影絵
「ふん、ふふ、ふう――――ん、ふふ――ん」
帆洲の耳には鼻歌らしきものがずっと響いている。それは旋風卿の背後から聞こえていた。歌っているのは旋風卿の背負子の上に乗っている百夜だ。
その鼻歌らしきものは天井と壁に反響して、意外と大きく響き渡っている上に、鼻歌だとしても拍子もずれていて、帆洲の神経をかなり苛立たせた。最初は黙らせようと思って、マ者を呼び寄せると忠告してみたのだが、この子には全くの馬耳東風だったらしい。
「そろそろ小休止にした方がいいですな」
背後から旋風卿が後衛の皆に声を掛けた。そして前を行く無限に向かって、頭につけた角灯の前で手を振ってこちらへの注意を促す。続いて角灯の前に手をかざして、
『待機』、『休憩』、『小』
と送ると、無限は『了解』と目印用の角灯の点滅で答えを返してきた。
「姉さん、大丈夫?」
帆洲は丁度座れそうな感じに突き出た岩の上に、油紙を引いて座っている姉に声をかけた。本人は大丈夫と言っているが、前回の潜りから完全に体力が戻ったとは到底思えない。
しかも帳とやりあってすぐにこの穴への潜りだ。姉がどんなに強力なマナ使いだとしても女性の体だ。かなり堪えているに違いない。それに入り口からかれこれ500杖(500m)ほどは進んだろうか? 何故か気温が上がってきて、汗がしたたり落ちるぐらいになっている。
「もちろんよ。まさに冒険ね。こんなに楽しいことはないわ。それにずっとすばらしい歌声も聞かせてもらったから、退屈もしなかったし」
「なぞなぞ女、我の歌の良さが分かるか? お前は思ったより『おもかろい』奴だな。そこのうろこ男とは大違いだ」
「うろこ男って?」
「そうだろ。うろこを持つのがお前の仕事ではないのか?」
「あのね、僕は守り手役でね……」
「そうですね。それが弟の仕事ですね」
「姉さん……」
有珠が口に手をやって小さく笑った。どうやらこの二人は似た者同士らしく気が合うらしい。百夜はひょいと旋風卿の背中から飛び降りると、帆洲の持つ鱗に手をやり、表面を覆っている火蜥蜴の皮をなでた。
「何やらいろいろと覆いをしていてよく分からんが、やっぱりこれからは懐かしい匂いがするな」
「懐かしいって? 話が本当なら300年前の代物だよ。君はもちろん、ここに居る誰も生まれていない。そもそも君はいくつなんだ?」
「いくつ?」
角灯の薄暗い光の中で百夜が首を捻って見せた。
「年齢だよ」
「年か? この前、誕生日会をしたから一歳だな」
「一歳!?」
「気が付いた時にはこの姿で森にいたからな。よく分からん。ともかく腹が減って困った。その辺に居た奴らを全部食ってやったぞ」
「全部食った!?」
「碌な奴はいなかったけどな。なにやら針のようなのをいっぱいつけたやつだった。ともかくそれを抜くのが面倒だった。鳥もどきとか、もっと食いやすい奴がいればよかった」
そう言うと、百夜はいかにも面倒くさそうな顔をしてみせた。もしかして針熊の事か? そもそもあれって食えるのか?
「森を出たら人に会って、そいつも食ってやろうと思ったら、核が餌に変えられると言ったので許してやった。餌がいっぱいありそうなところを目指して歩いて行ったら、街に入って赤娘と白男に会っただけだからな」
この子は迷子か何かだったのか? 帆洲は姉の有珠と顔を見合わせた。
「君はあの赤毛殿の妹だと思っていたのだけど違うのか?」
その言葉に、百夜がさも納得できないという表情を見せた。
「妹? 我がか!何で我があれの妹なのだ!あれが我の妹のようなものだ。赤娘は馬鹿だからな。いやあれは餌だ。あれは我の餌なのだ。それが勝手に我の元から居なくなるなど許せん!」
そう言うと、足で地面をトントンと叩いて見せた。その音が周りの岩に響いて、おどろおどろしい太鼓の音のようになって聞こえてくる。この子は慎重さとか注意深さとは全く無縁だな。ついでに恐れとかとも無縁らしい。帆洲は心の中でため息をついた。
「ふふふふふ」
背後から帆洲の耳に、有珠の珍しくはっきりと分かる笑い声が聞こえてきた。
「帆洲、貴方みたいね。私は貴方の姉だけど、あなたはいつも私に気を使ってばかりいる。貴方の方が年上のお兄さんみたいよ。そう言えば、ここにはお兄さんがもう一人いましたね」
有珠が不意に旋風鏡に問いかけた。
「私ですか?」
「はい。とてもかわいらしい妹さんが居ると聞いていますけど」
「かわいらしいかどうかは分かりませんが、妹は花嫁修業に出ていて、こちらには居ませんね」
有珠の問いかけに旋風卿がはっきりとしない回答をした。その答えに帆洲は首を捻った。もしかしたら姉の持って回った言い回しというのは、色々な人にうつるのだろうか?
「花嫁修業? あれがか? なるほど。赤娘も白男の首を落とそうとよくしているからな。確かに修行が必要だ」
そう言うと、百夜は納得したように旋風卿に頷いて見せた。帆洲は頭を振った。無限さんじゃないが、この人達との会話は難しすぎる。
* * *
白蓮の前方の天井に黒い影が映った。
『待機』、『休憩』、『小』
後ろの無限さんからの手信号だ。無限さんからの手信号は僕の頭の上の天井に、角灯の前にかざした手で大きな影絵として映し出されていた。ふーちゃんと二人で収穫祭の出し物で見た影絵劇のようだ。だがそれはかわいい兎や犬の絵ではなく、黄色い灯りの中でうごめき、僕に襲い掛かってくるマ者のようにすら見えた。
『了解』
後ろから見えているはずの、位置確認用の角灯を手で塞いだり開けたりして、無限さんに答えを返す。どうやら帳達は撒けたらしく、後ろからは水の滴る音しか聞こえない。この洞窟はところどころに元の洞窟の一部だったらしい、大きな岩で囲まれた空間があったが、基本的には一本道でただひたすら奥へとつながっている。
今のところ奥に向かって洞窟の横は7杖ぐらい、上は少し低く5~6杖ぐらいでずっと続いていた。入り口入ってすぐ程の広さはない。ただし奥への傾斜は確実に大きくなっている。奥に行くに従って少しずつ下に向かっているような感じだった。
それと奥に進むにしたがって気温が上がっているようだった。洞窟の中なので外に比べたら温かく感じるのは分かるのだが、いまでは温かいを通りすぎて暑さすら感じる。革の上下に大外套を着こんでいるせいもあるが、額からしたたり落ちた汗が首元を濡らして気持ちが悪い。
もしかしたら、この件については後ろも不審に思っているのかもしれない。それで小休止をとったのだろうか? ほどなくして後ろに人の気配がした。無限さんだ。
「白蓮、この暑さだが、なにか原因らしきものは先に見えるか?」
「いえ、通路自体は特に変わりはありません。傾斜は増しています。それと暑さもそうですが、湿気もひどくなってないですか? もう肌着はぐしょぐしょですよ。このまま外に出たら確実に凍死ですね」
「ああ、気持ち悪い事この上ないな。水の補充だ。地下水みたいなもんだから、その辺の水を飲んでも大丈夫だろうが、有珠の呪符したマ石で浄化を掛けてある。念には念という奴だな」
そう言うと、無限さんが金属の筒で出来た水筒を渡してくれた。こちらの水筒と交換する。
「ありがとうございます。助かりました。百夜ちゃんの方は何か言っていますか?」
「正直なところ、有珠とあの子が何言っているのかは俺にはさっぱりだが、一言で言えば『分からん』だそうだ」
「厄介ですね」
「ここで探知が使えないのはつれえところだな」
「無限さん、違いますよ。百夜はこの手についてははっきりと物を言います。あの子の答えは居るのに分からないです」
「あの子の探知にひっかからないような奴がいるという事か?」
無限さんが少し考えるような表情をしてこちらを見る。
「そうですね。以前旧街道でも同じような事がありました。『神もどき』らしき奴が隠れていたのですが、あの子はそれがはっきりとはつかめなかったらしく、『分からん』と答えていました。分かったのは『神もどき』が見えない手を伸ばして来てからだそうです。僕には見えませんでしたが、彼女とふーちゃんには見えたようです」
「つまりは……」
「ええ、きっと奥には神もどき並みの奴がいるという事ですよ」
僕の答えを聞いた無限さんが、腰の道具袋から何やら油紙で包まれた物を僕に渡してきた。
「こいつは囮の時に残った延焼弾と旋風弾だ。やばいときにはこいつを遠慮なく使え」
「いいんですか? 有珠さんがここで使うとやばいと言っていませんでしたか?」
「どのみちやばいんだったら使った方がいいだろうが。使って駄目ならあきらめがつく」
「そうですね」
僕の答えに無限さんが頷いて見せた。そしてめずらしくしばし逡巡して見せたのちに口を開いた。
「白蓮、こんなところで聞く話じゃないんだが……」
「何ですか?」
「千夏をどうするつもりだ」
「どうするも何も、押し付けてきたのは無限さんじゃないですか? 役に立たない師匠ですけど、師匠としての役目は果たしますよ。戻ったら研修所に行ってもらって、選抜を受けてもらいます。そして正式に探索組の一員です。今度は落ちるとは絶対に思いませんが、落ちたらふーちゃんと同じ手を使わせてもらいます」
そんな事は絶対に起きないとは思いますけどね。
「そんな事を聞いてんじゃない。冒険者としてはやっていけるだろう。探知はもともと女の方が得意だしな。俺が聞きたいのは、あの子を女としてどう見ているかという話だ。お前だって分かっているんだろう、あの子がお前にぞっこんなのは」
本当にこんなところで聞いてくる話じゃないですよ。注意がそれて、不意打ち喰らったらどうするんですか?
「はい。流石の僕でも分かりますよ」
お守りももらいましたしね。だけど無限さんは僕の答えに溜息を一つつくと、首を横に振って見せた。
「仁英はな、もともとは結構いいところのおぼっちゃんで、そこの末っ子だったやつだ。そんなところの結婚なんてのは本人の意志なんて関係ないから、小さいころから許嫁が居たらしくてな、それもなかなかいいお嬢さんだったらしい。だけど結婚する前に病気で死んじまったそうだ。それで世をはかなんで、冒険者なんてものになっちまった。まあ、ぼんぼんの考えそうなことだな」
「仁英さんがですか!?」
ちょっと待ってください。仁英さんといいところのぼんぼんというのが全く繋がらないんですが!?
「そうだ。俺が嘘でもついていると思っているのか?」
無限さんが僕をじろりと見る。
「いえ、そういう意味では……」
「まあ、やつもそこそこに力があって、若いときは今の創晴をもっとあぶなっかしくしたような感じの奴だった。むちゃばっかりするから何度ぶっ飛ばしたことか……。あるときに他の結社への出張の仕事があってな、その時に奴に惚れて、正式じゃないが押しかけ弟子みたいに来たのが美明だ」
「ええええええ!!」
「白蓮、声がでかいぞ。奇襲を喰らったらどうするんだ」
「すいません」
「美明はそりゃかわいい子だったが、冒険者としての腕は城砦でやっていくにはぎりぎりだった。仁英は意外とはっきりした奴でな。お前には無理だと言って追い出そうとしたんだよ。奴なりの愛情表現かもしれん。一度許嫁を無くしているから、好きな女に死なれるというのが耐えられなかったんだろうな」
「それは分かるような気がします」
僕だってふーちゃんに目の前で何か起きるなんてのは到底耐えられない。いや、考えたくもない。
「だがな、美明もなかなかでな。何としてもここに残ると言い張って、今の店で仕事をはじめた。もう何年も前の話だ。あれもけっこう気が強いからな、仁英に対するあてつけもあったんだろう。店では大人気どころじゃないからな」
そりゃそうですよ。あれだけの美人で色気があれば、どんな男でも引き寄せられると思います。
「分かるか、白蓮? 俺らがな、ちょっとしたもぐりの後には必ずいいところに行くのには、少しはまっとうな理由があるんだよ」
「何がですか?」
おしろい塗った女性を両手に酒を飲む以外に、何か理由があるんでしょうか? 僕の表情を読んだのか、無限さんが僕に向かって頭を振って見せた。
「お前も仁英も、創晴も、どいつもこいつも同じ類だな。俺から言わせりゃ贅沢すぎだ。美明に手をだすなという他のやつらへの脅しと、仁英に美明と話をさせる為に決まっているだろうが。だが二人とも意味が分からないところで意地になっていてな。男と女だぞ。互いに惚れているなら、さっさと寝台に行ってそれを確かめればいいものを……」
あの美明さんに惚れて、惚れられて意地に……。僕には全く理解出来ません。
「全く持って俺のところは雁首並べて馬鹿ばっかりだ。ああ、用哲は違うな。あれは堅実すぎて実力の半分も出していない。別の意味での馬鹿だな」
やっぱり僕はまだまだ駆け出しも駆け出しだな。何も分かっちゃいない。男女の関係なんて永遠に無理だな。美明さんが千夏さんの事を応援していたのにもちゃんと理由があったんだ。
「白蓮、さっさとこの奥に何があるか確かめて戻るぞ。戻ったらいいところで打ち上げだ。そして今度こそ仁英に引導を渡してやる。美明と夫婦にさせるぞ」
「了解です。無限さん」
でも出来ればいいところはご遠慮させていただきます。今度何かあったら流石にもうやばいです。今度こそ首と胴が離れます。
人の心と言うのはさっきの影絵のようなものなのかもしれない。その背後にある本当の思いや願いという奴がうまく伝わらずに、まったく別物に見えてしまう。今僕が奥の天井に見ているものと同じだ。本当はかわいい犬や兎なのに、それをかわいく動かそうとしているのに……。本当に不気味というか、気持ち悪いと言うか、得体のしれない物に見える。
待て……無限さんはここだ。後ろからでは少し距離がありすぎる。この影は一体何の影なんだ?




