白日夢
柚安が馬車の整備屋の裏手を抜けると、建物の間から冬の青空が見えた。
周りは同じような馬車の製作所や整備所が集まっている。濃厚な油の匂いに、そこらかしらから、何かの金属を大金槌で叩く音やら、鋸の音が響いている。また通りに黒い油の染みがそこらかしこに広がっていた。
両側の建物の壁には馬車の車軸になる木の丸太のようなものや、屋根の一部になるらしき金板等が、荷車や通りの壁に立てかけられている。時折工場の裏手から灰色の作業服を着た男達がそれを取りに出入りしつつ、柚安を不思議そうな顔で見ていた。
それはそうだ。城砦の事務方からそのまま来ているから、自分の上着は紺色の短外套をまとった事務官姿のままだ。この場所に似つかわしくないことこの上ない。柚安は短外套を脱いでゴミ箱へと入れると、店の親方が貸してくれた灰色の油じみがいっぱいついた薄手の外套を被った。
関門の街は自分が生まれ育った街ではあるが、この街に慣れ親しんでいた訳ではない。学生の時には内地の王立学院に通っていたし、子供の時は郊外の自宅に居た。ここに来るときは姉の付き合いぐらいのものだ。だから知っているようで知らない街とも言えた。
馬車でまるで箱に入れられた芋のように運ばれて関門に着いても、身を隠す場所等の具体的な当ては全く無かった。だがうちの店や自宅に向かうという選択肢はない。間違いなく監視されている。相手は城砦の冒険者達だ。普段城砦ですれ違っている時には何も思わなかったが、敵に回すと思うとこれほど恐ろしい相手は居ない。
ともかくこの南区の雑踏の中に紛れながら、父に接触する手段を考える必要がある。それに先ずは着るものと、潜伏先を探さないといけない。
決して油断などしてはならない。関門は結社の街なのだから。
* * *
「残念ながら、どうも先に行かれてしまったみたいですね」
街道筋の宿場町の商店で、いくつかの日用品の買い物から戻った碧真さんが、私達に向かって残念そうに語った。
「どうやらそれらしき一行は何日か前にここを通り過ぎてしまったようです。いやはや見事な逃げ足の速さです。噂通りとても用心深いお人らしい」
私は実季さんと顔を見合わせた。そんな用心深い人に屋敷の中に入られてしまったら、どうすれば世恋さんを助けられるだろうか? 私にあるのは意気込みだけで、何もいい手は思いつかない。
「焦っても仕方がないですね」
今は碧真さんの言葉に頷くしかない。碧真さんには焦るなと言われたが、心の中ではその焦りが少しづつ大きくなってきている。世恋さんを助け出せれば、私と実季さんの無事と合わせて、白蓮達は自分達の身の安全だけを考えて逃げ出すことが可能になる。でもその前に皆に何かがあれば、もうすべては手遅れだ。
「体を休めるのも大事な事ですよ。間道を抜ける間はほとんどまともな休みが取れませんでしたからね」
確かに間道の村の件があったので、厄介ごとを避ける為に、その後の村はすべて迂回して通ってきた。そのため道中は野営だけにならざる負えなかったし、村の近くでは火を使う事も憚られる時があった。そのために間道を抜けるのに予定よりも時間がかかってしまった。だが村での事は後悔はしていない。あんな奴らを野放しになどしてはおけない。
本街道に戻ってからは、冬とは言え街道筋を行きかう隊商の列もちらほらと見えるようになった。だがこちらはまだ雪が積もっており、除雪された雪が街道脇にまるで壁のように積まれている。ここではとても野営は無理だが、碧真さんの言った通り、冒険者としての鑑札を見せると、どの宿場町でも、宿帳に名前を書き込む以上の事は何も求められない。
ところどころにあった領主の関所も問題なく通り抜ける事が出来た。もっとも碧真さんと実季さんを見た後に、私を見ると少し不思議そうな顔をされるのは何処でも同じだった。でもそれはしょうがない。私のような者が城砦の冒険者と名乗ったら、私だってびっくりする。
「マイン卿の屋敷はあの街の郊外です」
碧真さんが丘の間に朝日を浴びて輝いて見える、城壁と塔を備えた街を指さした。一の街と同じぐらいかそれより少し大きいぐらいだろうか? 塔の立派さは一の街とは比べようもないが、思ったよりこじんまりとした街だ。
「おそらくその世恋さんという方がいるのは、その屋敷の灰色の塔だと思います」
「灰色の塔ですか?」
「マイン家の人形が住まうと言われる秘密の塔ですね」
秘密の塔? まるで何かの御伽話の様だ。
「碧真さんはどうしてそんな事をご存じなんですか?」
私の言葉に碧真さんが苦笑して見せた。
「風華さん、これでも私は結社の裏に属する人間です。世の中で大っぴらに語られないことについても、少しは知識があるつもりですよ。マイン家の人形もその一つですね」
そう言えば、桃子さんも私に世恋さんの事を人形と呼んでいた。確かに世恋さんは人形を思わせるような美しい人だけど、置物じゃない。とってもかわいくて、そして厳しい人でもある。一人の魂を持った人間だ。彼女を人形なんて呼ぶ奴は全員呼び出して、頬を張り倒してやりたい。
「とりあえずは情報を集めるしかないでしょう。屋敷がどうなっているのか、使用人の数や、どんな出入りの業者が居ていつ出入りしているのか? そこへ行こうとしている来客が居ないか?」
「そうですね」
私も酒場で少し袖を引いてみるぐらいは頑張らせていただきます。
「さて、私は何に化けてみましょうかね? どこからか流れてきた手品師では目立ちすぎですかね?」
「手品師ですか?」
「はい、吊るされても生き返る男なんてのはどうですか? 確か春分祭が近いはずですから、それで小金でも稼いでみますか? 受けたら屋敷に呼ばれるかもしれません」
「碧真さん、冗談はやめてください」
貴方が言うと冗談にならなくなってしまうじゃないですか?
「そうですね。でもそのくらいしないとマイン家に入り込むのは難しそうですよ。何かきっかけがあればいいのですが……それとも正面から入って返してくださいと交渉してみますか?」
「いい加減にしてください」
* * *
南区は誰かが蟻の巣だと言っていたがまさにその通りだ。計画も何もなく建物が出来た後に、空いた隙間が通りにでもなったかの様な場所だ。ここが乾いた土地でなければ、排水やら色々な問題と合わせて、伝染病の巣窟になっていたことだろう。
そんな南区の一角にある屋敷を探すのは本当に大変だった。そこに行くときはその家の主と共に馬車で行って、戻ってくるだけだったのだからなおさらだ。だが馬車から見たうる覚えの景色や、かかった時間などから推測して、やっとその屋敷迄の道筋が分かる通りまでたどり着くことが出来た。
昨日の夜は眠ることがない関門の酒場を転々と移りながら、大して強くもないのに酒を飲んで時間をつぶした。ありがたいことに、どこも客はいないかまばらだった。その前日に一日馬車の道具入れの中で揺られたのもあって、体が鉛のように重い。
最後は女性が一人でやっている、とても小さな酒場で酔いつぶれたふりをして寝ていたが、店の女性が上の部屋を貸してやるからそこで寝ろと言ってきた。もう限界だったのでありがたく寝かせてもらったが、朝方に彼女が寝台に潜り込んできたのには閉口した。せいぜい気持ち悪いふりをして、相手が出来ないふりをするしかなかった。
彼女は今晩も来てくれと言っていたが、こちらとしてはそのつもりは毛頭ない。深酒の理由を女に振られたことにしたのがまずかったのかもしれない。
目印となる赤い下ろし窓がついた、一階が乾物屋の石造りの建物の角に向かう。しかし何やら様子がおかしい。まだ朝の内なのに人の動きがある。通りに急いで入って行く者や、出ていく者。出ていくものは何人かで固まって興奮しながら話をしている。それに何やら焦げ臭い匂いも漂っていた。
通りに向かって駆け出したいのをぐっとこらえて、店先に商品を並べ始めた乾物屋の前で、品物を物色するふりをしながら通りの奥を覗く。目当ての屋敷があった場所には黒く焦げた柱と、焼け落ちたものの残骸があるだけだった。通りは消火の為に巻いたらしい水で水浸しになっている。もう消火は終わったらしいが、辺りには大勢の人が集まっていた。火災跡を検分しているらしい結社の警備方らしき人影もある。
「その紅花の粉を見せてもらってもいいかな?」
この店で扱うに品としては高級品の、化粧品の元になる粉を指さす。
「いらっしゃい。お目が高いですね。これは橙の国のものじゃなくて、高の国のもので高級品です。色の出方が全然違います。奥さんからの頼まれ物ですか?」
「そんなところだよ。もし見かけたら買ってきてくれと言われていてね」
「そうですか、旦那の奥さんじゃさぞ美人でしょうね」
「そうかな。だがその紅花に負けないくらいのきれいな赤毛だよ」
嫁自慢ののろけ話と思ったのか、男がこちらを見てにやりと笑う。油紙の上に粉を少しだけ落として物を確かめるようにこちらに渡して来た。
「中々いいもののようだね。油紙の小分け一つ分をもらうよ」
「ものがものなんで、小分け一つで銀が2枚ですが大丈夫ですか? 橙の国のものならその半額以下ですけど……」
「嫁の為だからね。嫁さんが気に入ったらまた寄らせてもらう」
「毎度有難うございます」
半金貨を受け取った男が満面の笑みを浮かべる。
「それはそうと向うの騒ぎは火事かい。この乾燥した季節に物騒だね」
「あれですか? 昨日の夜はとんでもない騒ぎでしたよ。私達も総出で防火桶を空にして消火でした。ここしばらく火なんて無かったんですけどね」
「それは大変だったね。怪我人とかは大丈夫だったのかい?」
「それがですね……」
店主がお釣りの銀貨をこちらに渡しながら、耳元で声を潜めてつぶやいた。
「あの家には油屋の御屋敷に勤めていた爺さんが住んでいたところでしてね。まあ普段はほとんど家にはいなかったんですが、引退するとかで家に戻ってきていたんですよ。どうやらその引退祝いで客が来てて、その祝いの時の料理かなんかから火が回ってと言う話なんです」
「じゃ、屋敷の主は?」
「かわいそうに、やっと引退して悠々自適とやらのはずだったんでしょうけどね」
「客は?」
「誰も助からなかったみたいですよ。さっき聞いた話では検分で遺体が4つ出たそうです。多分男が二人に、女が二人と言う話でした。息子や娘は居ないと聞いてましたから、油屋の誰かでも来てたんですかね? 確かに馬車が来てましたから。。あれ、でもその馬車は戻ってきてないよな」
店主が首をひねっている。
「お客さん、大丈夫ですか?」
「ああ、大分へそくりが減ってしまったからね。少し考え事をしていた」
「へそくりを嫁さんの為に使うとは偉い旦那さんだ。この間二軒隣で夫婦げんかがありましてね……」
男は何処かの夫婦喧嘩の顛末を私に話し続けていたが、何も入っては来ない。母は高規の引退祝いを身内でやると言っていた。4人の遺体という事は、父と高規と、母と姉という事だ。つまりそこには、義兄は入っていない。
まだ色々と話しそうな男に暇を告げて、そのまま通りに入らずに素通りしていく。例えどんな姿になっていても、その遺体を一目みて、その亡骸に別れを告げたいが、警備方も居る。それにあの男の手先も集まる人々を見張っているだろう。私の逃亡はとうにばれているはずだ。
柚安は涙が出そうになるのをぐっとこらえた。泣いている姿を見られるだけでも危険なのだ。
父の姿を、母の姿を、姉の姿をそして高規の姿を思い出す。ほんの僅か前にこの関門に戻って来た時には、風華さんを交えて皆で笑っていたというのに、あれは私の白日夢だったのだろうか? それとも今見た焼け跡がそうなのだろうか? 自分は悪い夢を見ているだけなのではないだろうか?
先ほど買った紅花の油紙を握る手をじっと見る。私はまだ生きている。生きているのなら、生きているものとしての責務がある。
あの男の思う通りには決してさせはしない。




