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幽閉

「おい、おっぱい女。腹が減ったぞ。赤娘とおもかろい妹がいないと餌がつまらん」


 そう言うと百夜が、卓で赤葡萄酒の瓶に手をやった歌月の袖を引いた。


「卓の上にあるだろう。文句があるなら食わなきゃいいんじゃないの?」


 歌月がだるそうに百夜を見る。


「お前もその赤い物ばかり飲んで、餌を食べないと死ぬぞ。我が思うにそれは毒だな」


「こいつでも飲んでいないとやってられないのさ。それにあんたが言う通りに、これは毒だね。だけどね、すぐ死ぬ奴じゃない。だからみんな毒とは思わない。馬鹿だね」


 そう言いながらも杯の中身を一気に開けた。


「よく分からん。お前は中身がしっぽ女と同じなのに……ん?」


 不意に百夜が顔をしかめた。


「どうした? 腹でもいたくなったか?」


 歌月が不審そうな顔で百夜を見る。


「腹が減ったといったではないか!だが、これは……、ふむ」


 百夜が何やら天井を見上げてぶつぶつとしゃべっている。


「やっぱり腹が痛くなったんじゃないのかい?」


 歌月が少しだけ心配になってきたらしく、百夜の顔を覗き込んだ。


「違うぞおっぱい女。つんつん女だな」


「つんつん女?」


「つんつん女だ。我を走らせるなどと言うとんでもないことをしてくれた女だ。まあ、手を自分で切り落とすぐらいだからな」


「落夢卿の事? 最近流行りの行方不明って奴じゃなかったのかい? 確かあの多門特別監督官と一緒にいなくなったんだろう。一緒に始末されちまったんじゃないの?」


 歌月は話が見えないという顔で百夜に聞いた。


「いや、生きているな。我から力を奪っていった。忘れていたが、あれも我の下僕だからな。あれには大分血をやったはずだ。それはどうでもいい。赤娘がいたら喜ぶのだが……つまらん」


「そいつは良かったね。風華がいたらきっと大喜びだろうさ」


 歌月が葡萄酒の酔いに少し火照った顔に、わずかに笑みを浮かべた。


「おい、つんつん女。我に小言を言え」


「突然に何だい!?」


 歌月が驚いた顔をして百夜を見た。百夜の顔には最近はそれしかないという不機嫌な表情を浮かべている。だが歌月はその表情の中に、寂しさが見えるのに気がついた。


「餌を食べ過ぎだとか、顔を洗えとかだ。あれほど鬱陶しいと思っていたが、あれがないと何故か落ち着かん」


 百夜が足で床をトントンと鳴らして見せる。


「何なんだこれは!? 何でもいい。何か言え」


 歌月は椅子から転げ落ちるように床に膝をつくと、百夜をぎゅっと抱きしめた。


「苦しいぞおっぱい女。息が、息ができん」


「息ぐらい後でしな。百夜……それはね、『寂しい』という奴さ」


「寂しい?」


 歌月の言葉に、百夜が珍しく子供らしい素直な表情を浮かべた。


「そうさ。私が赤い奴を飲まないとやってられないのと同じだよ」


 そう言うと、歌月は百夜をもう一度強く抱きしめた。


* * *


「いや危なかったですね」


 寧乃は美亜に向かって他人事のように語り掛けた。


「失禁までして、結構頑張ったつもりだったんですけど、壊れちゃった奴相手には効かないですね。労務長が最後はあきらめが肝心って言っていたのがよく分かりました」


 何やら納得したらしく、うんうんと一人で頷いている。美亜達はあの後で、監獄と同じ石らしきもので作られた塔の三階と思しき所に閉じ込められていた。


 だが下の懲罰部屋と違って、この部屋には明かり窓もあるし、寝台や食事に使える卓と椅子も用意されており、小さな角灯まで備え付けられていた。前の大部屋より快適そうなぐらいだ。


「命までは取られないと思っていましたが、顔に傷をつけられたら、実苑隊長から子種をもらえなくなるじゃないですか。それはちょっと困りますよね」


 そう言うと寧乃は同意を求めるように美亜の方を見た。何が困るのかよく分からないが、とりあえず同意しておくことにする。


「そうですね」


「男の人は女性は性格がとか言っていますけど、最後は顔と体だと思うんですよね。うちの会計長を見ると絶対にそうだと思います」


 寧乃が再び美亜の方を見た。これは同意していいものなのだろうか? 美亜は心の中で苦笑をもらした。


「あっ、なんか動きがありますね?」


 何かに気がついたのか、寧乃が扉の方に耳を寄せる。そして卓を明かり窓の下に引き寄せると、その上に椅子をおいて、器用に平衡を保ちながらその上に登った。そして明かり窓の鉄格子に手をやって、壁を足場に外を覗く。


 明かり窓からは、完全に夜の帳が下りた真っ黒な空が見えている。美亜もそこにはめられた鉄格子が、外からのかすかな光を反射して、黄色く光っているのに気がついた。


「どうやら当主様のおつきみたいですね。ということは実苑隊長も戻られたという事です。やっと肩の荷がおりました」


 最後の台詞は本音ね。美亜は思わず()に苦笑を浮かべた。


「美亜さん、夜に寝るときでもいつでも外に出られる準備をお願いします。間違っても薄着で出たりしたらすぐに死んじゃいますからね。それと食事と水分はいつも十分に取っておいてください。冬はすぐに体力を消耗します。関門辺りの野営とは別物ですよ」


 そう言うとまた器用に椅子、卓へと体を移して床へ飛び降りた。


「おや、お客さんですね」


 寧乃が扉の方を振り向く。確かに螺旋階段を昇る複数の足音が微かに響いている。寧乃は明かり窓の下の卓の上においていた椅子を、素早く入り口の扉へと持っていくと、覗き窓の縁へと顔を持っていった。


「実苑隊長だといいのですが……残念。足音が違うみたいですね」


 小さな声で美亜に告げた。この大勢の反響した足音から、隊長が居るかどうか判断できるとは、この子は隊長が本当に大好きらしい。ここだけは自分の子供の時と同じだ。私もあの人の足音はすぐに分かった。


「あれ、金髪の女性ですね。とっても美人ですよ。うらやましいです。だからですかね、侍従さんも一緒です」


 寧乃が美亜に小さくささやいた。金髪? その声に、美亜は寧乃の背後に体を寄せると、一緒に外を覗き見た。数人の男達が一人の金髪の女性を取り囲んでいる。その後ろからは侍従姿の少女も続いていた。


 どうやらもっと上の階を使うらしく、角灯を持つ先導役の男が上へと続く螺旋階段を昇って行く。後ろの一行が部屋の前を横切る際に、金髪の女性の横顔が一瞬だけ露わになった。少しやつれているが間違いない。あの女だ。旋風卿の妹だ。


「あっ!」


 思わず声をあげた美亜に、寧乃が口元に指を立てて見せた。だが美亜の視界はその姿にもうまく焦点が合わせられない。まただ。右目がおかしい。


 慌てて右目を閉じようとするがうまくいかない。思わず扉から離れて、壁に体をあずける。その間に靴音は上の階へと遠ざかっていった。


「幻肢痛ですか?」


 寧乃が心配そうに美亜の顔を覗き込んだ。


「ええ。すぐに、すぐに良くなるわ」


 寧乃にはそうこたえたが、実際は違う。まるで世界が二重になっているように見える。自分の右目が自分の物ではないみたいだ。寧乃ではない誰かのささやきらしきものが頭に響いているようにも思える。


 私は一体どうしてしまったんだろう。もしかしたら体だけじゃなく、心もおかしくなってしまったのだろうか?


『しっかりしなさい美亜!』


 これではあの人の仇を打つなど到底出来ない。


* * *


 酔い覚ましに庭にでた歌月は、そこに小さな人影が立ち尽くしているのを見つけた。


「まだ冬のうちだ。夜は冷える。風邪を引くよ」


 呼びかけても影は何も答えない。その影は空の向こうから登った、血で染め上げたような赤い月をじっと見ている。


「なんだい、また寂しくなったのかい?」


「違うぞ」


 影が振り返ることなく答えた。


「おもかろい妹は無事だな」


「あんたは前にも生きていると言っていなかったかい?」


「死んだら分かると言ったのだ。それと無事なのは同じではないだろう?」


 百夜のしゃべり方には、いつものたどたどしさが全くない。まるで急に彼女が大人になってしまったかの様だった。


「そうだね。その通りだ。だけどどうして分かったんだ?」


 歌月は戸惑いながら答えた。


「見えたのだ。あれはどうやらどこかの塔に幽閉されるらしい。どうもあの監獄とか言う場所と似たような場所だな。なるほどそれでこちらからは繋げなかったのか」


「遠見卿みたいな力も使えるのかい?」


「誰だそれは? まあそれはどうでもいい。つんつん女だ」


「つんつん女? 落夢卿かい。世恋と落夢卿になんの関係があるんだい?」


「同じ塔にいるぞ。おもかろい妹とつんつん女は同じ塔に幽閉されている。それに見ろあの月を」


 百夜が地平線から登りつつある赤い月を指さした。


「赤娘も生きている。どうやら何かに切れたな。我が進むべき道筋は消えてはいないようだ」


「あんた……右目が……」


 歌月が月を指さす百夜の顔を覗き込むと、息をのんだ。瞳のない真っ黒な右目が歌月を見ている。百夜が歌月の方をふり返って、赤い唇の端を上げてニヤリと笑った。


 そこには歌月が昼間抱きしめた子供の面影など、何処にも、何処にも無かった。

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