牙
「防げ!」
円陣を構成する全員、ただしマナ無しの白蓮を除いた者がマナの限りを尽くして、こちらを襲撃する黒犬達を牽制し要撃していた。
すでに20体近くの黒犬を屠っていたが、まだ30近くの黒犬がこの円陣を包囲している。
せめてもの救いは残りの黒犬達が本陣の方へ向かっている事と、何も身を隠すことがないこの涸れ川の河川敷では、黒犬が得意とする奇襲が全く意味を成さないことくらいだろうか?
だが、それでもかなりの数に囲まれている事に変わりはない。
マナを使えない白蓮は、牽制や要撃の役には全く立たないので、自然と陣の中央で周囲を囲む黒犬達を観察しつつ、他のもの達にその動きに関する指示を出していた。
だが円陣を構成する者達のマナも、要撃に用いることができる獲物も尽きかけている。
ほとんどの者が着用している軽装の皮鎧や大外套に黒犬の爪痕をつけられ、そこから流れた血が着衣の上を伝わって彼らの足元へと落ちていた。
残り僅かなマナが尽きた後は、せいぜい護身用の短剣で黒犬達と渡り合うしかない。そんな覚悟を決めた白蓮達の耳に、馬のいななきとまるで雷鳴のような馬蹄の響きが聞こえた。
本陣に向かった黒犬達を、隊列を作った槍騎兵達がその槍で突き刺し、鎧をまとった馬で弾き飛ばしている。後ろに続く竜騎兵達が、槍騎兵の撃ち漏らした黒犬を弩弓と背が歪曲した馬上刀で掃討していく。
森の中と違って身を隠すところがない黒犬達は、騎兵達にまるで狩の獲物のように追い立てられている。そしてその後ろからは砂塵を上げて、一の街の住人と衛士達が槍を手に黒犬達に突撃していた。
「援軍だ!」
白蓮は叫んだ。だが、向こうから来る騎兵達の馬蹄の音に興奮した黒犬達が、一斉に跳躍して円陣に襲いかかってきた。結社の者達も限界だった。いや既に限界を超えていた。
外周に居た者達がその勢いに押されて、内部へと弾き飛ばされる。倒れた者達を襲おうとする黒犬に向かって、他の者が手にした短剣で切りかかる。
白蓮も薄毛の男を押し倒し、そこに爪を立てようとしていた黒犬の右目に手にした短剣を体ごと体当たりして突き刺した。
厚い袋を切り裂くような感触。短剣の剣先が黒犬の骨に当たり、その衝撃に白蓮の手がしびれる。黒犬が頭を振った勢いに短剣から手が離れ、白蓮は後ろへと尻もちをついてしまった。
薄毛の男をまだその爪で押さえながら、黒犬は片目で自分を襲ったものを探すように周囲を見渡した。
白蓮の手にもう短剣はない。白蓮は自分の顔から血の気が引くのが分かった。怒りに燃えた黒犬の咆哮が響く。その時その口に一本の槍が深々と突き刺さった。
「徴税士をなめるんじゃない。俺たちはどんな猛犬がいようが税をとりに行くんだ!」
突き刺さった槍の先で、あのちょび髭の徴税士が全身を乾きかけのどす黒い血に染めて絶叫していた。続いて突撃してくる男たちの持つ何本もの槍が黒犬の体へと突き立てられていく。
あちらこちらで黒犬のかすれるような遠吠え、断末魔の叫びが上がっていた。
白蓮は、倒れた黒犬の体を飛び越えて薄毛の男に駆け寄った。その顔は失血によってすでに蒼白になっている。大外套の衣嚢の中から止血用の布をだして胸の傷を抑えるが、その布は男の血であっという間に赤く染まっていく。
男は白蓮に向かって薄笑いを浮かべると、傷を抑えるその手を振り払い、這うように横たわる黒犬の屍骸へと近づいていく。そして最後の力を振り絞るように手にした小刀でその牙をくり抜くとそれを白蓮の方へ投げた。
「白、蓮、これでお前も一人前、だな……風華さんを、大事……にしろ……」
だがそこで彼の手から小刀が落ち、その目から光が次第に消えていく。
白蓮は膝をついて男が投げた黒犬の牙を拾い上げると、男の血で染まった布でくるみ、それを大事に、大事に大外套の衣嚢へとしまい込んだ。




