脱走
美亜はその手際の良さに舌を巻いた。あの人達が色々と使っていた隊商だから、ただの隊商ではないと思っていたが、間違いなく隊商は仮の姿だ。冒険者の美亜から見ても、その手際たるやあまりにも鮮やかだった。
会計長は篭絡していた3人の男を少しずつの時間差で呼び出した。後に来た男が狼狽したり激高した瞬間を見計らって、労務長以下の者がつぎつぎとその口を封じて行く。その動きも、一糸乱れぬ動きとしか言いようがなかった。
それにあの普段はまったく女っ気が無かった会計長が、髪を下ろした姿には本当に驚いた。月明かりの中に浮かんだその憂いを帯びた目と、少し気だるげな感じの仕草は、男を引き寄せる魅惑に満ちている。
『絶世の美女という訳じゃないのに……』
女の美亜から見ても、目を離すことが出来ない何かがあった。寧乃の言う通り、世の男達はその腰に手を回し、その唇を奪いたいと心から願うのだろう。
彼らはその3人からそれぞれ鍵を奪うと、まるで一陣の風が去っていくかのように、あっという間に姿を消した。もしかしたら彼らは隊商なんかじゃなくて、大貴族が隠し持つ秘宝を、知らぬ間に盗み出していくという大泥棒の一味なのではないかという鮮やかさだ。もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
最後に会計長と二言三言話をした寧乃が美亜の元へと戻ってきた。
「お手洗いとかは大丈夫ですか? 明日の朝までは少し長いですよ」
普通にこれからどこかの街に向けて出発するような口調だ。美亜は寧乃に向かって頷いて見せた。
「分かりました。ではとりあえず部屋に戻りますか……」
そう言うと、寧乃は手の上でぽんぽんと鍵をもてあそびながら、美亜に閉じ込められていた部屋に戻るように即した。入り口の看守用の小さな卓と椅子は空だ。ここで美亜達を監視すべき人は、外の藪の中辺りで意識を失って倒れている。
「ちょっと細工しますから、先に中に入っていてください」
美亜が中に入ると、すぐに寧乃が鉄の扉をゆっくりと閉める。そしてのぞき窓の隙間から指をひょいと動かすと、ガチャリという音と共に鍵がしまった。驚いた事にその手にはまた鍵が戻っている。美亜からしてみればほとんど手品だ。
『やっぱり泥棒?』
「私や美亜さんの髪だと届かないですからね。会計長から髪を数本お借りしてきました。紐だと始末が面倒ですが、これならバレません」
そう言うと鍵を床に置いて、下の差し入れ口の隙間から外へと蹴り飛ばす。鍵が向こう側の壁に当たったらしいかすかな金属音が扉の外で響いた。
「あら、ちょっと音がしちゃいましたね。労務長がいたら大目玉です。居なくて良かったです。では美亜さん、私達は足手まといで置いてけぼりになった事にしますので、ちょっと縛りますね」
そう言うと、寧乃は美亜の体を床の上へと押し倒した。その力の強さに美亜は驚いた。やはりこの子供も只者ではない。
「寝台の上だとそのまま襲われちゃうかもしれませんので、ちょっと冷たくて居心地が悪いですが、我慢してください」
そう言うと、寧乃は美亜の手足をあっという間に縛り上げて、最後は猿ぐつわまでした。その後ですぐに、今度は自分を手足を縛り始める。
「猿ぐつわだけは、自分一人ではちょっと無理なので、私は気絶したことにします。ちなみに結び方はちょっとだけ工夫して緩めてあります。なので、手でいかにも固く結ばれているようにみせかけてくださいね」
そう告げると、器用に足を通して、縛った手を後ろ手にする。
「会計長が結構頑張ったみたいなので、朝まで見つからないと思います。暇だと思いますが、寝たりしないでください。いびきなんて掻いていたら興ざめです。それと見つかった時に悪態の一つもつくとか、泣き叫ぶとか、わざとらしくならない程度に……」
寧乃はそこまで言ってから美亜の顔をじっと見た。
「美亜さんにはまだ難しそうですね。黙っていた方が、怪我と病気で見捨てられた感があっていいかもしれません。そちらは私が担当します。では抜かりなきようお願いします」
そう言うと、パタンと寝台の上に倒れこんで、ピクリとも動かなくなってしまった。一体この子は、この隊商の人達の正体は何者なんだろう。
美亜は朝までの長い時間をどうやって過ごすか考えた。どうしてもあの人の事が頭に浮かんでくる。美亜は多門がこの隊商について、一体どこまで知っていたのかを考え始めた。
* * *
天幕の中の小さな卓には二つの人影があった。一つはゆったりとした隊商服を着た女性だ。その向かいには頭に布を巻いた小さな子供が座っている。
女性は羽筆を動かすと、細かな砂が引かれた薄い箱の中に、何やら文字を書いていく。最後に文字だけでなく、小さな女の子の絵も書き加えた。
書き終わると、女性はその箱をゆっくりと子供の方に向けてやる。それを読んだ子供は女性に向かって顔を上げると、満面の笑みを浮かべて見せた。そしてさらに小さく手を叩いてみせる。
「お前は、本当にお前の半身の事が大好きだね」
女性は羽筆で箱をとんとんと叩くと、それを子供に渡してやった。子供が羽筆を一生懸命に動かして、砂の上に大きく絵を描いていく。若芭はその姿を愛おしそうに眺めた。やがて子供は顔を上げると、さも見てくれと言わんばかりに若芭の袖を引いた。
「おや、どうやらうまくいったらしいね」
箱の中には髪が短い子供が、手にその顔と同じくらいの大きさの鍵を持っている姿と、床に寝ている人の姿がある。その左腕はまるで棒のようで手が無かった。
「お前も私の側なんかに居ないで城砦にいたら、音以来の英雄持ちの音場使いだったかもしれないのにね。それに間違いなくもっとも若い二つ名持ちになれただろうに」
若芭の言葉に子供が首を激しく横に振った。そして立ち上がると若芭に抱き着く。そしてゆっくりと口を開いたり閉じたりした。
「私もお前が大好きですよ、凪乃。お前も寧乃も二人とも私の大切な家族です」
若芭が凪乃と呼んだ少女がにっこりと微笑んだ。
「でも、寧乃のお転婆は少し心配ですね。やりすぎなければよいのですが……。しばしお前と入れ替わってもらわないといけないかもしれませんね」
その言葉に、少女は二度縦に首を振ってみせた。
「お前たちには本当に苦労を掛けます。それにあの元王子様にも、少しは国の為に働いてもらう事にしましょう」
そう告げると、若芭は少女の頭をゆっくりと撫でてやった。




