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言葉

 旋風卿が酒場の扉を開けると、場末の酒場は場末らしからぬ活況を示していた。先行組が限界線越え一辺倒になっているため、先行組頼りだった組は森からあぶれてしまっている。


 調整金という名の金は支給されていたが、その金だけでは関門のお高い普通の酒場にばかりはとてもいけない。そんな奴らが風に寄せ集められた池のごみのように、ここに集まってきていた。


 中に一歩入ってみると、そいつらがまくグダやら嘆きやらよく分からない騒音に、安酒とそれに浸された男達の体臭で満ちている。聞こえてくる怒声には城砦の上への批判も少なからず混じっていた。いや言葉を選んでいるかどうかだけの違いで、全て批判と言ってもいいかもしれない。こんな状態は長くは続かないだろう。


 旋風卿は薄暗い店の中を睥睨すると、今宵の約束の相手を探した。相手はすぐに見つかった。大声で騒ぐ奴らとは全く異なり、一人帳場続きの卓(カウンダー)の席で背をまるめて静かに座っている。身分を隠す気など全く無いのか、一目で司書と分かる深緑の短外套を羽織っていた。


 旋風卿はゆっくりと店の中に進むと、学心の隣に座った。


「いらっしゃいませ。ご注文は?」


 帳場の中の店員が声を掛けてくる。


「彼と同じものを」


 店員が金属の杯に透明な酒を注いで置いた。


「しばらく二人で話をさせてもらってもよろしいかな?」


「はい、ごゆっくり」


 店員は二人の前から離れると、各席からの酒の注文を受けに帳場の奥へと移動していった。


「学心殿。こんな時期に、こんな目立つ姿で私に会うのはいささか危険すぎるのではないですかな?」


「アルかい。いやここでは旋風卿と呼ぶべきかな?」


「昔通りでお願いします」


 旋風卿はこの男には珍しく、学心に向かって苦笑いして見せた。


「アル、どっちにしたって長生きなど出来ないさ。ならば窮屈な思いをして身を縮めている必要などないだろう?」


 学心の台詞にはまるで戦の前夜の兵士のような、どこか捨て鉢になった感がある。


「そうですかね? 長生きは大事だと聞いた事があります。避けられるものであれば、避けられた方が良さそうな気がしますが?」


 旋風卿が不思議そうな顔をして学心に答えた。


「数日から長くても数か月程度の差だよ。大した違いはない。アル、例の『神もどき』の件の後で、あの男が私になんていったと思う?」


 学心はそう告げると、少し酔いが入った眼で旋風卿を見つめた。


「さあ、私には想像もできませんね」


 旋風卿が学心に両手を上げて見せた。


「『君の理性と想像力がどれだけのものを探求できるか期待する』と言ったんだ!」


「前司書長から現司書長への挑戦状と言うところですかな?」


 戦いとは何も剣を交えるものだけではない。学者には学者の戦い方があるらしい。どうやらそれは女性同士の嫌味の応酬という奴に少し似ているような気もする。


「挑戦状? 違うな、私の無力さに対する奴の憐みの言葉だよ。奴は私が間違った方法を取ると分かっていたんだ。私が自分の生死についてどうでもいいと思っているのは、何かに達観したからじゃない。自分の愚かさにほとほと嫌気がさしたからだよ」


 そう言うと、学心は目の前の杯の中身を空にした。


「学心殿が自分を愚かという事自体が、私には愚かな事のように思えますが?」


「アル、あんたもお世辞や憐みの言葉を口にするようになったという事は、だいぶ年を取ってきたという事だな」


 学心の言葉に旋風卿が肩をすくめて見せる。それを見た学心は溜息を一つつくと言葉を続けた。


「儂は奴が『終末記』という禁書を読んで、その内容に基づいて行動しているのかと思っていた。つまりそこに何かあると思って、その中身を知ろうとしていた」


「禁書という物には何か触れてはいけないものがあるのではないですか?」


「違うんだよ。中身の前に、そもそもその書は誰が何の目的に書いたものかを考えるべきだったのだ。まさに奴が言う通り、理性と想像力でなすべき仕事だ」


「『終末記』というぐらいですから、滅びについて書いたのでしょう?」


「そうだ。もう中身なんかはどうでもいい話だったんだ。我々は既によく知っているではないか? いつの時代も何が全ての滅びをもたらしたかを!」


「そう言う事ですか」


 旋風卿が学心に向かって頷いて見せた。


「やはり予想通りという事ですね」


「そうだ。奴はもう書になど当たる必要はない。もう既に分かり切っている事だと儂に言ったんだよ。あんたが行く先にいるのは間違いなくそれだ。だとしたらここで誰かに行方不明にされてもされなくても、儂の人生の結末までの時間に大した差などないと思わないか?」


「違いますね」


 旋風卿は学心の言葉を迷うこと無く否定した。


「何がだ!」


 その言葉に学心が旋風卿ににじり寄る。その老いた目には殺気すら漂わせていた。


「学心殿、貴方は学者だ。そこにあるものを理解して、その根本が何なのかを他の人に示すのが仕事ではないですか? だとすれば、少なくともそれを見るまでは貴方は生きているべきではないでしょうか? あるいは私が見て来たものを貴方にお伝えしましょう。それを紐解くのは貴方の役割です」


 旋風卿が学心に臆することなく答えた。


「若輩の身で僭越でしたかね」


 旋風卿が学心に対して再び苦笑して見せる。


「覚えていますか? 昔に私は貴方に同じような事を言われたことがあります。真の英雄とは死して他の者に何かを語らせるものではない。生きて戻って、己の口で何を為したかを、そして何を為せなかったかを語るのだと。だから英雄の言葉には真があるのだと」


 学心の口が開いて閉じた。何かを口にしようとしているのだが、その口からは言葉が出てこないらしい。それを見た旋風卿がさらに言葉を続けた。


「あなたにとっての学問も同じではないでしょうかね? これから起きる事をそんなかび臭い書の中のものと同列に扱ってもらいたくはないですな。貴方の言葉で後世に伝えていただきたい。例えそれがどんな結末だとしてもです」


 そう告げると、旋風卿は目の前に置かれた杯の中身を空けた。


「酒がなくなりましたな」


「ああ、そうだな」


「では後一杯だけお付き合いいただきたい」


「別に何杯でもいいが……」


 旋風卿は空の杯を帳場の向こう側にいた店員に向かって振って見せた。


「学心殿、ただの一杯ではありません。乾杯ですよ。我々は少なくとも退屈だけはしない時代に生きてこられたようですからな」


「確かにそれはそうだ」


「それを祝して、我らが出会った時のやり方で乾杯と行きましょう。それにうちの組長はこう言う事にとてもうるさいのですよ」


 店員が二人の杯に透明な酒を注ぐ。二人の杯の間に小さな金属音が響き渡った。


「我らの未来に。そして我らの屍を踏み越えていくもの達の為に」


 たまには昔のやり方という奴も悪くは無い。


 誰もが最初から冒険者だった訳ではないのだから。


* * *


「無限さん、本当に行くつもりですか?」


 仁英は装備の点検をする無限に声を掛けた。その声には呆れ返ったような、それでいて何か寂しさを感じるような響きがある。


「なんだ仁英。お前はおれみたいな老いぼれは、お呼びじゃないとでも言いたいのか?」


 無限は顔をあげると仁英の方をジロリと見た。


「そんなことは言っていませんよ。これでもまだまだ無限さんの足元にも及んでいないという自覚ぐらいはあるつもりです」


「そんな御託を言っているからまだまだなんだよ」


 無限はフンと鼻をならすと、装備の点検に戻った。


「でも創晴は相当に悔しがっていましたよ。あれでも無限さんの事を……」


「なにを言っているんだ。俺はこいつで当てて、美人でかわいい女を捕まえて、すっぱり足を洗うんだよ。創晴には邪魔するなと言っておけ。千夏みたいな娘が弟子になりたいとか言ってきたら、ちょっとは森に潜るのも悪くはないがな」


 無限の言葉に仁英が含み笑いをもらした。


「無限さんなら森でのあれやこれやだけでなく、寝台の上でのあれやこれやまで教え込むでしょうからだめですね」


「てめえな……」


 無限は何か言いたげに仁英の方を見たが、フンと鼻をならすと、手元に視線をもどした。


「まあいい。さすがに小娘のケツを追いかけるほど若くはない。あの胸のでかい姉ちゃんあたりが丁度いいんだがな」


 そう言うと、その形をなぞるかのように胸の前で手を動かして見せた。


「また蹴っ飛ばされますよ」


「真面目な話、ここは実質的にお前と用哲に仕切ってもらっている。俺などいらないさ。それに創晴や白蓮も続いてくれる。千夏もお前の後釜を張れそうだしな。白蓮に千夏が一人前になる前に、千夏の腹をでかくしたりしないように言っておけ」


「無限さんじゃないから大丈夫じゃないですか? むしろ心配なくらいですよ。こっちも真面目な話、無限さんの引退祝いの準備をして待っているから、ちゃんと戻ってきてくださいよ」


「いいところだぞ」


「はい、分かっています。美明にはちょっとはましな面子を揃えておくように言っておきます。だけど引退祝いをするのは今度で3度目ですよね?」


「仁英、てめぇぶっ飛ばすぞ!お前も美明の事をちゃんとしてやれ。戻ってきたら、引退ついでに俺が仲人をしてやるからてめぇも覚悟しとけよ」


 無限の言葉に仁英は肩を大きくすくめて見せた。


* * *


「見ず知らずの方に、ご迷惑をおかけして本当にすいません」


 喜代は前に立つ背の高い男性に向かって片手を振ってみせた。


「何を水臭いことを言っているんです。困ったときはお互い様じゃないですか?」


「本当に助かりました」


 男性が喜代に向かって頭をさげる。


「こちらに朝食を置いておきますね。それとこれは昔に兄が使っていたものですが着替えです。着替えたら汚れものはこちらに出しておいてくださいな。洗っておきますので」


 喜代はそう言うと、男性物の肌着を差し出した。少し小さいかもしれないが、着れないことはないだろう。それに私がちゃっちゃと洗って乾かせばいい。


「この街は迷路みたいで本当に参りました。一応振られた元彼女以外にも知り合いはいるのですが、場所がよく分かっていなくて……」


「内地から戻られたら他に男が居たなんて本当に許せませんね。汚くて狭いところですけど、ここで良かったら当面の宿代わりにしてくださいな。それと私が言うのもなんですけど、深酒はやめておいた方がいいですよ。何の解決にもなりません」


「はい、肝に銘じておきます」


 男性が少しはにかんだ笑顔を向けてくれる。その笑顔に喜代は顔が真っ赤になるのが如実に分かった。いや顔だけじゃない、冬だと言うのに体中が熱くてたまらない。もう小娘じゃないのに、何だというのだろう。


 でもまさか彼が店にもう一度現れてくれるとは思わなかった。それに泊めてくれたお礼と言って紅を持ってきてくれるだなんて!


 こんないい男だ。私の所になんて、どうせ長くはいてくれないのだろうけどそれでもいい。一晩一緒に居てくれるだけでも、こちらはもう天にも昇る気持ちになる。


 母がやっていた小さな場末の酒場を、母が死んだ後もなし崩しで続けてきた。それしか生きていく手段が思いつかなかったからだ。


 ありがたいことに、ちょっとだけ周りの子よりは器量が良かったお陰で、こちらの体や妾目当てにくる親父どもを適当にあしらいながら、なんとか食いつないできた。そんな私に神様がくれた、ちょっとした慈悲なのかもしれない。


 残念ながら昨日の夜はこちらを抱いてはくれなかったけど、振られたばかりだそうだから、そんな気分にはなれないのかもしれない。


 それでもいい。隣に、彼が近くに寝ていると思うだけで体が熱くなる。神様、あと一晩だけでもいいです。どうか私にもう少しだけ、この夢のような気分を味合わせてください。


 もし、これが夢ならまだ覚めないで欲しい。もう少しだけ私に夢を見させて頂戴。そんな妄想をいだきながら、喜代は男に向かって精一杯の笑顔を向けた。

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