前夜
「いくら何でもいきなり過ぎないですか? 仕事が一杯一杯でどうにも行けないじゃないかって、仁英さんと用哲さんから八つ当たりを食らいましたよ」
創晴が勘弁してくださいという表情で無限に呟いた。
「まあ、やつらには指示書の確認やらいろいろとやってもらわないといけないからな。それに俺みたいな人気者が出かけるとなると、みんなが集まって差しさわりがあるだろう。こっそりでいいんだよ。いいところだって空になっちまうだろうが」
無限の言葉に創晴が手を振りながら答えた。
「はいはい、そう言う事にしておきます。腹とか腰とか痛くないですか? 痛かったら俺がすぐに代わりますよ」
「創晴てめぇ、俺をどんだけ年寄り扱いしてるんだ!」
無限が創晴の胸倉をつかもうとしたのを、創晴がひらりと躱した。
「前の女に捕まった時に、さっさと引退していてくれりゃ良かったんですよ。もうなんだかな」
創晴の言葉には自分がいけないことへの悔しさがにじみ出ていた。創晴がさらに何かを告げようとした時に、二人の間に小柄な人影が割り込んだ。
「二人とも喧嘩は止めてください」
千夏が二人の間に入って、両手をそれぞれに向かってあげて見せる。
「千夏さん、割り込むととばっちりを食いますよ」
二人のやり取りを黙って見ていた白蓮が千夏に向かって忠告した。千夏に止められたのと白蓮の言葉に白けたのか、無限は創晴の胸倉を掴むのをあきらめると、千夏の方をふり返った。
「千夏か、食料の確認は終わったか?」
「はい。一覧との照合は終わりました」
「砂糖と塩の携帯用と備蓄用にそれぞれ準備されている量はどうなっている?」
「こちらです」
千夏は手に持っていた帳簿を何枚かめくると、それを無限に向かって差し出した。受け取った無限の額にしわが刻まれる。
「足りねえな。それに塩も砂糖も粉末だけじゃだめだ。かさばるし、道中なめながら行くことだってある。白蓮、お前は千夏と一緒に行って、岩塩の質がいいやつをもっと見繕ってこい。備え方は量だけしか見ないからな。混じりがあるやつだと腹を壊す時もある。今回はそんなのを喰らったらとてもたまらん」
「無限さん、了解です」
無限の指示を受けて、白蓮が千夏を連れて監視所の備え方の倉庫へと向かう。その後ろ姿を見ながら創晴は無限に声をかけた。
「本当に行くんですか? 今からでも俺と代わりませんか?」
創晴の声にはさっきのようなふざけた感じはどこにもない。
「馬鹿を言うな。俺が行けば何の問題もない。奴の代わりに死んでやれる。年寄りだからな」
千夏から受け取った一覧を確認しながら無限が答えた。
「無限さん!」
創晴がその手から帳簿を奪い取る。
「なに本気になってんだ創晴、冗談に決まっているだろうが。俺みたいな人気者が死んだりしたら世の女全員が滝の涙を流すぞ」
そう告げた無限が創晴の手から帳簿を奪い返すと、ニヤリと笑ってみせた。
「人には役割と言うもんがあるんだ。お前が本当に必要なのは今日じゃない。もっと先だ。だがな、そんなのは全て後付けの理由だ。こんな潜りはもう二度とない。どんなとびっきりの姉ちゃんより興奮する奴だ。だからあきらめろ創晴。これを誰かに譲ってやる気など毛頭ない」
創晴は溜息を一つつくと肩をすくめてみせた。
「無限さん、了解です。せいぜい楽しんできてください。そしてどんなとびっきりの奴がいたか、ちゃんと教えてくださいよ」
* * *
「鍵だけ渡して自分で気に入った奴を見つけてこいと言うのはどういう事かな?」
角灯を手に倉庫の中に入った白蓮が、千夏に向かって愚痴ってみせた。
「仕事の放棄ですかね?」
千夏が白蓮に向かって苦笑して見せる。
「特別扱いで、なんでも好きにしろという事だろうけど。もっと協力してくれてもいいと思うんだよね」
「そうですね」
倉庫の中には大小様々な麻袋が積み上げられていて、ざったなものの匂いで充満している。どこに岩塩があるのか探すだけでも一苦労だ。それでも棚には金属の票が貼ってあり、そこにはその棚に何があるのかが一応は書いてあった。それを頼りに二人で棚を確認していく。
「ありました。塩はここですね」
「こっちは粉になったやつだな。岩塩はどこかな?」
「角灯をこっちにもらえますか?」
白蓮から角灯を受け取った千夏が、棚の奥へと潜り込んでいく。
「ありました。この一番奥の下にある袋ですね」
千夏さんが僕を手招きする。白蓮も身をかがめて棚の奥へと体をねじ込んだ。狭い棚の奥で先に入っていた千夏の腰のあたりが白蓮の太ももの辺りに触れる。
「これです」
袋の上に角灯を置いた千夏が、その中でも一番奥まったところにあった麻袋を指さした。
「袋の中じゃ分からないな。油紙をひいて、そこで選別するか……」
後ろに下がろうとした白蓮の首元に、突然に千夏の腕が回された。
「白蓮さん!」
そして白蓮の胸元に千夏の顔が押し付けられる。白蓮の目の前には千夏の黒髪が見え、そこから若い女性の甘い香りが漂ってきた。
「千夏さん!?」
「ちょっとの間だけでいいんです。ちょっとの間だけこうさせてもらえませんか?」
顔を少しだけ上げた千夏が白蓮にそう告げた。千夏の胸のふくらみが白蓮の胸元に押し付けられ、白蓮は千夏の高鳴る心臓の鼓動を直接感じる。そしてその体のかすかな震えも。
「目をつぶっていてください」
白蓮の答えを待たずに唇に何か柔らかいものが触れた。そこから漏れ出る吐息が感じられる。それは人の息とは思えないほど熱く感じられた。
「おまじないです」
顔を離した千夏が白蓮に向かってにっこりとほほ笑んだ。
「そしてこちらはお守りです」
千夏が小さく畳んだ油紙を白蓮の手に押し付けてきた。油紙にはそれを握っていた千夏の手の湿りが感じられる。
「お守り?」
「は……はい」
白蓮の問いに千夏が小さな声で答えた。そこには何故かとても恥ずかし気な響きがある。
「あの、事務の女性の方で、旦那さんが冒険者の方から安全のお守りの話を聞きました。私には白蓮さんの為に祈ることぐらいしかできませんが、せめてお守りだけでも……」
そう言うと千夏は顔を真っ赤にする。なるほど事務の淑女の方々から、ちょっと大人な話を聞いてきたのか。ということはこの中身は……
「ありがとう千夏さん。帰りまで肌身離さず持っているよ」
ふーちゃんが殴り込みに行って以来、雨降って地固まるじゃないけど、事務や大店組の女性の面々とも色々と話が出来るようになったみたいだ。ふーちゃんが研修所でしごかれた甲斐はあったということだ。
「はい、お願いします!」
「それと、戻ってきたら正式にここの冒険者になるための手続きをしないといけないね。選別だろうが何だろうがもう大丈夫だよ。それに……」
「それに……」
「もし、千夏さんが研修組に落とされることがあったら、創晴さんと僕で、いや違うな。今度は探索組全員で研修組に殴り込みに行くことになると思うよ」
「はい、白蓮さん。そんなことにならないように頑張ります!」
* * *
歌月は寝台から身を起こすと、傍らの椅子の上に投げ出されていた上着に手を伸ばした。それに袖を通すと、その長くてきれいな指で上着の紐をまさぐる。その紐の先端には留め具になる漆黒の黒犬の牙が、覆いを落とした角灯りの光を微かに映していた。
「死に行く男への情けという奴ですか?」
寝台に横たわっている男が歌月に声を掛けた。
「縁起が悪い事を言うんじゃないよ。それにそんな大それたもんじゃない。私にだって少しは女の楽しみという奴があってもいいだろう?」
そう言うと歌月は背後の寝台をふり返った。その動きに、普段は上着に押さえつけられている彼女の豊かな胸が肌着の中で大きく揺れる。
「満足していただけたら嬉しいのですが?」
男の言葉に、歌月は両手を腰に当てると馬鹿にしたような表情をして見せた。
「あんたは馬鹿だね。それが寝たばかりの相手に向かって言う台詞かい?」
「すいませんね。寝室での睦言には慣れていないんですよ」
「それはきっとお互い様だね。私も寝台の上でもかわいい女になんてものにはなれない」
そう言うと歌月は寝台の上の半裸の相手に向かって、くすりと笑って見せた。
「だけど、あんたのさっきの質問には答えてやってもいい。良かったよ」
歌月は寝台の上に座ると、再び男の体に自分の体を重ねた。
「だからね。もう一度ぐらい味わってもいいと思うんだよ。だから無事に帰ってきな」
「そうですな。努力するとしましょう。そしてこれはその前借です」
そう言うと旋風卿はその太い腕で歌月の腰を引き寄せた。




