遺恨
「本当にあの者などに任せて大丈夫なのでしょうか? すでにこちらの指示とは関係のないことをしています」
侍従姿の若い男が、紫の鎧を来た男に聞いた。男は窓のない部屋の中で、小さな角灯の灯りを前に、先触れに出すいくつかの文を書いている。
「自問自答などしたことが無いのだろうな」
男は文を書く手を休めることなく、若い男の問いに答えた。
「自分が誰によって生かされて何で生きているのか? そんなことなど考えたことも無いのだろう。自分が為したいままに為し、それで世界が回ると思っていたのだ。例え我々が役割を与えてやったとしても、その性根は変わらない。貴族の子弟のあまり責任のない立場にいるものによくいる種類の人間だよ。それを本人の責任とだけ言いきっていいかは私には分からないな」
「ですが……」
男は若い男の問いかけに答えることなく、書きあがった文のいくつかを丁寧に畳むと、若い男に差し出した。
「糸はつけてあるのだろう?」
「はい。ですが別の糸と完全に絡み合っています」
「仕方がない。こちらも内地との間の事で手が一杯だ。それにこれはあの方の為でもあるが、あの男が生きている内に、借りの一つでも返しておこうという奴だ。我々はあの方の目的にこそ注力する必要がある」
「はい」
「では頼んだよ」
「ですが直接当人を狙った方が良いのではないでしょうか?」
男は若い侍従姿の男に向かって苦笑いをしてみせた。
「それはだめだな。殺してしまったら、本当のそれも永遠の英雄になってしまうではないか。この世に英雄などという者は一人だけ、我が主だけで充分なのだよ」
* * *
「おい、報奨金はちゃんとでるんだろうな? 女だけじゃ、どんなに上玉でも話になんないぞ」
この辺りの顔役らしい、背は低いががっしりした体つきの男が三男坊に向かってすごんで見せた。三男坊はと言うと、ただこいつにぺこぺことお辞儀やら揉み手をしているだけだ。
「間違いありませんよ、メナンの旦那。うちの叔父の間道沿いの件に絡んだやつだそうですから、間違いなく高額な手配首です」
三男坊がこちらをふり返った。こいつは馬鹿か? ネタをばらしてどうするんだ。全部こいつらに手柄を持っていかれるじゃないか!
「足りなかったらお前の取り分は無しだ。手を汚すのはこっちだからな」
「旦那、勘弁してください。寒い中、明方まで出張ったのはこっちですよ」
そう言うと、三男坊は男の裾に縋って見せた。こいつに交渉をまかせた俺も馬鹿だった。顔だけ繋いでもらって、俺が交渉すればよかったんだ。それにこの片手程度の人数でやるつもりか? あいつらを舐めすぎだ。この倍はそろえてもらわないと困る。
「その程度はうちの駆け出しでも出来る仕事だ」
「メナンさん。どうやらもう間もなくみたいですよ」
この男の手下の一人が木の上から降りてきた。
「おい、橋を渡る手前で手配通りに囲むぞ。男が二人に女が3人だ。最初に男を弩弓で始末して女達は投降させる。間違っても女の方を打つなよ。実入りが少なくなる」
「あら、邪魔は困るのだけど」
男の背後から不意に女の声が上がった。
「何だお前!」
振り返ろうとした顔役の男が、そのままこちら側に倒れた。その上着の背中からは血が溢れ出している。
「急に動かないでちょうだい。下賤の汚い血が飛んだじゃない」
血がついた短刀を握った背の低い女が、さも嫌そうにつぶやいた。残りの男達は倒れた顔役の男と女をあっけにとられて見ている。顔役の男はしばし体を痙攣させた後にピクリとも動かなくなった。
「ひ――!」
それを見た三男坊の口から悲鳴が出かかる。だがそれが叫び声になる前に、その口に女の投げた短刀が突き刺さった。
「声が大きい人は嫌いよ」
その短刀を抜こうと口元に手をやったまま、三男坊の体が地面に倒れた。溶けかかった雪が、奴の真っ赤な血で染まっていく。
「てめえ!」
我に返った男達が腰に差した短刀を抜いた。だが次の瞬間には全員が真っ赤な炎に包まれる。慌てて雪の上を転がって火を消そうとするが、その炎は消えることなく、男達の体を真っ黒な炭へと瞬く間に変えていった。なんだ、この女がつけたのか? それに雪でも消えないなんて……。
「あの身の程知らずの裏切者にも、十分な教育を与えてあげないといけないわね」
女はそう一言つぶやくと、雪の上に尻もちをついていたこちらを一瞥した。なんて冷たい目だ。こいつは絶対に狂っていやがる。
「あら、どうしてそんなに怯えるの。死ぬのなんて一瞬の事よ」
* * *
雪の壁の窪みから前方を伺う実季の視線の先で、見張り役の男が木から降りたのが見えた。白い大外套に顔も白く塗っているので、こちらは向こうには見えていないはずだ。
背後にいる碧真に位置と人数の合図を送る。こちらを女連れと舐めているのか、人数はそれほど多くない。昨日からこちらを見張っている男達を含めても、両手にも満たない数だ。
『確認』、『先手』、『奇襲』
碧真から手信号が返る。向こうがこちらを囲む前に先手を打つつもりらしい。流石だ。確かにわざわざ奴らの待つところまで行って、流れ矢があたるような危険を冒す必要はない。
『先行』、『支援』
碧真からさらに手信号が送られてくる。
『了解』
実季はそう返事を返すと移動を開始した。そして力を使うべく鳩尾の下の靄に呼びかける。ここは森の中ではないが、マ石から取り込んだマナがそこで濃厚に渦巻いているのが感じられた。
隠密の力を使っても、両側を除雪した雪の壁に囲まれ、足元が雪解け水で川のようになっている現状では全く油断は出来ない。隠密はあくまで気配を消すものであって、足音などを完全に消せるようなものではないのだ。
雪の壁も所々で崩れていたり、脇道への通路があったりで、そこに潜まれて狙撃される危険も十分にある。先行して後ろから来る人達の安全を確保しないといけない。
「ひ――!」
実季が慎重に移動を開始してすぐに、風下から何か悲鳴のような声がいくつか聞こえてきた。もしかしたら誰か別の旅人でもこの襲撃に巻き込まれたのだろうか?
短弓を背後に背負って、腰に差した短刀の柄に手をやる。後ろに『警戒』の手信号を送りたいが、今は雪の壁が邪魔になって後ろへの合図は送れない。後ろが追いつくまで待機すべき状況だが、上がった悲鳴をそのままにしておくわけにもいかない。
不意に頭の上で何かが動く気配がした。慌てて雪の壁が崩れて先が小道になっていたところに身を隠す。
チチチチチ
頭の上から小さな鳴き声が聞こえてきた。実季が上を見上げると、雪の壁からちょっとだけ顔を出していた木の枝の上に茶色い鳥が止まっている。先触れだ。そしてその羽には黒い縞模様がある。「黒い使い」だ。それが枝の上からこちらをじっと見ていた。
「みいつけた!」
不意に背後の雪の壁の間から声が響いた。とっさに短剣に手をやるが、手がう撒く動かない。ああ、この声は……それに、この香りは……
「ひ……久……沙美……」
声の主が倒れこんだ実季の顔を、長革靴の先で雪面へと押し付けた。
「久沙美様でしょう? 相変わらず下賤の身のくせに身の程を弁えない人ね」
そう言うと、実季に向かってさも嫌そうに顔をしかめて見せた。
* * *
「次の街まで天気が持ってくれればいいのですけど」
御者台で手綱を握る碧真さんが呟いた。碧真さんの姿は髭を生やした田舎の親父さんを装っている。もちろん愛佳さんのマ石の助けなどは一切借りていない。いやその親父っぷりと言ったら、本当は出っ張っていないはずの下腹が、実はすごく出ているんじゃないかと思う程のはまりっぷりだ。
「そうですね。風は大分強くなってきましたが、本格的な嵐になるのは明日以降、おそらく夜か明後日の朝ぐらいじゃないでしょうか? でもこの辺りは城砦程ひどい嵐にはならないはずです」
私の横に座る世恋さんが碧真さんに答えた。見上げると黒雲を含む分厚そうな雲が西から東へと流れていく。辺りはまだ昼前だというのに黄昏近くのような暗さだ。
「そう願いたいですね。雪解け水で小川の中を進んでいるようなもんです。これに雨まで降られたら、にっちもさっちもいかなくなります。荷馬車はすてて乗馬で移動する以外ないですね。まあどのみち皆さんの化粧ももうすぐお終いです」
「せっかく楽に化粧が出来ていたのに残念です」
世恋さんが私に向かって両手を上げて見せた。それが朝霞ちゃんの姿なのでものすごく違和感を感じる。
荷馬車の後ろでは男性姿の美亜さんが所在なげにしていた。だがそれは見かけだけだ。背後から近づくものが居ないか絶えず警戒している。それに私にはさっぱり分からないが、碧真さんや世恋さんは斥候として先行している実季さんと、何やら合図の交換をしているらしい。
私の横には荷台の上で寝ている姿の実季さんもどきが居る。これに中身が無いことがばれないように、これを動かしたり、たまに話しかけてみたりするのが私の仕事だ。
私が物言わぬ大外套で作った偽実季さんに、一人突っ込み一人呆けをかましていると、横に座っている世恋さんがくすくすと笑う。もうなんだかな。そんなに私っておかしいですか? 本物の実季さんは大丈夫なんだろか? こんな足元が水浸しの状況でも気配を隠せるのだろうか?
こちらは荷馬車にのっているが彼女は徒歩だ。碧真さんがいくらゆっくり目に荷馬車を走らせているとはいえ、体力的にも相当大変なはず。しかも一人でだ。いくら実季さんでも少し不安になってくる。そんなことを考えていると不意に横に居た世恋さんが動いた。荷馬車の足元に隠していた短弓に手をやる。前を見ると碧真さんが手信号を送っていた。
『敵』、『前方』、『両手以下』、『先手』、『奇襲』
とうとう来たということか。思わず肩に力が入る。碧真さんはこちらが囲まれる前に先手を打つつもりだ。世恋さんが用意していた真っ白な大外套を羽織って、素早く荷馬車の床板を外すとそこから下へと身を躍らせる。続けて美亜さんもそこに身を躍らせた。私も荷物に茶色い大外套をかけて、白い大外套を頭から羽織ると、二人に続いて穴に体をねじ込んだ。
荷車がゆっくりと上を通りすぎたのを確認して、周りの雪の壁に体を押し付ける。世恋さんと美亜さんはと言うと、早くも馬車が立てる水しぶきを潜り抜けると、前方の雪の壁の割れ目から脇道へと入っていく。襲撃者がこちらを包囲する背後から逆包囲を掛けるつもりだ。
私は碧真さんの支援役として、馬車の横を少し先行した位置に移動した。ここは曲がりになっていて見通しが効かないので、もっと先にいって前方に敵がいないか確認しないといけない。馬車はゆっくりと道なりに曲がって行き、先には石造りの、あまり大きくない橋が架かっているのが見えた。襲撃者がしかけてくるとしたら間違いなくここだ。
「おかしいな? 実季さんからの繋ぎがない」
角を曲がり終えたところで、御者台の上の碧真さんがつぶやいた。
「ひ……ひ……さみ……」
あれ、何だろう? 今確かに前の方から実季さんの声が聞こえたような気がする。気のせいだろうか? でも最近の私の耳はとっても敏感だ。どうやら他の人が聞こえないような話し声がはっきりと聞こえてくるらしい。
「碧真さん、先に行きます!」
あれは絶対に実季さんの声だ。彼女に何かあったんだ。
「待ちなさい!」
背後から碧真さんの慌てた声が聞こえた。碧真さん、ごめんなさい。私の中の何かが急げと言っているんです。
* * *
「久しぶりね実季。元気にしていた」
久沙美はそう告げると、実季の顔を覗き込んだ。そして少しばかり怪訝そうな顔をしてみせる。
「どんな仕掛けか分からないけどびっくりね。どうやってぴーぴーよく泣く妹に化けたの? 焼いてやったはずの顔が元にもどったかと思ったじゃない」
「さ、さき……に……何を……」
実季の口からくぐもった声が漏れた。その言葉は雪面に顔を押し付けられているのと、薬のせいではっきりとは聞こえない。
「当たり前でしょう。あんたの家族なんてそのままにしておくと思うの?」
久沙美が呆れたように声を上げた。
「家族は無事……だって、書いてあったのは……あれは嘘……」
実季の言葉に久沙美がくぐもった笑い声を漏らした。
「そうね。無事と言えば無事ね。本当は貴方共々殺してやりたかったのだけど、あの方に駄目だと言われては仕方がない。すこし焦がしてやるぐらいで許してあげたわ。あの方の慈悲に心の底から感謝をささげる事ね」
「殺してやる!」
実季は動かぬ体を無理やり動かして声をあげた。そしてこの女の前では見せたくないものが目から流れ落ちるのを感じる。何てこと……みんなごめんなさい。私が……私が冒険者になって、あそこから逃げ出そうとしたからだ。全部、全部、私が悪いんだ!!
「ぐつ!」
久沙美は暴れる実季をさも嬉しそうに眺めると、冷酷に腹を蹴り上げた。
「本当はその程度ではあきたらないぐらいなのよ。知っている? 倫人達なんていまだに部屋から出る事も出来ずにただ震えているのよ。私も同じ目にあったわ。でもあの方に救って頂いた。今となれば、あの方にお会いして、崇高な目的にこの身を捧げるための犠牲だったと思えば、納得できないこともない」
久沙美はうっとりした表情で、どこか遠いところを見つめた。
「だからあの方が私の心情を慮って、私にこの機会をくださった。貴方の目の前であなたのお友達を燃やしてやる機会をね!」
そう告げると、再び実季の方を見下ろした。その顔には醜悪な冷笑が浮かんでいる。そして指先に小さな炎を灯して見せた。それは実季の視線の先で、街道を通り抜ける強風に小さく揺れている。
「もうすぐよ。あの馬車がここに来たらその場できれいさっぱり焼いてあげる。私の炎の中であの赤毛がもだえ苦しむのをそこからよく見ていなさい」
そこで急に久沙美が背後をふり返った。実季の耳にも雪の壁の向こうから、何かがこちらに向かって来る足音が聞こえる。碧真さんが先行してきたんだろうか? ここに来てはいけない、警告しないと……。だがそこに現れたのは太めの体の若い女性だった。
「あんた、人の弟子になんてことしてくれてるの?」
お姉さま!? 駄目です。すぐに逃げてください。この女は……。
「あら、どこの子豚さん? いいところなのだから邪魔しないでちょうだい。丸焼きにするわよ」
指先の炎が赤くきらめく。
「に……にげ……」
「お前が燃えろ!」
「ぎゃあ――――!」
思わず目をつぶってしまった実季の耳に悲鳴が響いた。何で……何で……こんなところに来たんです!
「実季さん、実季さん、大丈夫?」
その言葉に実季が目を開けると、女性が実季の体を力強く抱きしめていた。見かけは別人だが風華だ。実季は自由にならない体で辺りを見回した。久沙美は、あの女は……。風華の頬を赤い炎が照らしている。必死に視線をずらすと、久沙美だったらしい何かが真っ赤な炎に焼かれて真っ黒な何かに変わっていくのが見えた。
「この風で風上に向かって火を放つなんて、なんて馬鹿なの?」
実季の耳に燃え上がる炎を見ながら、風華がそう呟くのが聞こえた。
「お……おねえ、さま、」
「ごめんなさい。貴方にだけ危険な事を押し付け過ぎていた」
風華がその頬を実季の頬に押し付けた。
「それに私は自分のことばかり考えていた。貴方にも家族が居たのに、それを忘れているなんて。ごめんなさい。謝って済むことじゃないことは分かっている。私もこの事は一生忘れない。私もあなたと一緒に背負う。そして謝りに行く。だから……、だから……、自分だけを責めないで……、」
風華の目からも涙が流れている。実季の目からも涙がこぼれる。この人の前でこうして泣くのは何度目だろう。
「あ……、ああ……」
ありがとうと一言いいたいのだけど声が出ない。
「絶対に許さない。あなたを、あなたの家族を傷つけた奴らは絶対に許さない!!そんなの絶対にゆるさない!!そいつらに必ずその報いを与えてやる!!!」
風華の叫びに、久沙美を焼いていた炎がひときわ大きく光り、そしてそれは雪解け水の中に小さく消えていった。後には消し炭の一つも残ってはいない。
父さん、佐季、季唯人……本当にごめんなさい。だけど、私にこの人の側に居させてください。実季は風華の涙の温かみを頬に感じながら、心の中で遠くにいる自分の家族に懺悔した。
* * *
「久沙美につけていた先触れが戻りました」
「つまり、あの娘はまだ生きているという事だね?」
暗紫色の鎧を着た男は両手を組んだ上に顎を乗せると、若い侍従姿の男にそう問いかけた。
「はい、そうなります」
鎧を着た男は小さくため息をつくと、若い男に片手を振って見せる。侍従姿の男は無言の男に一礼すると、静かに部屋を後にした。




