潜入
私達の前にかすかな月明かりを浴びる石作りの塔と、それに付随した建屋が見えた。塔のところどころには窓らしきものも僅かに見えるが、ぴったりと石で組み合わされた塔には、外から登れそうな足場は何もない。
ただ塔自体はとてつもなく大きいというものではない。隣にある母屋からつながった倉庫のような建物の屋根と比較しても、それほど高さは感じない。街の時計台などと比べると大分こじんまりとした感じだ。
建屋の窓と塔の一番上の窓からはかすかに黄色明かりが漏れている。誰かがそこに居てまだ活動しているという事だ。仕掛けの持ちの関係で、夜半過ぎまで待てなかったのが響いている。
塔の入り口の建屋になっているところでは、マ石のものと思われる灯の元に二人の見張りがいた。またそこに近づく手前にもマ石の明かり台が置かれていて、入り口のかなり手前から辺りを照らしている。見つからないように近づくのはとても難しそうだ。
塔と辺りを一瞥した碧真さんが私達の方をふり返った。
「入り口以外の逃げ道は、あの窓しかなさそうですね。届きますかね?」
碧真さんが実季さんに尋ねた。
「下までは無理ですが、向かいまでならなんとかなると思います。少し下なので角度的には丁度いいのではないでしょうか?」
実季さんが迷うことなく碧真さんに答えた。正直な所、私は二人が何を言っているのかはさっぱりだ。
「赤毛組のお弟子さんだけあって優秀ですね。実季さん、あなたの隠密はどの程度使えそうですか?」
「森の中ではないのでそれほど持ちませんが、頑張れば退路の確保ぐらいはいけます。いや持たせます」
「私達の切り札です。短弩弓と合わせて無駄に使わないようにお願いします。実季さん、私の後について来てください。風華さんは私達が合図するまでここで待機です」
『了解』
二人に手信号でかえす。それを見た二人は立ち上がると、ごく普通に入り口に向かって歩いていった。碧真さんも実季さんも姿が二重に見えてなんだか気持ちが悪い。
「誰だ?」
入り口の見張りが二人を見て声を上げた。
「あれ? いつの間に外に出たんだ?」
見張りは訳が分からないという顔でお互いを見ている。その言葉を無視して偽侍従頭は二人に近づいていった。その後ろを実季さんが続いている。歩き方も立ち振舞も本物の侍従にしか見えない。
「黙っていないで答えろ!」
無言で近づく偽侍従頭に業をいやしたのか、見張りの一人が叫んだ。偽侍従頭はちょっと待てとでも言うように片手をあげてみせる。次の瞬間、二人が動いたと思ったら、二人の姿はもう見張りと重なっていた。見張りの体がゆっくりと崩れていく。
実季さんの動きも碧真さんと何ら遜色がない。研修所で私と組み手をした時は全然本気じゃなかったんだ。本気だったら間違いなく殺されていたに違いない。
碧真さんが実季さんに何やら合図をしている。二人が見張りの腰から何かを切り落とした。どうやら扉を開けるのには鍵が二つ必要らしい。二人は見張りの体をマ石の明かりの陰になるところへ引きずっていくと、再び侍従らしい姿勢で扉を叩いた。のぞき窓から見張りが顔を出す。窓が閉まって、中から閂らしきものを動かす音が響いて来た。
どうやらこの塔は相当に警戒が厳重だ。二人が同時に扉に鍵を差して回すと、金属が軋む様な音が響いて扉が開いた。二人の体が扉の中へと消えていく。
『いち、に、さん、よん、ご……』
意味が無いとは思いながらも頭の中で数を数えてしまう。こちらはマ石の明かりが届かないところで、地面に伏せてじっと様子を伺っているだけだ。地面につけている体に微かな振動が伝わってきた。どうやら愛佳さん達の方もなにやら動きがあるらしい。
『はち、きゅう……』
まだだろうか? それとも何かあったのだろうか? 私も飛び込むべきか? せめて扉の外で中を伺うとかするべきでは?
『じゅうさん……』
不意に扉がかすかに開いて、その隙間から手が差し出された。
『完了』『前進』
よかった。だがまだ入り口を確保しただけだ。背をかがめて一気に扉迄走り抜ける。こちらが扉の前に達すると同時に、扉が私の体が入る隙間分だけ開かれた。中に入るとそこは詰め所らしき場所になっており、奥にはまた扉があった。本当に厳重だ。
そこに置かれた卓には小さな木の棒らしきものと、賽が入った器がおいてあり、その向こう側の壁際の椅子には意識を失っているらしい男の姿があった。男は御者なのか真っ黒な服を着て、腰には鞭らしきものを備えている。
右手には卓の上に手を差し出した男が、背後から実季さんに腕で口を押えられながら、必死の形相をして目だけであたりを見回している。
その首筋には小刀が突き付けられており、卓に突き出た男の手の甲には小刀が深々と突き立てられていた。男の手の先には危急を知らせるはずの鐘が置かれている。
「最上階の人質の部屋までいくのに必要な鍵はどれだ?」
碧真さんが壁から鍵のたばを外して男の前に置いた。
「教えてくれたら気絶だけで許してやる。教えないか、嘘をついたら指を一本ずつ切り落とす」
「一番下の右端の奴でそこの扉がひらく」
「その一つ横が、階段の入り口だ」
『確認』
碧真さんが私に手信号を送ってきた。男の充血した目がこちらを見ている。その瞳は驚きに満ちていた。それはそうだろう。閉じ込めていたはずの人質がここに居るのだ。
一番右端の鍵を取って、奥の扉に差し込んだ。鍵はガチャという音を立てて何事もなく開く。扉に耳をあてて外の様子を伺ったが、人がいるような気配はない。
『安全』
碧真さんに手信号を送る。
「正直なのはいいことだ。一番上のこの娘さんがいた部屋の鍵はどれだ?」
その通りです。碧真さんはおっかないので、本当に指を切り落とされますよ。さっさと答えましょう。
「俺よりよく知っているだろう!? それになんでこんな事を!」
碧真さんが男の手の甲に刺さっていた小刀に手をかけた。男の顔が苦痛に歪む。
「質問していいとは言っていない。どれだ?」
ほら、怖いですよね。ちゃっちゃと答えなさい。
「ここにはない。あんたが上に持っていっただろう」
そう言った後に男がはっとした顔をする。
「他にも虜囚が居るだろう。その鍵は?」
「俺は担当じゃないんだ。だが、三階のはずだから、二段目の真ん中のはずだ。あんたは一体誰なんだ!何が起きているんだ! どうしてこいつがここにいる!?」
男が実季さんの手を振りほどこうとした瞬間、男の体が卓の上へと力なく崩れた。後頭部を実季さんに小刀の柄で撃たれたらしい。実季さんが小刀を男の手から引き抜くと、男の黒い外套で素早く血糊と油をふき取って帯革の間に入れた。
「本物は上に居るようです。下に戻る前に抑えましょう」
実季さんが碧真さんの方をふり返って告げた。
「君は表より裏の方が似合うな」
「そうかもしれません」
碧真さんは実季さんの答えに苦笑いすると、真ん中の鍵を取りだした。そして私に閂を空けるように指示して、扉を空ける準備をする。私は碧真さんに目で合図をすると、閂を音が立たないように引き抜いた。
碧真さんが開けた扉から、身をかがめるように実季さんが外へと飛び出す。全く無駄の無い見事な動きだ。
『安全』
碧真さんが私に手信号を送ると、実季さんに続いて扉の外に体を躍らせた。私もそれを追って扉の外へでる。そこは油灯が数か所に置かれた薄暗い廊下だった。右手に塔への登り口と思しき重厚な鉄の柵で出来た扉がある。廊下の端には建屋に繋がる木の扉もあり、隙間から灯りが漏れていて、くぐもった話し声も聞こえてきた。
実季さんが鉄の扉の前で、廊下の先に向かって短弩弓を構えながら様子を伺っている。碧真さんが慎重に鉄の扉の前まで行くと、扉に鍵を差し込んだ。
ガチャリ!
少し重い金属音と共に鍵が開く音がした。明かりが漏れた扉の先に変わりはない。ちょっとだけ肩の力を抜く。
ガラン、ガラン、ガラン!
その時だった。扉の向こうや、背後の詰め所から鐘の音が盛大に鳴り響いた。どうやら私達の侵入は盛大にバレたらしい。
* * *
「何事だ!」
夜間の見回りに来ていた侍従頭の声が部屋に響いた。その声に驚いた朝霞の手から茶器が滑り落ちる。
ガチャン!
茶器が床に落ちて粉々に砕け散る音が響いた。だが誰もそれをとがめる者はいない。なぜなら辺りには警戒を知らせる鐘の音が鳴り響いていた。
呆然と立ち尽くす朝霞の目に、侍従頭と共に部屋に入って来た二人の警護役の男が、素早く短刀を引き抜いて構えるのが見えた。一人は入り口の近くに素早く移動している。
「ここでは無いようです。この鐘は離れですね。おそらく先日逃げ出したやつらが、仲間を救いに来たというところでしょうか?」
入り口を伺っていた男が扉から離れて侍従頭に告げた。
「いや、あちらは囮という事もあり得る」
侍従頭はそう男に告げると、世恋の方に向き直った。
「セレン様、大変申し訳ございませんが、しばしお休み頂きたく存じます。その間に我々が安全な場所に御身を移させていただきます」
そう言うと、世恋に向かって恭しく頭を下げて見せた。
「嫌だと言ったら?」
世恋が侍従頭に尋ねた。
「残念ながら他に選択肢はございません」
侍従頭は世恋にそう答えると、護衛役の男達に目配せする。
「そうみたいですね」
男達が短剣を手にしたまま世恋の方にゆっくりと歩み寄った。それはまるで剣技の試合のような動きで、油断の欠片もない。侍従頭が真っ白な手巾を取り出すと、内衣嚢から小さな小瓶を取り出して、そこに数滴しみ込ませた。
「朝霞、こちらをセレン様の口元へ」
そう告げると、侍従頭は朝霞を手招きした。
「私は……」
「何をしている。すぐにこちらまで来なさい」
「世恋様……」
朝霞が世恋の方を当惑した顔でふり返ると、世恋は朝霞に微笑んで見せた。
「朝霞さん。言いましたよね。この家では私達は物だと。どんなに言葉使いを丁寧にして言いつくろっても、彼らにとって私達は人形という物なのです。だから気にしないでください、朝霞様」
「セレン様、非常時ですので、お話は後ほど安全が確保できてからでお願い致します」
侍従頭はそう告げると、朝霞に薬を染み込ませた手巾を渡した。そこからは何とも言えない甘いような匂いがする。朝霞は侍従頭に即されて、卓に座る世恋の方へ向かった。
「あっ!」
だが床に落ちていた茶器の破片に足が滑って、床に手をついてしまった。
「この不良品の出来損ないが……」
背後から侍従頭の呟きが聞こえて来る。床についた膝頭には痛みがあった。どうやら茶器の破片で切ってしまったらしい。手巾はどこにあっただろうか? このままお側迄行くと、世恋様のお召し物に血がついてしまう。
手巾?
前掛けの衣嚢に手をやった朝霞はそこに同じ白い手巾があるのに気が付いた。そうだ。私にだって出来る事はある。たとえその結果、どんなにひどい目にあったとしても。




