで頂戴!私に殺されなさい!」
「嫌よ。もう音場も切れる。静かにしなさい。早くその人達を連れて逃げないと、その人達も遠いところに行くことになるわよ」
彼女は私達にそう告げると、手にした角灯を床に投げつけて寝室への扉を閉めた。




