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月令

「おい熊公、今日はわしと少し遊んでもらおうか」


 月令はそう一言つぶやくと、まばらにはえた木々の間を抜けながら手にした針を針熊に放った。


 通常の斬撃全てを防ぐ針熊の針だが、その針の鎧の隙間を通じて、月令が放った自分自身の針が突き刺さった。


 針熊は小癪な人間をとらえようと片目で辺りを見回すが、木々の間を俊敏に動きながら針を放ってくる月令の姿をとらえることはできないでいる。


 さして広くないこのくぼ地に、針熊の怒りの咆哮が幾度も響き渡った。針熊は背の全ての針を立てると全周囲にその針を放つ。あたりに響く数多の風切り音。だがその無数の針も月令の体をとらえることはなかった。


 月令は、『内なるもの』と呼ばれる体の内部にマナの力を張り巡らせ、その肉体の力を極限まで高めて戦うマナ使いだ。


 その発揮できる内容によって十人持ちだったり、達速持ちとか呼ばれている。普通の『内なるもの』はその力を発揮できるのはそれを意識した部分だったり、発揮できる時間が短かったりする。


 だが月令は英雄持ちと言われる、ごく少数の天稟に恵まれたマナの使い手であり、『内なる力』を全身に渡って長時間維持することができる。


 さらに彼はその道を極めた槍の使い手だった。いや英雄持ちであっても小柄で身体的に恵まれなかった彼は、マナの力だけに頼ることなく、槍の技術にも打ち込んだ剛の者というべきだろう。


 その手から放たれる槍は必殺使い達よりはるかに正確に目標をつらぬく。


「わざわざ獲物をありがとうよ、熊公!」


 月令は、針熊が怒りに任せて放った針を手にすると再び針熊に放つ。その背には意に従わぬ針が一本また一本と増えていき、その度に針熊の咆哮が森の木々を揺らした。


 だが針熊の低い唸るような声とは別の、鋭く甲高い咆哮が辺りを包んだ。月令の手から針が素早く放たれ、宙を飛び彼に向ってきた何かを叩き落した。黒犬の群れだった。


「頃合いか、熊公これは獲物の駄賃だ」


 月令はそう言うと、針熊にむけて針を放つと身をひるがえした。その針はくぼ地の中央に陣取っていた針熊の左目に突き刺さった。


 両目を失った針熊の体は怒りに、そして恐怖に震えた。全身の針が逆立ち一斉に放たれる。針熊の本気の命がけの一撃だった。くぼ地に甲高い悲鳴に似た黒犬の遠吠えが響き渡る。


 針熊の一撃は、その横や上を抜けて月令に迫ろうとしていた黒犬の群れを打ち抜き、地面へと叩き落した。その数は二十は下らない。だが後ろに続く黒犬の群れは止まらない。


 黒犬たちは月令を、その前を進む結社の集団を目指して再び針熊の横や上を抜けていく。たとえ何匹が針熊の針に打倒されようとも止まることはない。針熊も一連の射撃にマナを使い果たしたのか、地面に横たわると動かなくなった。


 月令は、迫りくる黒犬たちに向かって手にした槍を次々と放つがその数はあまりに多く、その動きは並みの人なら目で追う事ができないくらい早い。射撃に移動にマナを使い続けていた月令も針熊同様に限界が近づきつつあった。

 

「おいおい、この槍の月令の最後の相手が、黒犬に針熊のような小物とはどういう事だ? わしは、『舞歌(まいか)』に竜を狩ると約束したんだぞ!」


 月令は、跳躍してきた黒犬の喉を針でつらぬくと、誰に語るでなく呟いた。


 月令の瞼に、自分が幼いころの景色が見えたような気がした。やっと来た春の野原で前をかける兄と舞歌を追いかける自分。遅れる自分に鳶色の目と髪をした少女が振り返った。自分の未来の伴侶だ。


「がんばれ令!一緒に竜を狩るんでしょう!」


 その笑顔。ずっと自分の憧れであり宝物だった。


「お前との約束はどれも守れなかったな」


 でもきっと君はその笑顔で私を迎え入れてくれるだろう。月令の小柄な体に黒犬が群がった。


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