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存在

「町娘姿で張り切っているみたいだから、あまり無碍にするのも良くないわね」


 美亜が下し窓から出かけていく風華の後姿を見てそう呟いた。


「実季、こっそりついていってあげなさい」


 そして実季の方を振り向いてクスリと笑って見せた。


 実季の目には美亜の姿は男性の姿と二重に移っているのだが、その仕草と肩の先まで伸びた深赤色の髪のせいか、以前よりも女性らしく見える。研修所の教官としての姿しか知らなかった実季は、美亜のこの姿の方が素の姿なのだろうと思った。


「そうですね。それがいいですね」


 まるで子供に戻ったような外見になっている世恋も、同じように苦笑いしつつ美亜に同意した。


 それを見た実季は、自分も同じく自然に苦笑いを浮かべているのに気がついた。それぞれにつらい思いをしているはずなのだが、あの人といるとみんな自然に笑みが漏れてしまう。お姉さまのそばにいるだけで、色々な事が全て些細なことに思えてくる。


 何て不思議な人なのだろう。あの人の笑顔は、そして時たま見せるすねた顔も、私達みんなにとっての宝だ。だからそれを傷つけようとする輩が近づくなんてことはあってはならない。


「はい、美亜さん、世恋さん」


 実季は二人に頷いた。


「ちゃんと私が見張らせて頂きます」


* * *


 実季の視線の先では、風華が屋根からの雪解け水の水たまりを片足ずつ飛び越えながら、この街の目抜き通りから一本入った道を歩いていくのが見えた。そしてあまり流行っているようには見えない八百屋の店先の前まで来ると、そこで立ち止まった。


「ごめんください!」


 どうやら一番かさばる野菜類を最後に買って戻るつもりらしい。実季は店から数軒手前の材木屋の前に立て掛けられた、材木の間に身を入れてその姿を覗き見た。風華は実季の存在には全く気が付いていない。


 宿屋を出た後、風華はこのあまり大きいとは言えない宿場町の、穀物屋やら乾物屋に雑貨屋を既に回わり終えていた。穀物屋で頼んだものは宿まで送ってもらうようにお願いした様だが、雑貨屋や乾物屋で買ったものは手にした麻布の袋に入れている。その姿は風華が化けている肉屋の娘と風華が呼ぶ姿と相まって、町娘そのものに見えた。


 風華は買い物自体をとても楽しんでいるらしく、行く先々の店で、そこの主やら女将とあのよく通る声で談笑し、女将の髪形やら店の品ぞろえやらをほめては、少し割り引いてもらったり、おまけをもらったりしていた。


 やはり一人で店を切り盛りしていただけの事はある。こういうところでは一見客は吹っ掛けられるのが当たり前なのだ。だけど実季から見る限り、風華は碧真から言われた目立つな、という意味を本当に理解できている様には思えない。


「いらっしゃい。何をお探しですか?」


 風華の呼びかけに、若い男がやる気がなさそうな表情で現れた。実季はその姿を見た瞬間に、この男が貴族の子弟、それも四男坊、五男坊とかで出来が悪い連中と同じ類の人間だと分かった。自分が人間的にも立場的にも大したことがないのに、虚勢だけは十分で、世界が自分を中心に回っていると思っている奴らだ。思わず上着の背に隠した短刀に手を回しそうになる。


「根菜類の日持ちするものと、それと果物はありますか?」


「今日は、ここにあるものだけですね……」


 風華は男の顔などろくに見ないで、店先に並んでいる野菜やら芋やらを真剣に見ている。やはり野菜の事になると夢中になる様だ。そして何やら納得できないような悲しそうな表情をした。


「そうですか? この大根辺りは結構日にちたってますよね。葉物とかひなたにおいたらすぐしなびますよ」


 お姉さまが非難するような口調で男に語り掛けた。


「気に入らないのなら……」


 男は風華の言葉に面食らったのか、若い女性だと思って舐めていたのか、ちょっと引き気味だ。


「そうですね。すこしまけてもらえれば買います。でもこのままだと明日まで持ちませんよ。それとそちらの林檎をみさせてもらってもいいですか?」


「ああ……」


 風華はしょうがないという表情をすると、顔を上げて奥につんであった林檎の棚に手をのばした。


「色はこっちの方が濃くてよさそうかな。重さはこっちの方が重いかな?」


 林檎を選ぶ風華はとても楽しげだ。


「そこの籠をとってもらってもいいですか?」


「ああ、どうぞ」


 男は風華に籠を渡すと、奥に引っ込んでしまった。実季は軽く安堵のため息をもらす。あの男が居ても何の役にも立たないだろうし、近くにいるだけ目障りだ。実季の視線の先、風華は籠を胸元に抱えて、一つ一つ吟味するように林檎を選んでいる。


「あっ!」


 それを見た実季の口から思わず声が漏れた。林檎を選ぶのに真剣になるあまり、胸元の大きさが全然違うのに気が付いていない。あれほど美亜教官に気をつけろと言われたのに……。だが男は奥に引っ込んだままで出てくる気配はない。他に客もいない。気が付かれずに済めば大丈夫だろう。もし男が気がついたら……あの男に遠くに出かけて行ってもらうだけだ。実季は風華の周囲に意識を戻そうとした。


 チュン!


 その時だった。不意に茶色い羽根の小鳥が、実季の目の前の角材の上に止まった。


『え!!』


 実季の口から今度は叫び声が漏れそうになった。先触れだ。先触れは主人の後を追って移動するが、行先は訓練して覚えこませた先にしか行けない。一部の特別な例外を除いて、何かを追いかけたり行先を自由に変えたりは出来ないはずだ。


『こ、これは……』


 先触れの羽にはっきりとした黒い筋がある。これはただの先触れではない。「黒い使い」だ。王家や一部の有力貴族などの権力者達が使う、ある特殊な力を持つマナ使いによって使役される先触れ。


 実季が初めてそれを見たのは、屋敷に奉公するようになってすぐ、領主の部屋の掃除を言い付かった時だった。それは埃を出すために開けた窓から不意に飛び込んでくると、領主の執務机の上に止まって、 チュンと小さく一声だけ鳴いた。


 実季はすでに先触れには慣れていたが、見たことがない先触れだった。先触れと言うものは先触れ用の止まり木のところで、こちらがそれが足につけた文をとってやるまで、うるさく外で鳴いているものだとばかり思っていた。だがそれは何かが違った。


 だからそれを見たときには、ちょっとおかしな訓練不足の先触れがいたものだとぐらいにしか思わなかった。だが領主はそれを見た瞬間、窓を閉めて直ちに部屋を出て行くように慌てて実季に告げた。


 あまりの慌てぶりに、家に帰った後に実季は侍従長の父にその先触れの事を話した。父親は実季の話を聞くと、その事を誰にも言わないように釘を刺した後で、それが特別な先触れであり、とても大事な知らせを送ってくるものだと告げた。


 それは伝えるべき相手を探し出し、こちらが文を受け取らなくてもたどり着いたことが分かる、拒否できない先触れであり、それが来たのを見たら、何も言わずにすぐにその場から離れるべきだとも告げた。


 その「黒い使い」が実季の目の前にいる。そして実季の顔をじっと見ていた。今の実季の見かけは実季自身ではないはずだが、この先触れの目には幻視の力も何も通用しないらしい。その体をそっと手の中に抱いて、足についている文をほどく。その瞬間、先触れは素早く実季の手の中から飛び出すと、建物の屋根の間の狭い空から瞬く間にどこかへと飛び去ってしまった。


 実季はまだ林檎を選んでいる風華を一目確認した後、その文を手でこするように広げた。そこには小さな文字で3つの短い文章だけが書かれている。


「連絡する。指示を待て。お前の家族は安全だ」


 指の先で文が震えている。いや、震えているのは実季の手の方だ。この指示は誰からの指示なのだろうか。円家? いや円家ではない。あの家には「黒い使い」を使うような力なんて到底ない。もっと上からの指示だ。それに自分はお姉さまと一緒に死んだことになっているはずではないのか?


『いや違う』


 死体が出ていない以上は行方不明扱いだ。それに桃子さんに指示を出したところからはもうばれているに違いない。私とお姉さまが行方不明だから、その生死の確認も含めて私のところに送られてきたのか。城砦に送られる前に全員の血が取られた。何かの誓約の儀式の一部なのかと思っていたが違った様だ。あれはおそらくこの「黒の使い」を使う時の為に取られたに違いない。


「すいません!これを宿屋まで運んでもらえませんでしょうか?」


 実季の耳に風華が店のものを呼んでいる声が聞こえた。どうやらばれずに済んだらしい。店の奥からさっきの若い男が出てきて、さもめんどくさそうに風華の依頼を聞いている。だがそのやり取りは実季の耳にはほとんど入ってこない。


 どうしてなの!


 何で私は自分の望み通りに生きることができないの!!


 私は、私は、お姉さまの剣でありたいだけなのに!!!


 それだけが私の望みなのに!!!!


 思わず強くかんでしまった下唇から血の味がする。そこから流れた一滴の血が足元の水たまりへと落ちて、小さな水紋を作った。そこには実季がよく知った、そして懐かしい妹の顔がおぼろげに映っている。どうしてこの姿を選んでしまったのだろう。この姿は否応なしに「彩」に居る家族を思い出させてしまう。これならあの気が狂った比沙美にでもなった方がよほど良かった。


 自分がここに居ることが、いや存在していること自体が、お姉さまにとっても、家族にとっても悪い結果をもたらすのだろうか? まるで私はおとぎ話の中の怨霊のようだ。実季の心の中に嵐の様に様々な後悔の念が吹き荒れる。


 私はこの世に居てはいけない人間なんだろうか?


 だとしたら、私はどうしてこの世に生まれて来たんだろう?


「ふん、ふふ、ふう――ん、ふふ――」


 風華のちょっと調子外れた鼻歌が聞こえてくる。いつの間にか店を離れてこちらに歩いてきたらしい。角材の裏に身を隠す。風華は買い物を無事に終えてご機嫌だ。


「ふふ、ふ――ん――」


 歌声が遠ざかっていく。実季の胸に鋭い痛みが走った。家族の為にこの人を裏切れと言われたら? 今は何も考えられない。今することは、お姉さまより前に宿に戻って笑顔で出迎えることだ。


「くそ!」


 角材の裏から小さな呪詛の言葉が聞こえた。片足を不自由に動かしながら、顔に大きな火傷がある男が必死に前へと歩いていくのが見える。その足の運びは明らかに前を行くものを追っている動きだ。そして前を歩いているのは一人しかいない。


 実季は乱れる心を抑え込んで、短刀へと手を回した。私は私が大事にしたいと思っているすべての人にとって、呪われた存在なのかもしれない。だけど私が世界でもっとも敬愛する人の為に役に立たなくてはならない。


 あの人の剣として!

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