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不運

 ズン、ズン……ズン!


 後ろからの音はもう明らかに崩落の音では無かった。巨大な何かがこちらに向かって歩いてきている音、いや振動だ。


 背後に感じる熱は火蜥蜴の大外套と上着を通してすら十二分に感じる事が出来る。無限さんを先頭に僕の前には百夜ちゃんを抱えたアルさんが、僕の横には有珠さんが、一番最後に背中に鱗を抱えた帆洲さんが走っている。


 どうやら熱気を感じるぐらいで済んでいるのは、一番後ろで帆洲さんが、力と鱗でそれを防いでいるかららしい。この洞窟の壁や床を濡らしていた水が蒸気に変わり、まるで雲の中のように視界が極端に落ちている。


 マ石の明かりを最大にしても、旋風卿の背中ぐらいしか分からない。その前を行く無限さんの姿は直接には見えなかった。無限さんが腰につけた位置確認用の角灯の光だけが頼りだ。


 先頭を行く無限さんはこの洞窟のわずかな登りを足元に感じながら、それを元に自分達が下りてきた洞窟の中の位置と方向を確認しているらしい。それに道中に抜け目なく一定距離ごとにつけていた、暗闇でも光る特殊塗料の目印も使っているようだ。


 流石は無限さんだ。探索組の組頭だ。無限さんが居なかったら、この蒸気の中で進む方向すら分からなくなるところだった。壁に手をついて移動なんてしていたら、すぐに追いつかれる。


 背後からの音と熱気はさらに高まっていき、まとわりつく水蒸気の熱さは、もう顔を焼きそうになるぐらいに熱い。油を十分に塗っていても、湿気を吸った大外套や革の上下がどんどんと重く感じられ、今では鉄の鎧でも着ているかのようにすら思える。だがこれを脱いだりしたら、それこそすぐに蒸し焼きだ。


「こっちだ!」


 先頭を行く無限さんがこちらを振り向いて、僕らに向かって右腕をぐるぐると振って見せた。僕らの左からは振動に合わせて、水の跳ねる音が響いている


「こっちは足元が悪いから気を付けろ。逃げる前に、頭を打って死んじまうぞ!」


 無限さんが僕らに声をかけた。この先は元々の洞窟の一部だったところで、足元には大小の白くツルツルとした岩が積み重なっている。足元を滑らせないようにしながらも、ともかく先に進んだ。


 グォォォオオオオオォォォォオオォォ!


 耳を圧する、いや、体をなぎ倒すかのような咆哮が響いてくる。


『入』、『水』


 腕と手で耳を抑えた無限さんが僕らに手信号を送ると、体を前に躍らせた。飛び込んだ先から水しぶきが上がる。地底湖だ。両耳を手で抑えながら、可能な限りの深呼吸を繰り返して水に飛び込んだ。飛び込んだ瞬間に、氷の中にでも閉じ込められたかのような冷たさが、体中に突き刺さった。


 水の中でも消えないマ石の明かりが、一筋の黄色い線となって辺りを照らす。その明かりが僕の横に居た有珠さんの姿を映した。その青い目には明らかな恐怖と動揺が見て取れる。水中で姿勢を保ちながら、「落ち着け」と手信号で送ると、有珠さんが僕に小さく頷いて見せた。


 グォォォオオオォォォォ!


 再びあの咆哮が上がった。その音は水中でも上に居た時と大して変わらない爆音で耳を打つ。有珠さんと二人で上を見上げると、赤い光が僕らの上を真昼のように照らしている。次の瞬間、表面の水が一気に泡立ち、起こった大きな波に、水中もめちゃくちゃにかき回された。


 有珠さんの口から盛大に泡が漏れた。まずい。今ので恐慌をきたしてしまったらしい。彼女の手が慌ただしく動く。だがまだ頭の上の水は泡立ったままだ。今、水上に出たら一瞬で大やけどだ。


 彼女の体を無理やり引き寄せ、その口に自分の口をつけて、僕の息をゆっくりと送り込む。どれだけ効果があるかは分からないが、今の僕に出来るのはこれぐらいしかない。抱き寄せた彼女の体から力が抜けたのが分かった。大丈夫だ。あと少し、あと少し我慢すれば浮上できる。


 無限さんがゆっくりと水面近くまで上がっていくのが見えた。手袋をしたまま、慎重に手を水面へと差し出す。そして次に手袋と上着の隙間の肌が少しだけ露出している部分まで水に上げた。一瞬手を水の中に戻したが、またゆっくりと水面の上へと差し出す。


 まだだろうか? こちらの息も限界に近い。帆洲さんが鱗を手に、無限さんの横へと上がっていく。その下ではアルさんが、あばれる百夜ちゃんを無理やり抑えていた。


『安全』


 帆洲さんが僕らに手信号を返した。有珠さんと二人で水を必死にかいて水面を目指す。帆洲さんが水面近くに鱗を上げて僕らをそこに手招きした。どうやら鱗の陰で息を吸うように即しているらしい。その八角形を目指して上がっていくが、革の重みと水の冷たさに、思うように体が動かない。


 それは隣の有珠さんも同じだ。だが近くまで上がってもたついていた僕らを、帆洲さんが手を差し出して水面へと引き上げてくれた。合わせてアルさんや百夜ちゃん、無限さんの頭も鱗の下に現れる。


「げほげほ、げほっ」


 百夜ちゃんが盛大に咳をする。普段でさえ顔色の良くない彼女の顔が真っ青になっている。あのいつも妙に赤く血の色をしている唇すら赤黒く見えた。大人の僕らでさえ凍えそうなのだ。彼女の小さな体ではとても体温を維持するのは無理だろう。


 だがまた炎を吐かれたら、ここに潜る以外に方法がない。もし炎の直撃を食らったら、潜っていたとしても茹で上がってしまうだけかもしれない。


「おい、このままだと嬢ちゃんは厳しいぞ。それに何度も潜っていられるかどうかも分からん。奥の方に別の出口とかは無いのか?」


 無限さんが指さした百夜ちゃんの体が、がくがくと震えているのが分かった。僕自身も歯の根が合わないくらいに体が震えている。


「それを探している暇はなさそうです。次もすぐに来ますよ」


「今度は冷えるまで息が持つか分からんぞ。今回もこの鱗で帆洲が熱をはじいてくれなかったらやばかった」


「百夜嬢、今回の相手は繋げないのですか?」


「むっ……む……むり……だ。こ……こい、つは……我ら……と同じだ……知……性がある。つ……ない……だら……むっこう……も分かる……ぞ」


「堅盾卿、入り口のところを直接その鱗とあなたの力で蓋はできませんか?」


「す……すいません……さっき……逃げるときに……ほとんど力を……使い果たしてしまいました。もうほとんど空っぽです」


「おい、次は潜って持たせるしかないという事か!」


 帆洲さんが震えながらも、無限さんに向かって頷いてみせた。だめだ、百夜ちゃんはもう持たない。


「有珠、予備のマ石は!?」


「め……めぼしい……のは……ほとんど……つかい……ました。あれ……を耐えられるだけ……の……」


「こ……こ……、これを……使え……」


 百夜ちゃんがあの黒いマ石を帆洲さんに差し出した。


「こ……ここ……は……濃いからな……たっぷりあ……」


 そこで百夜ちゃんの意識が途切れかかる。だめだ。水の中では彼女は持たない。マ石を受け取った帆洲さんが震えながらも驚いた顔で有珠さんの方を振り向いた。


「姉……姉さん!」


 マ石を見る有珠さんの目も大きく開かれる。マ石の専門家から見たらとんでもない奴なのだろう。


「水……から……出ましょう。後は……この……マ石と……鱗の……力に……かける……だけです」


* * *


 ズン、ズン、ズン……


 通路の奥から響いて来る音は途切れることなく続いている。そしてその音はどんどんと大きくなっていた。今では覆いを外した耳栓をしていないと、とても耐えられないぐらいだ。


 フ―――――!


 今では奴の吐く息すら聞こえてくる。地底湖から出た僕らは、帆洲さんの掲げる鱗の後ろで、一塊になって奴を待ち受けている。正しくは奴をやり過ごそうとしていた。


 百夜ちゃんの体は有珠さんが抱きしめて、保温用のマ石で温めている。僕らも彼女から受け取った保温用のマ石を上着の中に差し込んだが、濡れた肌着と革の上着が一緒では体温は思う様には上がらない。だがそれも一時的なものだ。水の中とはうって変わって、辺りは奴の放った炎の熱気で、今はむせるような暑さだ。


「こいつで耐えられないなら、また水の中に逃げ込むしかないな。その前に見つかっちまったら、それはそれでおしまいだ」


 鱗の向こう側を覗いていた無限さんがつぶやいた。百夜ちゃんを腕に抱いた有珠さんが、僕らに一つのマ石を差し出した。黒く光るそれは普通のマ石よりは一回り以上大きく、そして見たことがない形のものだった。


「白蓮さんが狩った『蜥蜴もどき』のマ石です。今のところこの世でただ一つしかないマ石ですが、この子は私達の姿を隠してくれると私は信じています」

 

「信じる?」


 無限さんが怪訝そうな顔をした。


「はい、何も試していませんから」


「姿を隠せるというのは?」


「内なるお告げ、女の勘ですよ。いざという時はこれを試してみます」


 そう言うと、有珠さんは無限さんに向かってにっこりとほほ笑んで見せた。その言葉に無限さんがさらに怪訝そうな顔をする。無限さん、その女の勘という奴を馬鹿にしてはだめですよ。男には無いもののようですが、単なるあてずっぽとは明らかに違うものです。


 無限さんが有珠さんに向かって両手を上げて見せた。


「まあ、少なくともあの世に行く前に、伝説の姿を拝むことはできるという事か? 水の中で茹でられてお終いよりは納得できる死に方だな」


「おしゃべりは終わりです。奴が来ます」


 フ――――――――!


 今度の奴が息を吐く音は、もう耳元で聞いているかのような大きさだった。奴が一歩足を進める度に響く振動は、まるで地震のように立て続けにこの洞窟を揺らし続けている。できればこちらに気が付かず、炎を吐かないで、そのまま前に行ってくれないだろうか?


 ギュエェェェェェェェ、ギュエェェェェェェ、ギュエェェ、ギュエェェェェェェェ、ギュエェェェェェェ、ギュエェェ!


 何だ。何なんだ!!突然とんでもない騒音で洞窟内が満たされた。


 帳だ!帳の鳴き声だ。それが洞窟の中に何重にも響き渡っている。帳らもここに何かが潜むことに気が付いてしまった。奴は絶対に帳達に向かって炎を吐く。


『何てことだ!』


 やっぱり僕には「不運卿」の二つ名こそがお似合いらしい。

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