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約定

 急に目が覚めた。目の前には女性の顔がある。実季さんではない。切れ長の瞳に目の下にある小さなほくろ。明かりを落とした角灯の黄色い光が、わずかにその横顔を照らしている。


 確か碧真さんと別れて、そのまま寝室で寝たはずだ。不寝番は……。声を上げようとした瞬間に喉元にちくりという感触があった。彼女の右手に銀色に光る何かが握られている。女性が口元に人差し指を立てて見せた。


「あら、勘がいいのね。でももう少し眠っていてくださいな」


 そうささやくと、私の鼻元に何やら手巾のようなものを……。


* * *


 私は夢を見ている。とても奇妙な夢だ。自分は赤ん坊で、前に何か大きな卵のような物がおいてある。私はハイハイをしながらそれに向かっていった。これは一体何なんだろう?


 よく見ると、その卵の殻は一部が欠けていて、中身が見えていた。中では赤い血の色をしたどろりとした塊が、震えながらかすかに蠢いている。


 赤子の私が気持ち悪さに思わず卵から離れようとすると、誰かが私の体を持ち上げた。


「このままでは失われてしまう」


 私を持ち上げた主の声だ。


「これは何があっても失われてはいけない」


 別の誰かの声がした。


「依り代が必要だ」


 依り代? 一体何のことだろう?


「なるべく無垢な依り代だ」


 また声がした。私を抱き上げた誰かに向かって語っているらしい。私の足元に卵が迫る。私はその抱き上げられた手の中で、身をよじっていやいやをした。


「それしかないのか……それしか……」


 私を抱く人のささやきが聞こえたかと思ったら、その手がゆっくりと私を卵の割れ目へと近づける。中の赤い何かの中に小さな黒い点のようなものが浮かび上がった。なんだろう。それには横に線のようなものがある。


 突然そこがぱっくりと開いて、真っ赤な球が見えた。瞳だ。瞳孔はないがこれは瞳だ。それが私を見つめている。おびえる赤子を……赤子の姿を映している。目を閉じたいのに、目をそらしたいのに、赤子の私はそのどちらもすることが出来ない。その真っ赤な瞳のない目に見入られている。わたしを抱く手がそれに向けて私を下ろしていった。


『いや、いや、いや……』


 赤い瞳に赤子の私が映る。体がそれに近づくについて、赤い瞳に映る私の姿も大きくなっていく。緑の目を持つ赤子の姿が……


『やめて!!!』


 目の前には高い天井と木箱のような物が積み上げられているのが見えた。嗅がされた薬のせいだろうか、頭が重い。


「こちらのお嬢さんも起きたみたいよ」


 私の視界の横から女性が顔を出すと、私の顔を覗き込んで声を上げた。


「どこまで知っていて、どこと繋がっているかを聞いてもらえるかい?」


 声の先には椅子に座った男性らしき人影があった。だがそちらは荷物の陰になっていて、表情も何も見えない。


「そこまで言うなら自分で聞けばよくなくて?」


「男の俺が聞くといやらしいじゃないか。だからあんたに任せるよ」


「面倒くさがり屋さんですこと」


 女性はそう言うと私の方へ向き直った。声は私が気を失う前に見た女性の物だ。だけど姿はもっと地味な感じの女性に見える。姉妹とかだろうか? でもよく見ると同じ位置に小さなほくろがあるような気がする。姉妹でもほくろの位置まで似れるものだろうか?


「聞こえたでしょう風華さん。あなたは何でこんなところまで来て、私達の事を探っているのかしら?」


 女性が私に問いただした。まって、この人はどうして私のことを知っているの?


「何で私のことを!」


 あっけにとられている私に向かって、女性が苦笑いをして見せた。


「あら、私のことは見覚えがないかしら。そうね、貴賓室に入る前に見かけたぐらいだから、分からなくても仕方ないわね」


「でも労務長、積み荷のことを忘れるなんて、商売人の基礎がなっていないと思いますね」


 女性が覆いを落とした角灯を手に暗がりの方を振り向いた。


「分かっているよ会計長。この件は借りだ。もしさっさと始末していたら、後で隊長から大目玉どころの騒ぎじゃなかったな。本当にやばかった」


 覆いの隙間から漏れた光の先で、碧真さんと実季さんが椅子に縛られて、猿ぐつわをされているのが見えた。私達が探る? 私を覗き込む女性の首には銀の鎖がある。その鎖の先は胸元に隠れていたが、覗き見える二つの乳房の間に八角形の銀色の首飾りが見えた。


 頭に布を巻いた隊商。祈り。荷物。そうか!


実苑(みおん)さんの隊商の方ですね?」


「やっと思い出してくれました? あなたの相手は寧乃に任せきりだったから、覚えてなくても当然かもしれないですね。では私達の正体に気付いたついでに、最初の質問の答えをいただきましょうか? 私としてはあなたの同行者を傷めたり、あなたを傷めたりして回答を得るのは、あまり気が進まないんです」


 そう言うとにっこり微笑んで見せる。おっとりとしたしゃべり方だけど決して冗談じゃない。私が黙っていたら本当にやる人だ。桃子さんと同じ種類の人だ。


「積み荷を追っています。以前の私達と同じです。皆さんがここまで運んだものです」


「積み荷?」


「知っているはずです。前にも関門から城砦まで皆さんが運んだ積み荷です。金髪で青い目の女性です」


 女性が碧真さん達の前に座っていた男性の方をふり返った。


「隊長達の積み荷? またあのやばいのを運んだのかな?」


 男性が女性に向かって手を上げて見せる。


「積み荷については何も言っていなかったけど。あの家が城砦から引き取ってくるとしたら、確かにあの娘しかないな。まさか前次期当主を連れてくるとは思えないからね」


「私達を人質にとる訳ね。積み荷がやばすぎですもの」


 女性の答えに男性も頷く。


「どうしたものかな? このままこの人達に宿に帰ってもらうという訳にもいかないしな。でも隊長からの指示は絶対だしな。これは困ったな」


 男性が腕組みして首をひねっている。一体どういう事情になっているのだろう。私にはさっぱり分からない。


「追加です」


 扉の開く音がして、もっと若い男性が何やら紙を、女性が労務長と呼んだ男性に差し出した。男性がそれを一読する。


「なるほどね。会計長」


 男性が女性にその紙を渡した。女性もその紙を一読する。


「俺は労務長だからな。商売の話はあんたに任せるよ、会計長」


「しょうがないわね。風華さん、ここからは私達と貴方達の取引の話です」


 取引? 私だって元商人だ。彼女に向かって頷いた。


「貴方達が酒場で仕込んだ話の通り、私達はマイン家の下屋敷から逃げてここに隠れています。だけどここに居るのはもともと屋敷に留め置かれていた半数です。残りの半数はマイン家の当主と一緒に関門まで出かけて行って、私達が脱出した後に戻って来ました。ちなみに隊長達が戻る前に脱出したのは、戻るや否やまとめて始末されるのを避ける為です」


「そういう事だったのですね」


 碧真さんの疑問が、世恋さんの件について彼らがよく分かっていなかったことの謎が解けた。


「戻ってきた半数の中には実苑隊長も居ます。私達はこれから残りの者達を救いに行く予定です」


「そんな事が出来るのですか?」


「囚われている間に色々と仕掛けをしておいたので、出来なくはないです。だけど私達の事を嗅ぎまわってくれた貴方達以外にも、ちょっとだけ問題が残っています。その件について、貴方達が引き受けてくれるのであれば、私達は貴方達を解放するし、屋敷に忍び込む手伝いもしてあげます」


「分かりました。私達は何の手伝いをすればいいのですか?」


「私の隊商の者が一人と客人が一人、実苑隊長達とは別の場所に幽閉されています。私達では実苑隊長達とその二人の両方を一度に助け出すのは無理です。だからその二人の救出を貴方達にお願いしたい。二人が居るのは屋敷の中の灰色の塔と呼ばれるところです。おそらくあなたが助けだしたいと思っているその娘さんもそこにいるはずです」


「救出後の安全の保証はありますか?」


「退路はこちらで確保します。屋敷から出れさえすれば追手は捲けると思います。その辺りは前回も実証済みだから安心して。あなたが引き受けてくれると約束すれば段取りは教えます。ただ前みたいに雪狼が出ると()()()()()は奴らには効かない。その時は自分達でなんとかしてもらわないといけません。そこから先は貴方達の才覚次第よ」


「分かりました。皆さんを信用することにします」


 それに私達に別の救出手段がある訳ではない。


「救出さえしてもらえれば、うちの隊の者もあなたの助けになるはずよ。なにせあなたもよく知っている人だから」


「誰ですか?」


「寧乃よ。それに客人もあなたの知り合いの可能性は高いと思う。そちらは会ってみてのお楽しみね」


 実苑さんの客人? 一体誰だろう? でもそれを考えるのは後だ。先ずはこの機会を逃さないことが先決だ。


「一の街『緑の三日月』の身代と店主風華の名において、謹んでこの取引をお受けいたします。またこの約定を違わぬ事をここに誓います」


 本当は右手を上げて誓うのだけど、縄で縛られているので出来ない。代わりに二人に向かって下げられるだけ頭を下げた。私の返答と態度に、女性と男性が顔を見合わせている。やがて女性が私の方を振り向いて右手を上げた。


「『竜神の僕』の身代と隊長実苑の代理たる、愛佳(あいか)の名において、この取引の約定を歓迎いたします。またこの約定をたがわぬことをここに誓います」


 そしてその手を差し出そうとして、はっとした顔をした。


「これは大変失礼しました。縛を解くのが先でしたね」 

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