定め
「帆洲、ここで死んだらお終いよ。この子を信じて後先なしの全力で行きなさい」
有珠さんが帆洲さんが左手に持つ百夜ちゃんのマ石を指さしながら声を掛けた。そうだ、僕は何を運などのせいにして愚痴などついていたのだろう。
「姉さん、了解です。最高の触媒もありますしね。僕の全力という奴を見せてやりますよ」
帆洲さんが鱗の陰で有珠さんに答えた。やはりこの人達も城砦の二つ名持ちだ。一流の冒険者だ。決して諦めたりはしない。だから前の限界線超えでも、あれだけ酷い状況にも関わらず、城砦まで戻って来れたのだ。そして再びここに戻って来ている。
フ――――――――!
奴の鼻息らしき白い蒸気が通路先を通り抜けていく。だがもう恐れはしない。ふーちゃんの為なら僕には恐れるものなど何もない。僕が恐れることは唯一つ、ふーちゃんの笑顔がこの世界から失われることだけだ。
『用意』、『耳栓』
無限さんの手信号に耳栓をつけて覆いを落とす。
グォォォオオオオオォォォォオオォォ!
奴はすぐ近くまで来ている。覆い落とした耳栓をしていても、はっきりと分かるとてつもない轟音が響いた。こんなのを直接に聞いていたら、耳がやられてしまっていただろう。
ギュエェェェェェェ――
その咆哮に重なるように、帳達の鳴き声も微かに響いてくる。帳達も引くつもりはないらしい。
ゴオオオオォォォォオオオォォオオオォォォオオォ!
地響きのような振動が体に伝わったかと思ったら、目の前を赤い線が横切った。その赤い線から何かがこちらに向かってくるのが分かる。熱風だ。それは帆洲さんの持つ鱗の前にある力にぶつかると、竜巻の様な旋風となり、辺りにあった子牛ぐらいの岩達を巻き上げて、通路へとはじき飛ばした。だがこちらには何も被害はない。帆洲さんの力が熱風に勝ったのだ。
だが目の前に現れた黒い何かが、その弾け飛んだ岩を、まるで小石の様に吹き飛ばした。長く伸びた顎が見えた。その先頭にある鼻からは炎を吐いた名残か、白煙のような蒸気が上がっている。
顎に続いて頭が見えた。瞳孔のない漆黒の目が辺りを睥睨している。そして頭の後ろには先端に棘がついた縁飾りが長く伸びているのが見えた。
頭に続いて、細かい鱗に覆われた長い首と胴が現れる。その背にはまるで鋭い幅広の鉾のような背びれが並んでいた。そして鋭い鉤爪が付いた前足と、折りたたまれた漆黒の鎧のような羽が続き、最後は長くしなやかな尻尾が目の前を通り過ぎていく。
それは結社長の私邸の居間に飾られていた、大きな写生画と同じ姿ではあったが、全く別物でもあった。
『何て神々しい姿なんだ』
思わず心のなかで呟いた。それは揺るぎない圧倒的な力を、一点の曇りもなく一つの種に集約した姿だった。壁の国がこれを神と崇めるのも理解できる。恐怖すら忘れて、何かに魅入られたかのように見続けた。
入り口に陣取ったらしい帳達に気を取られているのだろうか、それとも蜥蜴もどきのマ石のおかげか、奴はこちらを一顧だにすることなく、洞窟の出口へと向かっていった。
「ふ――」
思わず口から息が漏れる。それは奴が僕達に気が付かないで行ってしまったことによる安堵感なのか、それともあの姿に魅入られた呪縛が解けた為なのかは自分でもよく分からない。
ドン、ドン、ドン!
ギュエェェ、ギュエェェェェ――
奴が通路を進む振動が体を揺らし、入り口の方からは耳栓を通して、帳達の鳴き声が響き続けている。
ブン、ズドン!
それに反応して奴が尾をふったのか、何かが岩の壁にぶつかる大音響とともに、天井から大小の石が落ちてきた。盾を斜めに構えた帆洲さんがそれを鱗で弾き飛ばす。帆洲さんの力が無ければ、たったこれだけでも僕ら人は頭を勝ち割られて即死だ。
グォォオオオォォオオォォ!
続いて再び奴の咆哮が上がった。それはこの洞窟の外に向かって放たれていて、先ほどのような雷が連続して落ちるような轟音と振動ではなくなっている。無限さんが角灯の覆いを外してそれで辺りを照らした。
『確認』、『安全』
無限さんからの手信号に辺りを見回すと、上や壁から落ちて来たらしい大小の礫が散乱している。通路の上も同じような状態だった。とりあえずみんな怪我は無かったらしい。一番僕がボロボロと言うところか……。
グォォオオォォォォ!
奴の咆哮は続いているが、その音は少しずつ小さくなっている。どうやら奴はこの洞窟の出口に近いところまで辿り着いたらしい。そこで岩を弾き飛ばしているらしい音が響いて来た。
「おい、奴は外に出ようとしているんだよな?」
耳栓を外すや否や、無限さんが僕らに問い掛けた。
「そうだと思います。外の帳達を根絶やしにするつもりでしょう」
無限さんの問いに帆洲さんが答えた。
「帳共などどうでもいい。あれは外に出たら何をするつもりだと思う」
そう告げた無限さんが僕らを見回した。
「さあ、あれの考えなど人には到底分からないと思いますが……」
「あれは城砦を見つけるだろうか? あれが城砦を見つけたら何をするだろうか?」
無限さんはより具体的に僕らに問い掛けた。
「それは……距離がありますし、奴が東に向かうとも限りませんから」
帆洲さんは言い淀んだが、全員が無限さんと同じことを考えていた。いつの時代でも奴は滅びの使者だ。
「すぐに見つかるでしょうな。城砦からここまでは我々人の足だから遠いのです。あの羽を見たでしょう? あれが空に上って旋回の一つもすればすぐに見つかると思います。それに旧城砦やら関門やら、城砦よりもっと目立つ物もありますからね」
アルさんが無限さんに向かって、皆が考えている事をはっきりと告げた。
「城砦を見つけたら、奴はそれを襲うだろうか? それとも今の俺達みたいに、興味もなく見過ごすだろうか?」
もしあれが城砦を襲ったら、神もどきなんてものじゃない。ひとたまりもなく焼き尽くされてしまうだろう。本城砦のように残骸が残るかどうかすら怪しいものだ。
「あれは間違いなくやるぞ」
有珠さんの腕に抱かれていた百夜ちゃんがその問いに答えた。
「我には分かる。あれは相当に怒っている。まるで切れた時の赤娘だ。あのちっこい神もどきに苗床にされていたのだな。我には分からぬはずだ。白男がそれを全部焼き払ったので目覚めた。おそらく苗床にされていた事自体が、あれにとってはとても許しがたいことなのだろう。このあたりにいるもの全てを焼き払うつもりだ」
「城砦もか?」
「当たり前だ。ここは奴の餌場だぞ」
百夜ちゃんが無限さんに向かって頷いて見せる。
「畜生!何とかしないと。せめてすぐに先触れを城砦に送らないといけない。関門の向こうに逃げるんだ」
百夜ちゃんが首を横に振って見せた。
「日が昇って沈むまでに行ける所全てが奴の餌場だ。壁の向こうに逃げても意味などない」
「もうお終いという事か!俺たちがその引き金を引いちまったという事か!?」
無限さんが僕らに両手を広げて見せた。その顔には行き場のない怒りと焦りが見える。
「私達がこの時この場所に居るのも、大人たちの犠牲も全ては偶然ではありません。定めなのです。私達は定めによって、英雄殿と共にあの『竜』に挑むべく、この地に遣わされたのです」
有珠さんが不意に僕らにそう告げた。
『挑む? あれに?』
「姉さん!」
その言葉に驚いたのは僕だけじゃ無かったらしい。帆洲さんが有珠さんに向かって声を上げた。
「間違いありません。私達は世界を救うために、あの『竜』を倒すためにここに居るのです」
だが有珠さんの顔には迷いなど無かった。明白な決意だけを宿している。
「最後は敗れたとは言え、黒の帝国は一度は『竜』に勝ちました」
「畜生!それしかないのか!?」
「呪符卿、数百のマナ使いでだよ。まあ尾鰭がついてるにしても、ここに居る両手にはるかに満たない人数よりは多かったでしょうね」
アルさんが何かを制するように僕らに向かって声を上げた。アルさんの言う通りだが、あれをこのまま見過ごす事など出来るのだろうか? 出来るわけがない。奴の封印らしきものを解いて、外へ行かせてしまったのは僕らの責任だ。
「アルさん、それが有珠さんの言う定めかどうかは知りませんが、あれを城砦に行かせるわけにはいきません。そこにはふーちゃん達だっているかもしれないんです」
「白蓮君、君の大事な赤毛殿はそこには居ないと思うな。大事な切り札だからね。居るならもっと遠くだ。それに人の力であれに勝てると思うのかい? 正直なところ、私は無理だと思う」
そう告げると、アルさんは僕に向かって頭を振って見せた。
「それに君は私と同じ種類の人間だと思っていたのだがね。君が冒険者をしているのは手段であって、目的ではないだろう。君も私と同じで誰かを守るために冒険者をやっているのではないのかな?」
流石だ。この人は僕の全てを見抜いている。でもだからこそなんです。
「ええ、僕はふーちゃんの為に冒険者をしています。でもふーちゃんがここに居れば、間違いなく短刀一本であれに突撃します。ふーちゃんがここに居ない以上、僕が代わりにやるしかないようです。それにここでやらなかったら、ふーちゃんは僕を決して許してはくれないでしょう。それでは結局彼女を守ることはできません」
アルさんに向かって両手を上げて見せる。
「白蓮君、それは屁理屈という物だよ」
駄目ですかね? じゃ、泣き落としで行きます。
「それにアルさん、城砦には皆が帰るべきアルさんの家があるんです。少なくともそこで歌月さんが僕らを、そして僕らが世恋さんや、ふーちゃん、実季さんを救い出すのを待っています」
泣き落としが効いたのだろうか? アルさんの表情がちょっとだけ変わったような気がする。
「おいアル、お前だってここに入った時に、冒険を楽しめと言ったじゃないか。『竜』に挑むなんてのは子供のおとぎ話にも出てくる、極上の冒険という奴じゃないのか?」
「屁理屈の極みですな」
さらに何かを言おうとした僕と無限さんに向かって、アルさんが右手を上げた。
「ですが自分の発言に責任を持てと言われれば、仕方ないと言うしかありませんな。ただし、ここに居る誰かの死体を見てから同じことが言えるかどうかは知りませんがね……」
やっとやる気になってくれましたか? でもふーちゃんがアルさんの事を嫌味男と言うのが、ちょっとだけ分かった気がしますよ。
「今倒せなかったら、もう奴は倒せんぞ」
百夜ちゃんが不意に僕らの会話に割り込んできた。
「百夜嬢、どういうことですか?」
アルさんが百夜ちゃんに問い掛けた。
「あれは神もどきに苗床にされていた上に、目覚めたばかりで力が十分に発揮できていない。それで怒りに任せてあれだけ力を使ったのだ、そうそうあの炎はもう吐けないはずだ」
つまり今しかないという事だ。百夜ちゃんの言葉に全員が頷いた。
「ならば決まりだな」
無限さんが大外套の上に積もった埃を振り払って立ち上がった。
「こちらにも危険はありますが、帳達が全滅する前に追いつかないと不意がつけないですね」
帆洲さんも鱗を手に立ち上がる。
「はい。定めに従い我々は神に挑むのです」
有珠さんも百夜ちゃんと一緒に立ち上がると、僕らに向かってそう告げた。
無限さんの言う通りだ。この人にはやはり「巫女」というあだ名がとてもお似合いだ。だけど僕はあなたのお告げに感謝する。
それは僕たちの背中を押してくれたのだ。




