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不覚

「ただいまです! 粉ものと炭は届いてますかね? 野菜類も後で届けるようにお願いしておきました」


「お疲れ様です」


 世恋さんが入り口のところで私から宿で借りた麻布の袋を受け取ってくれた。部屋に入るとみんなお揃いだ。でもなんかちょっとだけ空気がおかしいような気がする。もしかして追手でもかかったのだろうか?


「では、皆そろいましたね」


『確認』、『周囲』


 そう声をかけた碧真さんが手信号を送ってきた。


『安全』


 戸口のところで、私から受け取った袋の中身を確認する振りをしていた世恋さんが、後ろ手に手信号を返してきた。窓の外や両隣の部屋を伺っていた美亜さんと実季さんもそれぞれ『安全』と手信号を返す。みんな素早い。なんか私一人が部屋の真ん中で取り残されている。もしかして、私も床に耳をつけて気配を伺うべきでしょうかね?


『集合』


 碧真さんの手信号に皆が部屋の中央に集まった。だが窓や戸口に近い位置にいる世恋さんや、美亜さんは背後への警戒を決して怠ってなどいない。この方々達は油断や手抜きと言う言葉に決して縁がないですね。流石です。


「風華さん、油断しすぎです」


 美亜さんが突然私に語り掛けた。


「えぇ!」


「実季さん、どうやら身に覚えがないみたいだから、彼女に説明してあげて」


 美亜さんが実季さんの方を振り向いた。実季さんがさもすまなさそうな顔をして私を見る。どう言う事? もしかして私の後をつけていました!?


「はい、美亜さん。お姉さま、申し訳ありません。安全の為に後をつけさせてもらいました」


 やっぱりですか……。実季さんは私の弟子じゃなくて私の保護者ですね。


「八百屋で買い物をされた後で、お姉さまの後を男が一人この宿屋迄つけて来ました。その後どうやら八百屋に戻ったようです」


「えぇ!」


「風華さん、声が大きすぎです」


 世恋さんにたしなめられてしまった。


「すいません。でもどうして私の後をつけて来たんです?」


 思わず自分の姿を確認してみる。今は愛佳さんの髪を手にしていないので、どこからどう見ても向かいの肉屋の娘だ。われながら完璧だと思ってしまう。下を見た時に胸が邪魔でよく見えないのは少しうらやましい。


「胸だと思います」


「えぇ!」


「風華さん!」


「すいません」


 また美亜さんに怒られてしまった。


「八百屋で林檎を選ばれる時に、籠を借りられたと思うのですが、その籠が胸に食い込んで半分消えてしまってました」


 再度視線を下にやって胸を見る。そうだった。肉屋の娘が大きかったのは顔や太ももだけじゃない。胸も私より格段に大きかった。本当にそこにあるわけじゃないし、そんな胸など持ったことないから完璧に忘れていた。何たる不覚!関門近くの宿屋で歌月さんに胸倉掴まれて説教された時の事を思い出す。


「それで気が付かれたと思います。それにお姉さまは声が素敵で、しかもよく通りますから、それで気付かれたのかもしれません」


 最後の理由は私に対する気遣いですね。でも私の声? ここに知り合いは居ないはずですけど? でも考えるよりも先にすることがありますね。


「ごめんなさい!」


 皆に下げられるだけ頭を下げる。町娘姿でいい気になっていました。もうなんだろう私は……どうしていつも同じような失敗を繰り返してしまうのだろう。本当に単なる足手纏いだ。


「実季さん、男の姿は?」


 碧真さんが実季さんに聞いた。


「若い男で、顔に真新しく広い火傷がありました。相当に痛みがあるような歩き方でしたので、火傷は顔だけではないと思います」


「宿や外の動きは?」


「今のところ何もありませんね」


 世恋さんが碧真さんに両手を上げて見せた。


「つまり、こちらをどこかに通報したらしい気配はないという事ですね。という事は、その男は間違いなく……」


 碧真さんが実季さんに問いかけた。


「はい、碧真さん。間道の例の村の関係者だと思います」


「向こうも隠れている身ということですね。ですがあれだけの事があったのだから、こちらを見す見す見逃すとは思えない。だから相当な怪我を押してでもこちらの宿を確かめに来たというところでしょうね」


「はい、そうだと思います」


 碧真さんの言葉に実季さんが答えた。


「どうします? もう宵に近い時間ですが、今すぐここを離れますか?」


 世恋さんが碧真さんに問い掛けた。


「どうでしょう? 土地勘のある者達相手に、夜に狙撃を喰らう可能性があるのは避けた方が良いかと思います」


「そうですね」


 世恋さんが碧真さんに同意した。


「向こうが一番厄介な正式な手続きで来なかったのは僥倖でしたね。街道筋で人目もありますから、日中どこかで、しかも大人数で襲ってくるのは向こうも無理があると思います。ここで夜襲を喰らう可能性もありますが、ここも本街道の宿場町ですから、流石にそれも目立ち過ぎです。間道で十分に教訓を与えてますので、少人数で襲ってくることもないと思います」


「明朝、堂々と出立ですね」


 碧真さんが美亜さんに頷いて見せた。


「はい、美亜さん。ですが危険は排除すべきでしょうね。気が変わって通報などされたら厄介です」


「風華さん、八百屋からの使いが来たらその男の顔の確認をします。少し話などして様子を探ってください。その間にその一味の者が周囲にいないか警戒します。居たらおそらくその男と風華さんの方を見ているはずです」


「碧真さん、了解です」


 今度は絶対にやらかさないようにしないといけません。


「実季さん……。実季さん?」


 実季さんが碧真さんからの問いかけに答えずに、上の空の表情で外を見ている。


「あっ、はい」


 どうやらやっと気が付いたらしく、慌てて碧真さんの方をふり返った。


「何か外に気になる物でも?」


「いいえ、すいません。八百屋に居た男の特徴を思い出そうとして、少し考え事をしていました」


 どうしたんだろう? 話の途中で気をそらすなんて、実季さんにしてはとても珍しいことだ。もしかして私のだめだめなところが、彼女にも伝染っていたりしていないだろうか? 少し心配になってしまう。


「明日、実季さんには力を使ってもらいつつ斥候をお願いします。敵の数と位置を抑えてください。いざという時には前方背後からの狙撃手をお願いすることになります。なので明日は短弓を持っていってください。短弓も使える口ですよね?」


「はい、碧真さん。了解です。短弓も人並みには使えるつもりです」


 流石は実季さん。私の超優秀な弟子です。


「世恋さん、屋敷から持ち出したマ石を彼女に山ほど使ってもらう事になりますが、よろしいですか?」


「もちろんですよ。そのために持ち出したものですから」


「助かります。後ろの警戒は美亜さんにお願いします。背後からの敵に対する打ち手としての準備も合わせてお願いします。それと世恋さんにも短弓で要撃手をお願いします。指示は私の方で出します。風華さんも弩弓で私と一緒に接近した敵の排除です」


「碧真さん。了解です」


 美亜さんも手信号で『了解』と碧真さんに返す。


「一応は不寝番は立てますが、今日はゆっくりと休んでください。明日は忙しい一日になりそうです。それにここにも冬の嵐が近づいているようですね。その前に邪魔なものは排除して、なるべく距離を稼いでしまいましょう」


 そう言うと、碧真さんが下ろし窓を指さした。私が出かけていた時はあんなに天気がよかったというのに、今は外を吹く風にがたがたと音を立てている。


 碧真さんの言う通り、私達は城砦に戻る前に色々な嵐という奴に立ち向かわないといけないらしい。


* * *


「ダン兄、それは本当なんだな。やばいところに話をもっていって、違いましたなんてなったら大変な事になるんだぜ」


 野菜の配達から戻ってきた三男坊がこちらを疑わしそうに見た。こいつにも多少の用心深さという奴はあるらしい。そうで無ければもう牢獄につながれていてもおかしくない奴だ。だがここでこいつに逃げられるわけにはいかない。


「もちろんだ。あれは明らかに訳ありで逃げているやつらだ。捕まえれば報奨金だけじゃない、どこかの街の警備頭ぐらいにはすぐになれるはずだ。それに何であんな他人に化けているかは分からないが、元は今まででも五指、いや、三指には十分に入る上玉だった。引き渡す前に存分に楽しめるぞ」


 こいつの欲深さを刺激する言葉を並べてやると、明らかに諦めるのはもったいないという顔つきに代わってきた。


「本当に美人が化けているのか? 声は良かったけど、見た目はただの太めの普通の女だったよ。それにそれだけやばい奴らという事だよな」


 まだすこし疑わしそうな、小物にありがちなおっかなびっくりな顔をしている。


「ロン、頭を使え。何もお前が直接やりあう必要はない。事が終わった後に、他の奴らに手柄が横取りされないように準備だけしておけばいい。それにお前の知り合いに、あの宿屋あたりに顔が利く奴だっているだろう。一服もればいいんだ」


 こちらに向かって、三男坊が田舎者は何も分かっちゃいないとでも言うように、かぶりを振って見せた。そしてそのにやけた顔を突き出してくる。こいつは自分の方が俺より上のつもりでいるらしい。腹が立つが、今こいつに手を引かれては困る。


「叔父さんとこの間道ならいざ知らず、この表街道ではそんなことは無理だよ。せいぜい動きを教えてもらうぐらいだな。街中じゃさすがに手は出せない。街から離れてからだ」


 奴の顔に生来の欲深い表情が浮かんでいる。


「じゃ――」


「うまくいけばこんな街でくすぶらないで済むからな」


 奴はこちらから顔を上げると、誰に言うとでもなくぽつりと呟いた。きっと王都に行った上の二人の兄に向かって語ったのだろう。うちの弟もそうだったが、末っ子の上への対抗心と言うのは、生まれた時から心の奥底に消えることなく永遠に刻まれるものらしい。


「お前ならどこかでうちの親父の後釜を継げるぞ。段取りは俺がよく分かっている」


「そいつはいい話だな。今度は俺が兄貴たちに対して大きな顔ができる」


 きっと弟からあることないこと色々と聞いていたのだろう。三男坊はそう告げるとニヤリと笑って見せた。


「その意気だ。まずはお前の知り合いへのつなぎを頼む」


 三男坊は頷くと、八百屋の三男坊にしては少しばかりこじゃれた大外套を手に、黄昏時が近づく外へと飛び出していった。


* * *


「お嬢、この先触れは本物かい?」


 月貞は執務室の脇の作業机で、書類を手にしていた冥闇卿に先触れが送ってきた文を差し出した。


「先触れについては私なんかより、あなたの方がよほど詳しいと思いますけどね。心配なら貴方の左腕にでも聞いてみたらいかがですか?」


 冥闇卿は書類に目を落としたまま、月貞に向かって淡々と答えた。


「もちろん聞いたさ。こんなの裏を取らずに、そのまま鵜呑みにするなんてのは愚かだよ。正直なところ、そんな事が起きるとは思ってもみなかった。僕はもしかして夢を見ているんだろうか?」


 月貞の言葉に、冥闇卿は書類を横の書類立ての一つに差し込むと、月貞の方に視線を向けた。


「現実ですよ。本来これは月令様が貴方や舞歌姉さんと一緒に成したはずの事です。あの者達はそれを月令様から譲られただけですよ」


「譲られたか……そうか、そういう考え方もあるか……」


 冥闇卿の言葉に、月貞がどこか遠いところを見つめた。


「僕らの誓いは果たされた。確かに果された。だが私の願いはこれでお終いかもしれないな」


 そう言うと頭をふってみせた。その顔にはいつものとってつけた様な軽薄な表情はどこにもない。


「あなたにとってどちらに賭けていたのか、どちらが重要だったのかは私には分かりません。それはあなたが決めるべきことですね」


 月貞は執務机から立ち上がると、長椅子の後ろにある部屋に備え付けの棚から、一本の瓶と瑠璃の杯を二つ取り出した。


「御影、悪いが一杯僕に付き合ってくれないか? そして昔のように僕を抱きしめて欲しい。もう僕には君しか残っていないのだよ」


 冥闇卿は月貞に向かってため息を一つつくと、その問いかけに答えた。


「その一杯にはお付き合いしましょう。私にとっても月令様に報告すべきことが一つ増えたのは確かのようですからね。もう一つの希望はあなたが自分の力を使えばいいだけの話です」


 月貞は冥闇卿の言葉に、両手に持った瓶と杯を上げて見せた。


「分かっているだろう? 今はそれを使いたい気分ではないのだよ」


「あなたは月令様と違って、本当にわがままな人ですね」


「そうだな。あれももう少し僕に似ていれば……。今となってはどんな言葉にも意味はないか」


 月貞はそう告げると、御影の作業机の上に瓶と杯を置いた。そして背後からその体を抱きしめると、懐かしむようにその黒髪の匂いをかいだ。

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