円陣
「前からも来るぞ、半刻(1時の方向)、1000、黒30いやもっとだ」
「白蓮、まだか!」
薄毛の男が、白蓮に問う。
「あと、1000は無いと思う」
そう答える白蓮の息も上がりかけている。
「ちっ、前のやつらはなんとかしないとだめか?」
「後ろもまた追いついてきている」
探知のマナ使いが後ろを振り返りつつ叫ぶ。皆、それがどういう意味を示しているかはよく分かっているが、それを口に出して言うものは無い。
その時だった。左手の森の外側で、人のざわめきやら馬の鳴き声が聞こえてきた。撤退して来た魁の街の左軍か、本陣かのいずれかだ。
「抜けます!」
白蓮は左手を上にあげて二周ほど回して左を差すと、左の藪が切れるところに飛び込んだ。革の外套で藪の木々の枝を防ぎつつ、白蓮は森の外へと抜けだした。その横を自分よりもはるかに俊敏な動きで薮を抜けた者たちが次々と追い抜いて行く。
森の外の陽光のまぶしさに白蓮の目が眩んだ。白蓮は腕を上げて日の光を遮ったが、その上を何か黒い影が通り過ぎていく。
その影はまだ日の光に慣れない白蓮の眼前で、前を行く者の大外套にその牙を立てた。獲物をしとめた黒犬の遠吠えが白蓮の耳に響く。
その遠吠えに「撤退だ!」「逃げろ!」と叫び声が上がった。森の先にいた「魁の街」の兵士達だ。我先に黒犬から離れようとする者。慌てて槍を掲げようとする者。あたりにいた兵士達はすぐに大混乱に陥った。
その混乱はあっという間に「塊子爵領軍」の者達全員に伝わり、彼らは我先に自分たちの来た道、青鷺村の方へと向かおうとした。それはまるで雪崩のようにすら見えた。
隊長達の「あわてるな!」という声もまったく用をなしていない。マ者たちはその本能に従い、逃げ惑う兵士たちの背を鋭い爪で切り裂き、その体を牙にとらえる。
とりあえず戦はこれでおしまいだ。だが残り100頭を超える黒犬が辺りを跋扈している。こいつらを仕留めない限り生き残ることはできない。
今のところ自分に目を付けた黒犬はいないらしい。白蓮は荒い息を必死に落ち着かせると、外套の頭巾を後ろに下して周囲を見渡した。
自分の左側では、旋風卿が槍を振ってとびかかる黒犬を打ち倒しており、その足元にはすでに3匹の黒犬の死体が積みあがっている。
だが他の結社の者と言えば、すでに黒犬にとどめを刺されたものや、組のもので固まって襲ってくる黒犬を必死に牽制するもの、群れで襲ってくる黒犬を個別に相手して圧倒されてしまっている。
振り返ると後方では、涸れ川の底に衛士たちの金色に輝く鎧が上ってきた朝日をうけて輝いており、それを一の街の住人達が何かにとりつかれたかのように、逃げ行く塊の街の兵士達を追い立てようとしている。
「聞いてください!涸れ川まで降りて円陣を組み、本陣が来るまで黒犬を押さえます」
白蓮はあたりにいる結社のものに聞こえるように大声を張り上げた。一か八かだ。白蓮は護身用の短剣を引き抜くと、涸れ川に向かって坂を下り始めた。
この声に反応して黒犬がこちらに飛んでくるかもしれない。その恐怖に心臓が今にも壊れそうな速さで脈打っているのが分かる。
でもだれかが長に代わって、みんなをまとめなくてはならない。もっとも誰もついて来てくれなかったら格好の獲物として黒犬に引き倒されておしまいだが……。
それに本陣の見える位置に移動して戦ったとしても、本陣の連中はこちらを助けに来てくれるだろうか? この災厄を引き起こした元凶として、黒犬にかみ殺されるのをゆっくり眺めているだけではないだろうか?
様々な不安や疑いが白蓮の心の中を行き来する。だが一の街に戻って風華に再び会うには、彼らと合流する以外に手はないのだ。それにうまくいけば、こちらを追ってきた黒犬は人の多い本陣へ向かうかもしれない。
「白蓮君では、行こうか」
気が付けば、坂を下りる白蓮の横には旋風卿がいた。結社の達速持ち達が、二人を追い越して坂を降りる者を支援するために先行していく。
「全光、3(6時)、山ほどだ」
閃光持ちの声。
「巻き上げるぞ!」
風使い達が、坂の上から跳躍しようとしていた黒犬を空へと吹き飛ばす。その体を必殺持ちが短弓から放った矢や、目に見えないマナのつぶてが撃ち抜いた。
最後の切り札、つぶて使いの者達だ。冒険者達は円陣を組むと『組』という制約を離れてその全力を黒犬達にぶつけた。




