幼生体
『危険』、『前』
慌てて無限さんに手信号を送り、背に背負った弩弓に手を伸ばす。僕だけじゃない、無限さんまでいて気が付かないなんて。もし角灯に影が出なかったら全く気が付かないところだった。
無限さんもすぐに気が付いたらしく、素早く身を翻して、壁からわずかに出ているでっぱりの影に身を潜めた。そして僕に向かって、反対側に位置を取るように手で指示を出してきた。
『了解』
こちらも反対側の壁にあった、わずかな岩の凹凸の影に身を潜める。後ろにも知らせないといけないが……。
ジュッ!
無限さんの手元に黄色い光がともったかと思ったら、松脂で固めた照明灯に火をつけてそれを前へと放り投げた。わずかばかりの白い煙と共に黄色い明るい光が前を照らす。流石は無限さんだ。これで後ろも何かあったとすぐに気が付く。それに暗がりの中で照明信号など面倒な手段で連絡しなくても、後ろからもそこに何があるのか、はっきりと見えるはずだ。
その黄色い光の先に何やら蠢くものがある。何だ? はっきりと分からないが……。
照明灯の照らす明かりの縁で、白い触手のようなものが地面を這っているのが見えた。さらに上にも同じような触手が蠢いている。そしてその触手がつながっている胴体は太い立ち枯れた白い木のように見えた。それは上下にある触手をうねうねと動かしながらこちらに近づいて来ている。
しかもそれは一体だけではなかった。最初に見えた一体目の後ろにも、少なくとも何体かが続いているのが見える。その先にどれだけいるかは暗くてよく分からない。先頭の一体は無限さんが投げた照明灯を前に、しばしそれに戸惑っているかのように見えた。
こいつは一体何なんだ? 無限さんなら何かわかるかもしれない。
『確認』、『前方』
無限さんに向かって手信号送った。
『不明』
無限さんがそう手信号をこちらに返すと、僕に向かって首を振って見せた。無限さんも分からないのか。でもこの形はどこかで見たような気がする。それもそんなに前の話じゃない。最近の話だ。待てよ……この形というか……動きって……。手信号なんかでやり取りしている場合ではない!
「無限さん、援護します。すぐに逃げてください!」
腰に下げた道具袋の一つから、照明灯をあるだけ出して火打ちで火をつける。火が付いた奴を片っ端から奴らの前に投げた。火を躊躇するところも間違いない。なりは二回り以上小さいが、こいつらはあの神もどきだ。いや神もどきの幼生体とでもいうべき奴らだ。
「白蓮、こいつらが何か……何だ……何が……俺を……」
まずい、監獄と同じだ。ふーちゃんは乗っ取られる前なら手で払えると言っていた。僕でも出来るだろうか? やるしかない。奴らは照明灯の火の前でまだ動きを止めている。岩のくぼみから飛び出て、無限さんのところに向かうと、両手でその体を叩いて手で払ってみた。
「無限さん、しっかりしてください。こんな奴らに乗っ取られてどうするんですか!」
無限さんの目にかすかに光が戻った。
「白蓮……、こいつは……こいつはやばいぞ……」
あの無限さんの体が震えている。その手を強引に引いて無限さんの体を岩陰から引き離すと、二人で後ろに下がった。
「『神もどき』の幼生体です。旋風卿たちに伝えてください。ともかくこいつらから離れないとだめです。近づいたら意識を乗っ取られます」
無限さんはかすかに僕にうなずいて見せると、体を引きずるように後ろに向かって駆けていった。
『くそ!』
大人の奴はあんなに喧しいやつだったのに、こいつはこんなにも静かに、しかもやたらとぐねぐねと動いているんだ? しかも一体だけじゃない。後ろに何体も続いている。いったいこの奥にどれだけいるんだろう。
先頭に居た奴が照明灯の黄色く燃え上がる炎を無視してこちらに向かい始めた。そしてその動きには明確な意図が感じられる。上の触手を出口の方に向かって一直線に伸ばしており、どうやら何かに向かって一斉に進もうとしているらしい。
シュ――――!」
照明灯が次々と奴らの触手によって弾き飛ばされて、床の水たまりに触れて蒸気を上げている。この程度の炎じゃ奴らにはかすり傷にもならないらしい。
奴らの目的は何なんだ? 外へ出ようとしているのか? それともこちらを襲うつもりなのだろうか? いや、違う。こいつらは何かを見つけたんだ。帳か? 帳が僕らに気が付いて、この洞窟の入り口まで入り込もうとしているのか? そんな気配はない。
『そうか! 百夜ちゃんだ!』
監獄でも神もどきは明らかに二人を狙っていた。ふーちゃんと百夜ちゃんだ。つまりこいつらの狙いは百夜ちゃんだ!
もうやつらの距離は10杖(10m)もない。ありがたいことに、相変わらずこいつらから僕は見えていないらしい。ならば僕がやることは湖畔の時と同じだ。こいつらが百夜ちゃんに手を出す前に僕が全部焼いてやる!
正面から一体ずつ焼いたのではとてもマ石が足りない。ともかくこの列が続く限り、列の間に入れて前後合わせてまとめて焼いてまわらないといけない。帳の時のように起動を有珠さんに頼るわけにもいかない。近づけば彼女が奴らに支配されてしまう。だから待ち伏せは使えない。僕が奥へと移動しながら適切な所にマ石を放りこんで行くしかない。
内衣嚢から止血布を取り出し、無限さんから受け取った水で濡らして口の周りを覆う。さらに大外套の上と上着の上からもかけまわした。
無限さんから預かった延焼弾を道具袋から慎重に取り出して、それを包む油紙をはがした。有珠さんの力で、この油紙から出してから10砂(10秒)でこいつは炎を出す。有珠さんが自分が動けなくなった時の事も考えて調整してくれたものだ。
準備を終えたときには最後の照明灯がやつらの触手によって脇へと弾き飛ばされた。目の前には突き出された白い豚の腸を思わせる触手が迫っている。それは何本もの白くて長い腕が、何かを欲してこちらに手を伸ばしているかのようにも見えた。
お前らが欲しいものはやらない。代わりにこいつをくれてやる。
右手に延焼弾を持ちつつ、目の前に迫る触手を避けて、先頭の奴の左手に回る。上部の触手が一方向を向いてくれているおかげで、問題なく横に回ることができた。やはりこいつらには僕が見えていないらしい。後ろの奴も前と同じ動きをして続いている。足元で蠢く奴らの触手を避けながら壁際を奥に向かって走りつつ、奴らの隙間にマ石を放り込んだ。
帳とやりあったときには、このマ石は上に向かって10杖近く炎を噴き上げていた。向きの問題はあるがこの狭さだどっちを向いても壁に当たって炎は前後に広がってくれる。後は奥へと向かって逃げるだけだ。
『急げ!』
有珠さんが火蜥蜴のマ石に呪符した延焼弾は強力だ。もっと早く進まないと、火蜥蜴の大外套と上下を着ていたとしても奴らと一緒に丸焼けになる。
シュウゥゥゥゥゥ――!
後ろからマ石が炎を上げる音がした。だが振り返っている余裕などない。それに振り返ったりしたら無防備な顔が熱にやられる。マ石の上げた炎の赤い光が僕の行く手を照らした。背中の火蜥蜴の皮を二重にした厚手の大外套を通しても、その熱が背中まで伝わってくる。
だが後ろに居た何体かの幼生体が盾になったのか、僕の体は丸焼けにならずに済んだらしい。背後からは何やらとてつもなく生臭い匂いと何かが焦げる匂いがしてきた。
次だ。次のマ石を取り出して油紙を取り払う。真ん中に置くとか贅沢なことはしてられない。横にいる幼生体と幼生体の間の隙間にそれを放り投げた。再び壁際を幼生体の列を避けて奥へと走る。
奴らの触手が体の中心から四方八方に伸びているおかげで、奴らの体で壁際を塞がれることはない。やつらの上の方から伸びている触手も、一直線に前を向いているおかげでこちらの移動の邪魔にはなっていない。
だがやつらの足元から根のように生えている触手は、壁際まで伸びていて、やつらの前進に合わせて前後に蠢いている。裏通りで縄で遊ぶ子供達の様に、触手の前後の動きに合わせて、その上を飛び越えて行かねばならない。こいつに足を取られたら、その時点でこいつらと一緒にまる焼けだ。
シュウゥゥゥゥゥ――!
頭につけた角灯が照らす足元のわずかな光だけを頼りに、奴らの触手を飛び越えて進む。再び背後でマ石が炎をあげる音が響いてきた。
『いけない』
緊張からか足の動きが鈍っていて、さっきより進めていない気がする。背中に刺すような痛みと共に熱気が触れた。後ろからの熱気のあまりの熱さに口を開けることができない。だが肺は息をもとめてあえいでいる。それでも数杖は息を止めて走った。大きく口を開けて息を吸いたいところだが、口に巻いた止血布のせいで、満足に息を吸うことが出来ない。
もう口元の止血布を取ってしまおうとそれに手をやったところで、目の前を赤と黒の塵のようなものが飛んでいるのに気が付いた。燃えた奴らの火の粉が、炎が生んだ風に舞っている。布をとったりしたら、この火の粉まで思いっきり吸い込んでしまう。それに幼生体の列はまだ続いていて、この先の惨状など全く気にすることなく、何かの本能に導かれるままに前に進もうとしている。
『まだだ!』
ここで喘いで止まっている訳にはいかない。水の残りを顔にかける。延焼弾はいくつあった? 熱で頭が何かを考えることを拒否している。延焼弾が尽きたら? その時は相打ち覚悟で旋風弾を使うしかない。そしてこの洞窟ごと奴らを封じ込める。もちろん僕の命もない。それに旋風卿たちも危険だ。
これは最後の手段だ。もう動きたくないと言っている体を無理やり動かして、横から再び奴らの列の間にマ石を放り込む。
『この列はあとどれだけ続くのだろうか?』
『延焼弾が尽きるのが先か?』
『僕の体力が尽きるのが先か?』
そんな戯言を考えていたせいだろうか、触手を飛び越えた先に、次の触手が既に移動して来ていたのを見逃してしまった。下ろしかけた前足はもうそれを避けることができない。なにやら柔らかいような、それでいて芯がとても硬い何かの上に僕の体重の全てが乗ろうとしている。僕の右足はそれを支えることができずに、触手の上を滑っていった。
ここで転んだりしたら、やつらの触手に捉えられる。左手が偶然掴んだ岩の出っ張りを支えに、左足を強引に前に持っていった。だが両足が地面の上で交差する形になり、前につんのめりそうになってしまう。慌てて壁に体を押し付けて体重をそこで支えるが、そこに次の触手が僕の足を払うかのように動いて来た。それを避けるために両足で上に向けて飛ぶ。
シュウゥゥゥゥゥ――!
背後でマ石が炎を上げようとする音が響いてきた。その音はこれまでのどのマ石の音よりも大きく聞こえる。
『まずい!』
この近さだと間違いなく僕も消し炭だ。だがあきらめるわけにはいかない。触手を避けられるかどうかは運に任せて、倒れそうになりながらもひたすら前へ駆けた。前方の幼生体が赤い光に照らされるのが見える。もうだめか?
その時だった。差し出した左手が石の縁のようなものにかかった。もしかしたらこの先に岩の隙間があるのかもしれない。そこに体を差し込めれば片面の火傷ぐらいで済むかもしれない。必死に左腕に力をこめ、体をその縁の背後へと回り込ませた。隙間があれば……。だが僕の体は縁の先で何もぶつかることなくその先へと進み。勢い余ってそのまま地面へと転がった。
『分かれ道でもあったのか?』
背後ではさっきまで僕が居た通路から、とてつもない熱風と赤い炎の舌が伸びて、周りを真っ赤に照らしている。僕が転がっているところは、入り口のところよりさらに天井が高く、横幅も広い、巨大な岩の広間とでもいうべき所だった。
炎の舌はその広間から通路に向かおうとしていた数体の神もどきの幼生体の体を焼いた。それらはあっという間に赤く燃えた炭の塊のようになり、火の粉をまき散らしながら崩れ去っていく。
辺りは幼生体の燃えかすと、焼け落ちた体から舞い上がる火の粉で赤黒く照らされている。その火の粉は僕の大外套の上へも降ってきた。微かに革が焦げる匂いがする。慌てて立ち上がって通路から離れ、奥の方へと逃げると、靴音が周りの岩に反響してけたたましい音を立てた。この火蜥蜴の革を二重にした大外套を羽織っていなかったら、僕の体は落ちてきた火の粉ですでに穴だらけだったに違いない。
火の粉を手で払いながら、頭につけたマ石の灯りを頼りに周りをみると、通路から奥行きは30杖ぐらいはありそうだ。天井も10杖以上は優にある巨大な空間だった。それにどうやらこの洞窟はここで行き止まりらしい。
さらによく見ると、真ん中に大きな岩のようなものがある。炭となった幼生体の列はこの岩の辺りから、洞窟の出口へと向かう通路へと進んでいったらしい。ここは奴らの群生地だったのだろうか?
生き残りがいるかもしれないと、マ石の明かりを最大にして辺りを照らしてみたが、真ん中にある特徴のある形をした岩以外は何も見当たらない。ここに居た幼生体は全て通路へと向かったらしい。
奴らにとって百夜ちゃんは、とてつもなくおいしそうに見えるのだろうか? 普段から山ほど食べているからか?
いやそれならふーちゃんを狙う理由はない。監獄では支配した人までも使って、明らかにあの二人を狙っていた。単なる味の好みという訳ではなさそうだ。
熱気にやられた喉がひりひりと痛む。大外套の内衣嚢から水筒を取り出すと、ありがたいことにまだ一口分だけだが水が残っていた。それを飲んだらもう立っていることすら辛くて、思わず尻から床にへたり込んでしまう。こんなにへばったのはいつ以来だろう。山さんと初めて森にまともに潜った時以来かもしれない。
幼生体の躯で赤々と光っていた光が徐々に暗くなっていき、辺りが闇に包まれていく。有珠さんのマ石のおかげで助かった。マ石ではなく、油なんかで燃やそうとしたら、煙に巻かれてこちらが先にやられてしまっていた。無限さんが有珠さんに向かって、僕らが死んだら一目散に逃げろと言っていたのが良く分かった。彼女の力は偉大だ。誰もその代わりなど務めることは出来ない。
「すごい人達ばかりだな」
思わず独り言が口から洩れた。その声が壁に反響して、まるで何人もの僕が同時に話しているかのように聞こえて来る。百夜ちゃんがここで好きな鼻歌を歌ったら大喜びだろう。
ともかく僕らは目的を果たした。ここに何がいるかを確認して、それを根絶やしにしてやった。これでこの森に居る全部かどうかは分からないが、ここに居た幼生体が大人になって、いつか城砦を襲うことはもうなくなった。当面の平和は保たれた訳だ。穿岩卿達、大人たちの犠牲も無駄にならずに済んだ。
ありがとうございます。皆さんのおかげで城砦は助かりました。心の中で遠くに行ってしまった大人達に礼を言う。
フ――――!
何やら否定の響きがする。本気でお礼をしたんだけどな。僕のお礼はそんなに信用できないですかね?
『違う!』
僕は何を勘違いしているんだ!何なんだ、この蒸気が漏れるような音は? どこから響いてきたんだ?
フ――――――!
真ん中の岩だ。
いや、これは岩なのか……まさか岩が息などするわけがない。これは岩なんかじゃない。
とてつもなく巨大な別の何かだ!




